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七ケ島 鏡一
七ケ島 鏡一
novelistID. 44756
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グランボルカ戦記 3 蒼雷

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1章 地下牢とベッド



 
 顔の上に落ちた水滴の冷たさで目を覚めましたヘクトールは、身体を起こして周りを見渡し、改めて昨日起こったことが夢ではなかったことを認識させられた。
 ヘクトールが閉じ込められている地下牢の中を見回すと、天井と岩壁の間からから水が染み出しており、どうやらヘクトールの顔に落ちたのはこの雨水とも地下水ともつかないものだったようである。
 ここはマタイサの地方の領主であるグラール侯爵の居城の地下牢の中。
 牢内にいるのはヘクトールの他には隣で寝ているメイのみ。
 アレクシスと同盟関係にあるグラール侯爵に親書を届けにきただけであったのに、謁見の間を出たところで、突然兵士に囲まれ、現在に至る。
 だが牢に入れられてから考えてみれば、親書を読み終えたグラールにアリスが耳打ちをした時に彼の顔色が変わっていた。
 (アリスと・・・捕まっていないところを見ると、アンも裏切り者か。我々の中に裏切り者がいると読んだアレクシス殿下の読みはやはり正しかった。)
 アンドラーシュとアリスの裏切りを見抜けなかったことに苛立ってヘクトールが壁を叩くと、隣で寝ていたメイが目を覚ました。
「・・・眠れにゃいの?」
「すまん、起こしてしまったか。」
「ううん・・・それはいいんだけど。やっぱりショックだった?」
 体を起こしてヘクトールの背中に回り、じゃれ付くように彼の首に腕を回しながらメイが耳元に口を寄せて尋ねた。
「ああ・・・。あいつとはかれこれ二十年以上の付き合いだったしな。アリスにしても、アレクシス殿下は相当信頼していらしたし、疑いをかけられていたとはいえ、そんなことはないと信じていたんだけどな。」
「そう?アタシは一目あった時から、あの女は絶対何か隠し事していると思ってたけどにゃ。」
 そう言ってメイは「ヘクトールは本当に女を見る目がないにゃあ。」と言いながら笑った。
「まあ、捕まっちゃったものは仕方ないし、ここでの生活を楽しもうにゃ。地下にあるせいでカビ臭いのが気になるけど、ここって牢屋にしては食事が美味しいし、石壁だからプライバシーもバッチリ。三食昼寝付きって考えればそう悪くない物件だし。」
 地下牢の中ではうかがい知ることはできないが、そろそろ朝なのだろうか。ほのかに漂ってくる食事の匂いに、鼻をひくつかせながらも呑気にそんなことを言うメイに、ヘクトールは盛大なため息をつきながら口を開いた。
「・・・はぁ。お前は本当に順応性が高いと言うかなんというか。このままだと、俺達は良くて人質として何らかの取引に使われるか、悪ければこのまま死刑にされるかもしれないんだぞ。」
「ヘクトールはなんでも後ろ向きに考えすぎにゃ。大丈夫大丈夫。絶対何とかなるって。」
「なんとかって言ったって、武器も没収されて、いったいどうやって何とかするんだ?」
「うーん・・・正義の味方が助けに来てくれるのを待つしかないにゃあ。」
「お前に聞いた俺が馬鹿だったよ・・・。」
 ヘクトールはそう言うと、がっくりと頭をもたげて、もう一度大きなため息をついた。

