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白石さんと黒井くん

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もうとっくに提出し終えた人達がロビーでお酒を飲みながら大きな声で歌っているのが聞える。あたしは聞えないふりをして提出先である講堂へと向かった。提出時間ぎりぎりだから教授はいないかと思ったけれど、講堂の真ん中で教授は立っていた。あたしは声を震わせながら学籍番号と名前を告げ、絵を教授の前に置いた。真っ白い髯を指先で弄りながら、目が大きくなる眼鏡でじっと絵を見つめられる。怖くて怖くてぎゅっと手の平に爪を立てると、教授は「確かに受け取りました」とだけ告げ、くるりとあたしの絵に背を向けた。彼が今見ているのは一番大きく真中に置かれているキャンパスだった。背中にぺこりと頭を下げて小走りで彼の元へと走る。ハーモニカが何処からか聞こえてきたけどあたしはアルトの笛を持っていないから音楽に参加することは出来ない。
校門の近くに車を寄せていた彼は、車から降りて空を見上げていた。灰色の重たく垂れこんだ空をまるで悲しいもののように彼は見つめている。
彼の目の前まで足を止めてあたしも空を見上げる。静かに音を吸いこんだ雪はちらりちらりと視界の端で蠢く。
「提出出来た?」
「間にあったわ。ありがとう」
「僕は何もしていないよ。君ががんばったんだ」
「でも貴方がいなければ描けなかったわ」
彼は嬉しそうに目を三日月にして、もう一度空を見上る。その瞳はやはりどこか寂しげで、彼が雪を苦手だと言っていたことを思い出した。彼は大切なものを雪の日に失くしたと言っていた。それ以上詳しいことは尋ねていないから分からない。彼が失くしたものが人なのか物なのか思い出なのか嘘なのかは分からないけれど、失くしたそれはとても、今もその表情をさせるくらいに大切なものだったのだろう。白を見るとあたしは箱庭のようなあたしの部屋を思い出す。あたしの部屋は天井も床も壁も真っ白だからもしかしたら彼はあたしの部屋にいると雪を思いだすのではないだろうか、とそう感じた。
「さっきバイト先から電話があって今からバイトに行かなければならなくなったんだ」
「そう」
「家まで送れないけど大丈夫かい?」
「大丈夫よ。お金なら持っているわ」
ポケットに入っている紙幣とコインを見せると彼は安心したように笑う。
「バイトが終わったら部屋に寄ってもいいかい?」
「ええ、ぜひ」
彼の眼はまた三日月になって、あたしはそれが嬉しいと思う。彼は車に乗り込んで、あたしの部屋とは反対方向へと去ってしまった。あたしはポケットに入っていたお金を数えて、黒いペンキはいくつ買えるだろうかと考えていた。いつもあたしを正してくれる彼の嫌いな白を止めて、壁も床も天井も黒く塗りつぶしてしまおうと思ったのだ。真っ黒くしたその上に白を塗せば、きっと彼が好きな夜空になる。
彼が喜んでくれる顔を想像して、あたしは目の前を通り過ぎようとしたタクシーを片手を上げて止めた。




(fin.)


作品名:白石さんと黒井くん 作家名:志月*