タマシイの欠片。
学校の中の異世界。
不気味な程に静まり返った図書室の、一番右側の机の窓際の席。
の、斜め斜め前の通路側の席に座って、小説の真ん中あたりを開いて、頬杖を付く。
ブレザーを脱ごうかと思って、やめた。その代わりに、ネクタイを少し緩める。
制服というのは、なんか窮屈なものだ。
(けど、まあ一種のステイタスと思えば、それも楽しいか。ね)
今日、本棚から適当に引っ張り出したのは、どうやら恋愛小説だった。
(あなたがいないと生きていけないの!って、重い。重いぞあんた)
唐突にわめき始めたヒロインに、眉を潜めてツッコミをいれる。
まるっと依存はよろしくない。もっと自立しなさい、マジで。と、ヒステリックなヒロインに語りかける俺の横を、ふわっと甘い香りが通り過ぎた。
(……!キターッ!!)
その香りの主は、定位置である図書室の一番右側の机の窓際の席、つまり俺の斜め斜め前に座った。
視界の端で、彼女の動作を知る。
鞄から出すノートの表紙は桜色。ペンケースは布製でアイボリー。ファスナーにビーズ製の赤いクマのチャームがついてる。
彼女が、ほぼ毎日、この時間、ここに来ることを知っていた。
だから俺はここに座っていた。
ストーカーじみた行為だが、恋心の淡さを鑑みて、何卒大目に見て欲しい。
シャープペンをカチカチとノックする音が聞こえた。
彼女がノートを開き、さらさらと文字を書き込んでいる。
うつむく彼女の横顔を、ぎこちなく見つめる。
長い黒髪を耳にかける仕草が、窓から差し込む陽の光に縁どられて、とても綺麗だ。
(ああ、綺麗だなあ…本当に綺麗だなあ…)
うっとりと眺めていた次の瞬間、俺のお腹が、ギュルルルン、ギュッ、キュッとギャグみたいな音を盛大に立てた。
「なっ…!!」
慌てて両腕でお腹を抑えるが、そんなのは意味のないことで、焦った顔の俺と、びっくりした顔の彼女の、目があった。
「や、すいませんすいません、あの…っ」
顔を真っ赤にして立ち上がると、彼女はクスリと笑った。
そして鞄のポケットから何かを取り出した。
「どうぞ」
「えっ」
差し出されたそれは、一粒のチョコレートで、俺は、そのチョコと彼女の微笑みを交互に見た。
「い、…いいんですか?」
「ええ、どうぞ」
手を伸ばして、ちょっと迷った。
「本当に、いいんですか?」
念のために確認をすると、彼女は不思議そうに首をかしげてから、もう一度微笑んだ。
「はい。どうぞ」
「……じゃあ」
俺は、彼女から、そのチョコレートを、受け取った。
左の手のひらにのせて、思わずため息をつく。
「…せっかく楽しかったのになー…」
「え?」
「いや、終わっちゃうの残念だなって思って。チョコ、ありがとう」
包み紙を開いて、口の中に放り込む。それは、想像を超えて、甘かった。
「うまいー」
頬を緩める俺に、彼女は言いにくそうに口を開いた。
「あの…ね。あなたは、誰…?」
「俺?」
キョトンと自分を指さすと、彼女はその可愛らしい顔をますます戸惑いで染めた。
「ここ…女子校なんだけど…」
「あ。そっか。そうね、うん女子校だ」
ポンと手を打つ。
「あなた、ここ数日、この図書室に来てるよね?どうして誰にも注意されないのかなって、ずっと不思議で」
それに、と彼女が続ける。
「学校の関係者の人かなって思ったんだけど、今日は制服着てて、よく見たら私と同い年?どこの学校?どうしてここに入って来れたの?」
彼女にとって異質な存在である俺に、聴きたいことを沢山ためていたらしい。
矢継ぎ早に質問を受けて、俺は首の後ろをかいた。
「えっとね。順番に行くと、俺は学校の関係者ではなく、今日制服を着たのはなんとなくの気分で、年令と学校はひ み つv で、どうしてここに入って来れたかってのは…うーん」
種を明かすのは非常に惜しい。が。
(もう、貰っちゃったもんなあ)
チョコの包み紙を指で弄んで、息をついた。
「俺が入ってきたわけじゃなくて、君をここに誘いこみました」
「……え?」
