サクラモリ
縁側を見ると暁がいた。中に戻ろうと靴を脱いでいたところだった。「アキくん」声をかけると、暁は驚いた顔で紗代子を見た。
「紗代ちゃん! 来たんや」
「うん、お母さんと来てん」
紗代子はそのまま縁側廊下に腰を下ろした。暁も廊下に腰をかけたままにした。
「来てくれるて思ってなかったわ。舞妓さんの修行て、そうそう抜けられへんのやろ?」
「おじいちゃんのお別れやし。お世話になったし来なあかんやん」
そう言って紗代子は笑った。きれいに並んだ小さな歯が桜色の唇の隙間からのぞく。相変わらずかわいいな、と暁は素直に思った。会えて嬉しいというのがまぎれもない本音だった。通う学校にこれほどの美人はいない。叔母に始まり、幼なじみにこの紗代子と周囲に美人が多く恵まれていることは、暁はよく知っていた。
紗代子の肌は宵闇に青白く映え、中庭にやった眼差しが大人びて見えた。暁は少し照れを覚えたが、そこでは幼なじみの意識を超えることはなかった。
「内緒やで」
紗代子は視線を変えず言った。「えっ」もう一度、紗代子の顔を見る。ゆっくりと長い睫毛を伏せたかと思えば次の瞬間その黒い双眸はまっすぐに暁を見た。
「アキくんに会いに来た」
時間が止まったかのように、紗代子の表情は変わらなかった。障子の向こうからの喧噪が遠く聞こえ、暁は心も体もふわりと浮いたような心地になった。
言葉を失った暁に、彼女はふと微笑みかけ、中の様子を少し伺いながら、彼の手を握ってきた。
顔が、熱くなる。
心臓の音で、何も聞こえない。
体が、強張る。
二人はそのまま、紗代子を呼ぶ声が聞こえるまで、縁側に腰掛け暗い中庭を眺めた、ふりをしていた。