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卒業

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いつものように朝6時に目が覚めて、寝ぼけ眼のまま階下に降りていった。早朝の空気は凍てついて、僕はたまらずこたつに潜り込んだ。そしてそのまま再び寝た。気が付いたら6時50分。電車に乗り遅れると思って慌ててこたつから飛び出ると、見慣れた白ワイシャツと濃紺の制服に掴みかかって、嵐のように着替えを終えた。
 ひげはさすがに伸びきっていたので前の晩に剃っておいた。そうでなくとも、友達から「明日には剃って来いよ」としつこく言われていたのだ。ハンカチを持ったか確認して、鞄を手に、突き破るように玄関口から外へと走り出た。一層凍えた風がまだ眠ったままの脳みそを刺激した。朝食は抜いたが、それも毎度のこと。
 遅刻ギリギリの電車には間に合った。久しぶりの車内は何の変わり映えもしていなかった。受験で長らく休学中だった僕はかえってほっとした。
 電車はスムーズに動き出した。窓の外の景色が次々と右から左へ引っ込んでいく。おなじみの景色が、まるで奪い取られるように僕の視界から消え失せていった。3年間通い続けた道程。遠退いていった景色がどんなものか、この先がどんな景色であるかは言われなくたって分かっているはずなのに、僕はそれらを初めて見るかのようにずっと窓の外を眺めていた。高校1年生の頃は、こんな自分など想像していなかっただろう。

 途中から乗ってきた友達と始終同じことばかり話していた。
「今日卒業するんだって、おれら」
「みたいだね」
 言葉ではいくらでも言えるけれど、頭の中、或いは心の中では一切の実感が湧いていなかった。本当にこんな日が来るとは。
 高2くらいまでは早く卒業してしまいたいと思っていたし、遠い先のことだと思っていた。高3になってからは、あと少しだと胸が高鳴っていた。
 それが、だんだんと分かってくるようになった。うんざりしていた学校行事や、友人とのつまらないじゃれ合いや、授業中の先生の小言、それぞれに「最後の」と付く時がやって来る。1つ、また1つ、指を折るごとに消えていく。その非情さを穴埋めするために、僕は残りの日数を自分史上最高に楽しんだ。そうすれば「いつまでも」という願いが現実になるような気がした。狂ったように全て捧げた。
 しかし、そうして終わってしまえば、自分がみんなとはしゃいで一体となって楽しんだ分だけ、切なさが倍返しで襲ってきた。こんな素晴らしい事、もう二度とないのだと。

 悔しかった。

「早いもんだな」
「お前は楽しんだか?」
「悪いが、他の受験生よりは楽しんだ」
 それだけは心の底からそう思っていた。

 電車からバスに乗り換え、そこから5番目のバス停で降り、少し歩くともう学校の屋根瓦が見えた。程なく5階建ての校舎が全貌を現す。もう何十年も生徒の後ろ姿を見守ってきたはずなのに、その姿はいつもよりしんみりしていた。
 教室は普段より騒がしく、クラスの人が卒業アルバムにそれぞれ寄せ書きをしていた。ここ何ヵ月間は受験モードでみんな朝も勉強していたので、この久々の騒がしさは耳に心地良く響いた。僕は乗り遅れないようにその輪に加わり、誰のも書き逃すまいとペンを片手に走り回った。ろくな事を書けなかったが、とにかく自分の傷跡を残したかった。
 チャイムが鳴って、先生が教室に入ってきて、何か言った。卒業式が云々という話だったが、どこまでも他人事のように聞こえた。その後ろの黒板には体育館の並び方と諸注意が記されていたが、それも嘘っぽかった。少なくとも、嘘だと思い続けていたかった。
 それでも心の中では焦りが、みんなの中に自分を留めておこうと躍起になっている自分がいた。その時点では寄せ書き以外に方法はなかった。その後の隙間時間にも、僕は卒業アルバムの間を走り回っていた。

 定刻になると高3全員が体育館に集まった。保護者一同はすでに入って待っていた。一度始まった卒業式はあれよあれよと言う間に進んで、校長の言葉も、在校生代表の言葉も、卒業生代表の言葉も、何も僕の心に卒業の感慨を与えないまま式は終わった。不覚にも、そして抵抗する術もなく、僕は卒業生になった。これで泣いても死んでも卒業生、もう高校生ではなかった。
 教室に戻って、担任から卒業証書をもらった。少し厚めの紙に「卒業証書」と書いてあった。ただそれだけのこと。何らかの劇的な変化や、何のドラマチックな展開もない。みんなとのかけがえの無い時間は、こんな紙切れ1枚で制限されていたのだ。それを見ながら、僕は尚も「本当に卒業しちまったのか」と疑っていた。

 その後はクラスの打ち上げに行った。最後の1本指だった。食事をしてから、カラオケに行ってみんなで歌いまくった。普段あまり歌わなさそうな人がアニソンをどんどん熱唱していたので、僕も羽目を思いっきり外して、他の人が知ってるかどうか危ういナンバーで声を張り上げた。そうしたら一緒に歌って盛り上げてくれる人がいて、ふとこれが最後なんだなと感づいて涙目になった。
 昼に学校を出てから何だかんだでもう夜の8時になろうとしていた。予約は8時までだったので、最後はみんなで盛り上がろうと、大団円で汗が出るほど騒いだ。これがみんなのパワー、本当に最高だった。
 時間になって片付けをして、散らかった部屋を元の状態に復旧した。来た時に戻った部屋を見回すと、そこはまるで何事もなかったかのように平然としていた。それまでの乱痴気騒ぎが夢のようで恐ろしくなった。
 本当に最後だった。最後の指も折り畳んでしまった。外に出てもなかなか帰ろうとしないみんなは、それを覚悟しているようだった。サヨナラの実感を遠ざけているのは僕だけだった。
 そのうちに1人また1人と、それぞれの家路に着いたが、僕と同じ電車に乗って帰る人が何人かいたのは幸いだった。

 電車は朝ほど混んではいなかった。けれども、言い知れない寂しさが辺りを埋め尽くしていた。僕らは一列に座った。お互いの顔はよく見えないが、僕にとってはその方が良かった。他の人の顔が見えたらふとした拍子に泣いてしまいそうだったし、泣いてるところを見られたくもなかった。
「長い1日だった」
「ホントだね」
 誰となくそんなことを言った。その場のみんなの心を代弁する一言だ。
「でも、何だかあっと言う間の1年だった」
「…長い1日、短い1年」
 この1日とこの1年を比べることは出来ない。思い返して気付くのは、こんな人達と一緒に卒業できた僕は最高に運が良い奴だということ。みんなと出来なかったことが出来たことの10倍あっても、みんなと出来たことは出来なかったことの100倍素晴らしい価値があるということ。「いつまでも」は「いつかまた」に取って代えられるということ。

「気付くべきだったね。いつだって、最後がやってくる可能性はあったんだって」

 そして、これが本当の最後にならないよう、次の再会まで死ぬ気で生き抜いてやると誓う自分がいること。

 最初の1人が自分の駅に降り立つ。後を追うように1人ずつ自分の降車駅の闇の中へ去っていく。この時ほど自分が終着駅まで乗ることを恨んだことはなかった。人が降りる度に手を振って、「さよなら」と言った。このさよならは特別だ。
作品名:卒業 作家名:T-03