濃霧の向こう側に手を伸ばして
彼女はちゃぶ台に散らかした薬を手の平で端に集めると、もう片方の手の平に落とし、それを一気に口の中に放り込むと、台所に置いてあった水をごくごくと飲んだ。
「薬ないと眠れないの?」
歩いてきてベッドにすとんと腰掛けると「そうだね」と頷いた。「不眠症だから」
昨日は薬を飲んだ上で出歩いていたのか。随分と危ない事をする物だと思う。いや、歩いている間に飲んだ可能性だってある。
「薬飲んで出歩いたら危ねぇぞ。昨日みたいにふらっと眠っちゃったら周りにいる人、救急車呼ぶかもしんねぇよ」
カラリと笑って「救急車って」と言い、そしてまた笑う。
「薬飲んだだけじゃ暫く眠くならないんだ。結構気持ちが安定してからとか、薬が完全に効くまで切羽詰まってからじゃないと眠れないの」
「じゃぁ俺と話してた時は切羽詰まってたって感じ?」
全く見ず知らずの俺を見て安心する訳がない。となると薬の限界だったと考えるしかないだろう。しかし彼女の答えは違った。
「ううん、武人の顔見たら安心して眠くなっちゃった」
俺は首を捻って「意味分かんないです」と言い、電気から下がるコードを引っ張った。
「多分今日もすぐ寝ちゃうと思うよ」
「意味分かんないです」
俺は出勤時間に合わせてスマートフォンのアラームをセットし、それからニュースのサイトをざっと流し見る。そのうちにベッドの方から静かに寝息が聞こえて来た。本当にすぐに寝てしまったのだなと苦笑し、スマートフォンの液晶を消した。
作品名:濃霧の向こう側に手を伸ばして 作家名:はち