放課後不思議クラブ・閑話休題/境界
別ver
放課後不思議クラブ・閑話休題/境界
「何だってこんな事に……」
「ちょっと、しっかりそっち持ってよ。重い」
ぶつぶつ うるさい黒木と力を合わせ、私はスタンドライトを運んでいた。それというのも、バレーボールの最中に、パワーの有り余った和馬のアタックが、見事体育館二階の物見に置いてあったスタンドライトにヒットし、カバーを割ってしまったからだ。学祭の有志ステージの時くらいにしか使わないのに、あんな所に置いておくのが悪い、というのが和馬の主張。だけど、今ならそれが道理だとわかる。重い、これ。あんまり動かしたくないわ。
職員室に呼び出されている和馬らの代わりに、クラブ責任者の黒木と、手の空いた私が、修理業者の立ち寄る裏口まで、えっほえっほ運ぶことになったのである。ああ、ジャージで良かった。こんなのスカートで運べない。いますごい姿勢してる。
ゴミ捨て場でもあるこの裏口は、イメージ的には海外ホームドラマのガレージ。何故海外ホームドラマかというと、広ーいガレージって日本じゃあまり見ないから。と、独断と偏見。薄暗く、夏でもひんやりしているけれど、いかんせんゴミ捨て場なので、いい気はしない。ので、滅多に来ない。いつぶりだろうか。
「おい、余所見するな、逸深」
「そんなの和馬に言ってよね。それか希代」
「なんで希代が出てくるんだ?」
「今はピヨピヨ付いてきてても、女の子は心変わりしやすいもの」
「なんだそれ」
哀れ希代。でも彼女はただひたすらに尽くすことに喜びを感じているからいいのかな。それにしても、黒木ってなんでこうなんだろう。
そうこう言っているうちに、裏口に着いた。相変わらず、独特なにおいがする。まあ、言ってしまえばごみくさい。日当たりも良くないので、湿気のにおいもか。
「よし、この辺でいいだろう」
黒木の合図で、足を止めた。ガシャ、と音を立てて、スタンドライトが地面に足をつけた。お前が歩けたら、私たちだってこんな重い思いせずに……いやだ、親父ギャグ。
はあ、と一息ついて、腰を叩く。マジで重かった。手漉きが私と黒木だけって言ったって、女の子にさせる仕事じゃない。もう一人はモヤシの代名詞みたいな黒木だし。黒木は、じっとり汗を掻いたらしく、肌にひっついたシャツの袖をぺろんと剥がしていた。
ふとした瞬間、何かが地面を叩く音がした。それはガレージの外から、ゆっくりと……次第に激しく。「雨か?」黒木が言った。それを聞いて、思わず飛び出す。
「うそっ、私傘ない!」
「おい、上履きだぞ!」
太陽の下に出たはずなのに、視界は明るくならない。大雨も大雨、長靴履いてても、雨漏りしてぐっちょんぐっちょん言いそうな、そんなひどい雨だった。だけど、特筆すべきはそこじゃない。この時期のにわか雨は、まだ想定内である。雨のヴェールのその奥の、かすんだ景色の中に、城があった。
「……なんだあれ」
「城が……何故」
「あそこ、病院だよね……」
私たちの学校は、住宅街ではないにしろ、そこそこ人の行き来があり、病院やらスーパーやらに囲まれて建っていた。ここからは、信号を挟んで隣にある、私立の総合病院が見えるはず。しかし、そこに見えるのは、美しい白色の壁に、深い青の瓦が乗った、純和風の「城」で、よくよく周りを見渡すと、きれいに整備された車道も消え、腰くらいまである細めの草が、雨粒に打たれてしなっていた。野原だ。野原の中に、城が建っている。
「なんだこれ、蜃気楼?」
「さぁ……わっ、黒木濡れねずみ」
「逸深もな」
だけど、私たちはずぶ濡れなのも気にしないで、城を見続けた。
すると、どこからか愉快な音楽が聴こえてくる。大勢の足音も。聞いたことのないような、重い足音だった。まるで、鎧を纏っているような。そしてそれは、徐々に近くなってきた。
「大名行列……?」
黒木がぽつりと呟いた。
雨音に混ざって聞こえた一糸乱れぬ足音は、とうとう私たちを通り過ぎて、城のほうへと行ってしまった。結局なにが歩いていたのかは、わからなかった。足音が最も近づいて来たときだって、その姿は見えなかったのだ。ただ、笛や太鼓の音と一緒に、ぬかるんだ地面に嵌っては抜け出すような、粘着質な音が通り過ぎて行っただけ。
しかし、そのあとの野原に目をやると、きちんと草が踏み倒されていた。確実に、何かがここを歩いて通って行ったのだ。
地面を見つめていた私の肩を、黒木がふいに叩いた。軽くね。少し驚いて、私は黒木のほうを振り返る。彼は、城のほうを指差していた。
「おい、見ろよ」
「何? あ……」
遠くにおぼろげに見える城。その荘厳な門が、いつの間にか開いている。誰かを迎え入れるかのように。
「きっと帰ってきたんだ」
黒木が言う。
「参勤交代?」
「たぶん」
私たちは、雨に打たれたまま城を見続けた。しばらくすると、城の門は閉まり、変わらずに激しく響く雨音だけが残った。
それでも、私たちは城から目が離せない。目を離したら、そのままこの場所に取り残されてしまいそうな、そんな気がしていた。
普通、逆だろう。後から思った。
城は、ひどい雨の中、それでも凛と聳え立っている。
「なあ、このまま……」
「なに?」
「このまま、出られなかったらどうしよう」
意を決した様子で黒木がそう言った瞬間、世界は揺らいだ。
雨は止み、城は消え、そこに残ったのは、登下校でいつも見る光景だった。
ガレージの外、日差しを反射するアスファルトの歩道に、上履きジャージの私たちが、じっと立っている。
からっとした太陽の光、夏らしいせみの声。ずぶぬれだったはずの私たちの体は、いつの間にか乾いていた。
「黒木、」
「出られたな」
いや……最初から濡れてなんか、いなかったのだろうか。あの雨は、あの情景は、あの城は、なんだったのだろう。今目の前に広がるのは、車が絶えない往来で、走って横断歩道を渡る青年、信号機がちかちかと点滅している。ガレージのまん前を、病院から散歩に出たらしい車椅子の老人が、熟年の女性に押されてのろのろと通り過ぎた。
途端、ポロシャツの胸ポケットに入れていたケータイが鳴った。久立から、メールだ。
「和馬、解放されたって」
「ん? ああ、そうだったな。戻るか」
「うん」
夏だというのにひんやりした裏口から、私たちはようやく抜け出した。
作品名:放課後不思議クラブ・閑話休題/境界 作家名:塩出 快