十六夜(いざよい)花火(前編)
1時間もするとかなりの酔いが健三にも回ってきた。暑い炎天下の中で仕事をすると体力を使う。汗をかくぶん新陳代謝がいいのか、よくアルコールが回った。
加奈子も機嫌がいいらしく饒舌にいろんな話をした。もっぱら健三は聞き役だった。いつもの事ではあるが。
「健ちゃん、さっきの話・・・女は嫌いなの?」
「嫌いな筈はないだろ」
「じゃ、どうしてんの?」
「どうするって何をだよ・・」
「下半身・・・」
ブッとビールを吹き出し、加奈子を見た。
「お前、よく平気でそんなこと聞けるな〜。俺の方が恥ずかしくて言えねぇよ」
「昔、水商売やってたから。男って頭の中はすることばっかりでしょ。いっぱい聞いたけど」
「あのさ・・・他の男と一緒にすんな。俺は・・・我慢してんだ。これでいいか・・」
「やせ我慢?じゃ、したい気はあるのね。ホモじゃないのね」
「ホモ〜?馬鹿か・・・そんなんあるわけないだろ」
「女も嫌いなんだ」
「・・・・・何を言いたいんだ・・」
加奈子は健三の赤くなった恥ずかしい顔を見ると、少し腰を浮かせてテーブル越しに健三に近づいた。
「この、おっぱいあげる」
健三はいきなり加奈子が自分で持ち上げてみせる胸の谷間に視線を落とすと、正直恥ずかしくなった。
「おっ、おっ、お前酔ってねぇ〜か。ちょっとおかしいぞ。欲求不満か・・」
いつもの健三らしくない声高の返事が返ってきた。
それを聞いた加奈子はわざとさらに挑発する。
「健ちゃんにあげるから、貰って・・」
健三は手で遮りながら
「おぉ〜い、勘弁してくれ」と言って、照れ隠しなのかビールをあおった。
加奈子は浮かせた腰をちゃんと椅子に座りなおすと、テーブルに頬づえをついて健三を正面から見た。
「健ちゃん、うぶなのね・・・」
「勘弁してくれ。そういうの慣れてないんだ」
「あら、出張の時飲みに行ったりしないの」
「たまには行くけど、野郎ばかりでスナックだ」
「ヘンなとこは?」
「俺は行かない」
「遊ばないの?」
「遊ばない・・・」
「ふ〜〜ん、草食系?」
「なんだ、その草食系って」
「知らないの?まぁいいわ。やっぱり健ちゃん私の好み」
「別にお前から好みって言われても、俺は嬉しくねえ」
「・・・・いいわ・・・」加奈子は健三をうっとりした目で見る。
健三の視線が胸の谷間に時々泳いで来るのを加奈子は見逃さなかった。ちゃんと意識してるな・・・よしよし・・。
健三みたいな男には急な接近は刺激が強すぎる。まず意識の中にこの胸を埋め込ませるのだ。欲求が高まった時、絶対この胸が頭に現れる筈だ。少しずつ洗脳していけばいい。
加奈子はそれから話の途中で胸を突き出したり、暑いと言っては胸の谷間に風を送り込んだり健三の視線を持ってこさせた。
2時間ほど飲んで帰ることにした。勘定は健三がしてくれた。暖簾の外に出ると、まだ外はなまぬるかった。夏の夜風はまったりして、すぐまとわりついた。
加奈子は健三の片腕を取ると、自分の胸に押し付けるように腕を組んだ。
「暑っ苦しいだろ」健三が嫌がる。振り払うように加奈子の胸から逃げた。
「もぉ〜〜健ちゃん、冷たいんだから・・・」
加奈子は健三のシャツの裾をつかむと、子供のように後ろからついてきた。
ホテルのフロントに到着すると健三は「403号室」と言った。
続いて加奈子が「402号室」と言った。健三が加奈子の顔を見る。
「隣空いてたから・・貰っちゃった・・へへっ」と加奈子が言った。
「・・・・」
健三は黙ってエレベーターの方に向かって歩き出した。二人狭いエレベーターに乗り込む。ロープを手繰り寄せるような低い音をそのエレベーターは発しながら上階へと登って行った。
二人並んで出れない幅のエレベーターの扉を出ると左右に細長い廊下が続いていた。節電の為だろうか薄暗い。
加奈子と健三の部屋はエレベータホールから右に五つ目と六つ目の部屋だった。
「行かないからな・・・」先に健三が言った。
「別に呼んでないわよ・・・来たいの」加奈子が笑って言う。
ドアはすぐ隣同士だった。
細長いプラスチックに部屋番号が刻印されてある鍵を差し込むとガチャリと音がした。
二人とも顔を見合わせると「おやすみ」と言って、お互い自分の部屋に入って行った。バタンとドアが閉まる音が一つに聞こえた。
ビジネスホテルの薄い壁1枚隔てて同級生だった男と女が、隣同士で寝ることは決められた運命だったのだろうか。外には下弦の月が顔を出し始めていた。
作品名:十六夜(いざよい)花火(前編) 作家名:海野ごはん