紺青の縁 (こんじょうのえにし)
霧沢は二つ目の出来事へと自分の推理を進めていった。
それは〈洋子のクラブ内首吊り自殺〉。
霧沢は一週間の時間を掛けてそれを考え抜いた。
クラブ・ブルームーンのママ洋子は、祇園夜桜が妖艶に咲き乱れる春の宵から二週間が経った頃に、クラブ内で首吊り自殺をした。
洋子にはその頃すでに娘の愛莉がいた。そのためか、霧沢にはどうしてもそれが自殺とは思えなかったのだ。
そして洋子は、前年の宙蔵の死後に、「また新しいパトロンを見付けて、しぶとく生きてやるから、安心して」と言っていた。
もちろん当時、知人や関係者に対しての警察による事情聴取があった。それによりわかったことは、洋子が自殺をした時間帯に、桜子と光樹は伊豆への旅行からの帰途にあったということだ。
この二人は沼津から東名高速道路に乗り、日本平パーキングエリアで軽い昼食を取った。そしてそこを午後一時前に出発した。
後は、途中岐阜県の養老サービスエリアに立ち寄ったりして、トイレ休憩などを取りながら、約五時間強を掛けて京都へと戻ってきた。そして二人は午後六時頃に京都の南インターチェンジから国道へと下り、市内へと帰って行った。
そんな桜子と光樹の二人、四カ所で目撃確認されていた。
それは沼津インターチェンジの料金所と日本平パーキングエリア。そして名古屋を過ぎた養老サービスエリア。最後に京都南インターチェンジの料金所だ。
これらの四つの点は結ばれ、線となった。これにより洋子が自殺をした午後五時頃の時間帯は、滋賀県の彦根近辺の名神高速道路を走っていたこととなった。
桜子と光樹のこのアリバイは完璧で、当局はこれが崩せず、それは認められた。だが霧沢は、その京都南インンターチェンジに何かずっと引っ掛かってきたのだ。
桜子と光樹は京都の東に位置する東山と北白川に住んでいた。そうであるならば、名神高速道路を大阪方面へと行き過ぎず、普通は京都市内の手前、つまり東京寄りの京都東インターチェンジで下りるものなのだ。
この疑問点から、桜子が洋子を殺害したと仮定してみた。
さて、桜子はどういう経路を辿って、午後五時前に京都祇園のクラブに行き、洋子を殺害し、午後六時に京都南インンターチェンジの料金所を通過したのだろうか?
要は東名高速道路と名神高速道路を車で京都へと向かって走りながら、それよりも早く京都へと辿り着き、そして犯行の後、同じ車に戻れないだろうか?
霧沢はこんな推理に頭を絞った。
作品名:紺青の縁 (こんじょうのえにし) 作家名:鮎風 遊