 時は少し戻って、ヘクトールとメイが牢内で眠りについたばかりの頃、グラール侯爵からアンドラーシュに割り当てられた豪奢な部屋のテーブルに向かい合って座ったアンドラーシュとアリスがワインを酌み交わしながら談笑をしている。いや、上機嫌でワインを傾けているのはアリスだけで、アンドラーシュのほうはあまり気乗りしない様子で手の中でくるくると真っ赤なワインの入ったグラスを回しながら適当にあいづちを打っていた。
「あはははは、アンの裏切り者。」
「・・・それ、アンタが言うわけ?」
 アリスに指を指されて、不機嫌そうに半目になりながらアンドラーシュが言い返すが、アリスは気にもとめずに笑い飛ばす。
「言うわよ。だって私もアンも裏切り者だもの。あははは。」
「ていうか、アンタ酒癖悪いんだから、あんまり飲むんじゃないわよ。」
「ヘクトールさんとメイはもうすでに地下牢だし、後は侯爵の軍を使ってアミサガンに攻め込めばいいだけでしょう。もうお仕事は終わったも同然だもの。だからちょっと位酔っ払ったって大丈夫よ。」
「まあ、そうなんだけど・・・ちょっと、もう飲むのやめなさいよ。」
 既に大分酔いが回っているにもかかわらず、さらに手酌でワインをグラスに注ごうとするアリスの手からアンドラーシュが瓶を奪い取った。
「やーだー、まだ飲むのー。」
「子供か!・・・飲んでもいいから自分の部屋に帰ってからにしなさいよ。」
 さすがにこれ以上飲ませるのはまずいと判断したアンドラーシュが、赤ら顔でワインの瓶を奪い返さんと手を伸ばすアリスから、瓶を守るように抱きしめながら言うが、そんなアンドラーシュの心配などどこ吹く風といった風に、アリスは口を尖らせて彼のことを非難する。
「もう!アンはいつまでも私のことを子供扱いするんですから!・・・良いですよ、そうやっていつまでも私のことを子供扱いするのなら、私がもう立派なオトナだってこと、証明してあげようじゃないですかぁ。」
 アリスは赤ら顔で机を叩くと、立ち上がって肩にかけていたケープを脱ぎ捨てた。
「あーあー、もう。そんな風に投げ捨てたら皺になっちゃうでしょ。」
 アンドラーシュがそんなことを言いながら歩いて行ってケープを拾って振り返ると、アリスはさらに上着を脱ごうとしているところだった。
「待て待て待て。ちょっと待て!何してんだお前。」
 思わず普段の口調でしゃべるのも忘れ、アンドラーシュは慌てて駆け寄ってアリスの脱ぎかけた上着を下ろす。
 取り乱すアンドラーシュの様子を見て不思議そうにアリスが首をかしげる。
「ふぇ?だからぁ、私がオトナだってところを見せるんですよぉ」
「ふぇ?じゃねえ。馬鹿かお前は。・・・はぁ。部屋に送っていくから、あんたもう今日は寝なさい。」
「嫌ですよぉ。今日は、とことん、飲むんです。だって、ここには口うるさいクロエはいないんですから!」
「代わりに口うるさいアンドラーシュさんがいるでしょ。まったく、そんなんだからあんたは子どもだって言うのよ。・・・ほら、立ちなさい。もう部屋に帰るの」
「嫌!」
 アンドラーシュの手を振り払うと、アリスはベッドにダイブして、マットレスにしがみつくようにしながら首を振った。
「やだやだ。一人で寝たくない。さみしいもん。ねえ、アン。一緒に寝ましょうよぉ。」
「バカ!アタシがあんたと一緒に寝られるわけ無いでしょ。そんなことしたら色々まずいことになるでしょうが!」
「・・・じゃあ、自分の部屋に適当な人連れ込む。見回りの人とか。うん、そうだ。そうしよー。」
「大馬鹿。そんなの許可できるわけ無いでしょ。というか、ユリウスが泣くわよ。ほら、早く起きなさい。自分の部屋で一人で寝るの。」
 そう言ってアンドラーシュはアリスを抱き上げてベッドから引き離そうとするが、泥酔して弛緩した人間というのは案外重く、アンドラーシュはアリスを上手く抱き上げることができない。アンドラーシュが自分を抱き上げることができないと解ったのか、身体を仰向けにして、にへらっと笑いながら、アンドラーシュを挑発するように言う。