紫陽花の寺
「ほかのお寺でもたくさん撮って来ましたから、もう充分です。さようなら」
「さようなら」
中高年の団体のあとから下りて来た若い女性が、野百合に声を掛けた。野百合の勤め先の後輩だった。
「やっぱりここにいましたね、設楽さん。はぐれたかと思って心配しましたけど……あら、設楽さん泣いてる」
「えっ?眼にほこりがはいったのよ。でも、やっぱりここって?」
「だって、今でも好きな昔の恋人が、ここで写真を撮ってくれたことがあるって、云ってたじゃないですか」
北川はそのとき既に十メートル以上も階段を駆け下り、団体客たちの中に達していた。そのため、野百合たちの会話は耳に入らなかった。彼は怒ったような顔をして寺の出口へ向かった。彼はもしも野百合とここで再会できたなら、彼女にプロポーズをするつもりだった。だが、彼女がほかの男と結婚したのだと思い込み、彼は二度とこの寺には来ないことを心に誓った。
今朝のテレビで紫陽花が見頃を迎えているというニュース映像を眼にしたとき、北川は野百合に会いたいと思い、ここに来れば会える筈だと思ったのだった。そんな予感があった。そして、彼は来る途中家電量販店に立ち寄り、最新型のデジタルカメラを購入した。それは、野百合を撮影するためだった。