眉をしかめるその顔も綺麗。
そしていい香りだ。
「ここは俺が作った空間です。本当はね、なにもない世界なんだよ。ほら」
パチリと指を鳴らすと、彼女が座っていた椅子も机も、夕日が差し込む窓も、本棚も天井も廊下も、なにもかもが消えた。
白い空間に、俺と君の、ふたりきり。
「な、なにこれ…!」
「学校の図書室ってのは、君の演出だよ。『そこへ行きたい』『そうであって欲しい』っていう君の願いを反映させたんだ。君は、放課後に学校の図書室へ行きたかった。そうでしょ?」
首をかしげる俺に、彼女は混乱した様子で後ずさるような動作をした。
「ごめんなさ…あなたが何を言ってるのか、わからない…」
「だよねー」
俺は、何もない空間に腰を掛けて、足を組んだ。
「どうしよう。丁寧にまるっと説明すべき?そしたら納得してくれるかな。でも、君が納得してもしなくても、結果は変わらないんだ。ごめんね」
「何を言って…」
「でも君にはサービスしてあげる。なにせとびきりの美人だからね」
呟いた一瞬後、彼女の目の前に立ち、綺麗な綺麗な髪を、そっとかきあげる。
「……っ」
「ああ、そんなに怯えないで。痛いことはしないから」
にっこりと微笑んで、その形の良い耳に、出来るだけ優しく囁いた。
「あのね。君は、死んでるんだよ」
「………?!」
驚愕と恐怖に歪んだ顔を見て、笑いがこみ上げた。
「ほら、見てごらん」
そっと取った彼女の手の、指先が、さらさらと砂になって、白い世界に舞い踊る。
「…き、きゃああああああああっ!!!」
ひきつるような悲鳴を、人差し指でそっとふさいだ。
目尻から溢れる涙の粒が綺麗だなと思った。
「君は死んでいて、でもそのことに気づいてなくて、死んでからもずっと、学校の図書室に行き続けた。そんな君を見かけて、俺は君に、一目惚れしたんだ」
五本の指がなくなった手の甲に、そっと口付ける。
「君が、本当の学校の図書室に入る瞬間の空間をねじまげて、こっちに呼んだ。どうしても、君の魂が欲しくて」
「た、ましい…?」
「そう。君はとても綺麗だ。すごくいい香りもする。誰かに取られる前に、俺のものにしてしまいたかった」
ふっくらとした唇が、涙で濡れている。
「ていうか、君はもう、俺のものなんだけどね」
「え……?」
「さっき、君が『タマシイの欠片』をくれた。交渉は成立した」
チョコレートの包み紙をひらつかせる。
「というわけで、このゲームはおしまい。君もおしまい」
「ま、待って。私、なんで…っ」
「なんで?なんで君が死んだのか?それとも、なんで図書室に来たかったのか?」
「わかるの…?」
「んーん、知らない。興味もない。から調べる気もない」
「……っ」
愕然とする彼女に、俺はふわりと微笑んだ。
「さよーなら」
触れた彼女の腕が、さらさらと崩れ落ちる。
「いや…っ、助けて…!」
的の外れた悲鳴に、俺は肩をすくめた。
彼女はとても綺麗で、とても良い香りだけど、なんだかちょっとだけ面倒になってきたかも。
飽き性が過ぎる。直せ。と、あいつのお説教が脳裏をかすめて、イラッとした。
「ねえ、最後まで美しくいてよ。もったいないよ、せっかく綺麗なんだからさ」
顔の1/3が消えた彼女が、涙まじりに呟く。
不気味な程に静まり返った図書室の、一番右側の机の窓際の席。
の、斜め斜め前の通路側の席に座って、小説の真ん中あたりを開いて、頬杖を付く。
ブレザーを脱ごうかと思って、やめた。その代わりに、ネクタイを少し緩める。
制服というのは、なんか窮屈なものだ。
(けど、まあ一種のステイタスと思えば、それも楽しいか。ね)
今日、本棚から適当に引っ張り出したのは、どうやら恋愛小説だった。
(あなたがいないと生きていけないの!って、重い。重いぞあんた)
唐突にわめき始めたヒロインに、眉を潜めてツッコミをいれる。
まるっと依存はよろしくない。もっと自立しなさい、マジで。と、ヒステリックなヒロインに語りかける俺の横を、ふわっと甘い香りが通り過ぎた。
(……!キターッ!!)
