雪国の梅花
私の母は脚が悪く、やむなく車で来た。父は新幹線の来客をこの家まで案内する送迎役を買って出ていて、今もどこかの道を走っているのだろう、見当たらない。妻の実家じゃ、座っていても落ち着かないのだろう。適任だ。
「ちぃは幾つになった?」
ウタの指が、椀に描かれた椿の花弁を一枚、隠した。
「今年で三十。ウタは三十五でしょ。五つ違いだもんね」
茶碗から口を離すと苦々しく笑う。
「この歳で『ウタ』って呼ばれるのも、なんだかな」
私も釣られて頬を緩め「お互い様だよ」と言葉を置くと席を立った。
でも、この歳でまだ「ちぃ」と呼んでもらえる距離感が、嬉しくて仕方がない。
「千里、ちょっと」
台所で休んでいた母に呼ばれ、小さく返事をしながら広間を出た。廊下の床板はまるで氷が張ったスケートリンクみたいに冷たく、スリッパがないか見回したが見つからない。爪先立ちで母の元へ向かった。
「悪いんだけど、お茶菓子がもうないみたいなんだ」
「買い出し?」
私の言葉に申し訳なさそうに頷いた。右足が殆ど動かない彼女は杖がなくては歩けないし、そもそもこんなに雪が積もっていては、初老に差し掛かった母に買い出しなんて任せられない。
「誰かの車、空いてるの?」
「それが今、全部出払っててさ」
駐車場事情もあって、動かせる車の台数が少ない。しかしこの近所には小さな花屋が一軒あるだけで、スーパーも、コンビニすらもない。三つとなりの集落まで行くことになるが、現状歩いて行く以外に選択肢はない。
「兄ちゃんは?」
「煙草吸いに出たっきり」
私よりもずっと色の白い二本の指を口元に持って行く仕草をした。また煙草か、と小さく舌打ちをしたあとに、慌てて口を閉ざす。悪い癖だ。
「おばさん、俺も一緒に行くよ」
引き戸に架けられた暖簾をくぐって顔を出したのは、ウタだった。
「買い出しでしょ? ちぃひとりじゃ大変だよ」
私は意味もなくあたふたして、彼と母の顔を交互に見比べながら何も言えないでいた。
「助かる、おチビちゃんたちの飲み物も買って来ないとだから、結構な荷物になると思うんだよね」
母からメモを受け取ったウタは「ちぃ、上着は?」と私の顔を覗き込む。ひゅっと喉の奥に冷たい空気が突き刺さるような息をして、それを跳ね返すように「持ってくる!」と声を飛ばした。