その香りの主は、定位置である図書室の一番右側の机の窓際の席、つまり俺の斜め斜め前に座った。
視界の端で、彼女の動作を知る。
鞄から出すノートの表紙は桜色。ペンケースは布製でアイボリー。ファスナーにビーズ製の赤いクマのチャームがついてる。
彼女が、ほぼ毎日、この時間、ここに来ることを知っていた。
だから俺はここに座っていた。
ストーカーじみた行為だが、恋心の淡さを鑑みて、何卒大目に見て欲しい。
シャープペンをカチカチとノックする音が聞こえた。
彼女がノートを開き、さらさらと文字を書き込んでいる。
うつむく彼女の横顔を、ぎこちなく見つめる。
長い黒髪を耳にかける仕草が、窓から差し込む陽の光に縁どられて、とても綺麗だ。
(ああ、綺麗だなあ…本当に綺麗だなあ…)
うっとりと眺めていた次の瞬間、俺のお腹が、ギュルルルン、ギュッ、キュッとギャグみたいな音を盛大に立てた。
「なっ…!!」
慌てて両腕でお腹を抑えるが、そんなのは意味のないことで、焦った顔の俺と、びっくりした顔の彼女の、目があった。
「や、すいませんすいません、あの…っ」
顔を真っ赤にして立ち上がると、彼女はクスリと笑った。
そして鞄のポケットから何かを取り出した。
「どうぞ」
「えっ」
差し出されたそれは、一粒のチョコレートで、俺は、そのチョコと彼女の微笑みを交互に見た。
「い、…いいんですか?」
「ええ、どうぞ」
手を伸ばして、ちょっと迷った。
「本当に、いいんですか?」
念のために確認をすると、彼女は不思議そうに首をかしげてから、もう一度微笑んだ。
「はい。どうぞ」
「……じゃあ」
俺は、彼女から、そのチョコレートを、受け取った。
左の手のひらにのせて、思わずため息をつく。
「…せっかく楽しかったのになー…」
「え?」
「いや、終わっちゃうの残念だなって思って。チョコ、ありがとう」
包み紙を開いて、口の中に放り込む。それは、想像を超えて、甘かった。
「うまいー」
頬を緩める俺に、彼女は言いにくそうに口を開いた。
「あの…ね。あなたは、誰…?」
「俺?」
キョトンと自分を指さすと、彼女はその可愛らしい顔をますます戸惑いで染めた。
「ここ…女子校なんだけど…」
「あ。そっか。そうね、うん女子校だ」
ポンと手を打つ。
「あなた、ここ数日、この図書室に来てるよね?どうして誰にも注意されないのかなって、ずっと不思議で」
それに、と彼女が続ける。
「学校の関係者の人かなって思ったんだけど、今日は制服着てて、よく見たら私と同い年?どこの学校?どうしてここに入って来れたの?」
彼女にとって異質な存在である俺に、聴きたいことを沢山ためていたらしい。
矢継ぎ早に質問を受けて、俺は首の後ろをかいた。
「えっとね。順番に行くと、俺は学校の関係者ではなく、今日制服を着たのはなんとなくの気分で、年令と学校はひ み つv で、どうしてここに入って来れたかってのは…うーん」
種を明かすのは非常に惜しい。が。
(もう、貰っちゃったもんなあ)
チョコの包み紙を指で弄んで、息をついた。
「俺が入ってきたわけじゃなくて、君をここに誘いこみました」
「……え?」
眉をしかめるその顔も綺麗。
そしていい香りだ。
「ここは俺が作った空間です。本当はね、なにもない世界なんだよ。ほら」
パチリと指を鳴らすと、彼女が座っていた椅子も机も、夕日が差し込む窓も、本棚も天井も廊下も、なにもかもが消えた。
白い空間に、俺と君の、ふたりきり。
「な、なにこれ…!」
「学校の図書室ってのは、君の演出だよ。『そこへ行きたい』『そうであって欲しい』っていう君の願いを反映させたんだ。君は、放課後に学校の図書室へ行きたかった。そうでしょ?」
首をかしげる俺に、彼女は混乱した様子で後ずさるような動作をした。
「ごめんなさ…あなたが何を言ってるのか、わからない…」
「だよねー」
俺は、何もない空間に腰を掛けて、足を組んだ。
「どうしよう。丁寧にまるっと説明すべき?そしたら納得してくれるかな。でも、君が納得してもしなくても、結果は変わらないんだ。ごめんね」
「何を言って…」
「でも君にはサービスしてあげる。なにせとびきりの美人だからね」
呟いた一瞬後、彼女の目の前に立ち、綺麗な綺麗な髪を、そっとかきあげる。
「……っ」
「ああ、そんなに怯えないで。痛いことはしないから」
にっこりと微笑んで、その形の良い耳に、出来るだけ優しく囁いた。
「あのね。君は、死んでるんだよ」
「………?!」
驚愕と恐怖に歪んだ顔を見て、笑いがこみ上げた。
「ほら、見てごらん」
そっと取った彼女の手の、指先が、さらさらと砂になって、白い世界に舞い踊る。
「…き、きゃああああああああっ!!!」
ひきつるような悲鳴を、人差し指でそっとふさいだ。
目尻から溢れる涙の粒が綺麗だなと思った。
「君は死んでいて、でもそのことに気づいてなくて、死んでからもずっと、学校の図書室に行き続けた。そんな君を見かけて、俺は君に、一目惚れしたんだ」
五本の指がなくなった手の甲に、そっと口付ける。
「君が、本当の学校の図書室に入る瞬間の空間をねじまげて、こっちに呼んだ。どうしても、君の魂が欲しくて」
「た、ましい…?」
「そう。君はとても綺麗だ。すごくいい香りもする。誰かに取られる前に、俺のものにしてしまいたかった」
ふっくらとした唇が、涙で濡れている。
「ていうか、君はもう、俺のものなんだけどね」
「え……?」
「さっき、君が『タマシイの欠片』をくれた。交渉は成立した」
チョコレートの包み紙をひらつかせる。
「というわけで、このゲームはおしまい。君もおしまい」
「ま、待って。私、なんで…っ」
「なんで?なんで君が死んだのか?それとも、なんで図書室に来たかったのか?」
「わかるの…?」
「んーん、知らない。興味もない。から調べる気もない」
「……っ」
愕然とする彼女に、俺はふわりと微笑んだ。
「さよーなら」
触れた彼女の腕が、さらさらと崩れ落ちる。
「いや…っ、助けて…!」
的の外れた悲鳴に、俺は肩をすくめた。
彼女はとても綺麗で、とても良い香りだけど、なんだかちょっとだけ面倒になってきたかも。
飽き性が過ぎる。直せ。と、あいつのお説教が脳裏をかすめて、イラッとした。
「ねえ、最後まで美しくいてよ。もったいないよ、せっかく綺麗なんだからさ」
顔の1/3が消えた彼女が、涙まじりに呟く。