アイスエンジェル
ケータイの電源が落ちた瞬間、目の前が真っ暗になった。両端にいた二人がそっとこちらに寄ってくる気配があり、僕は言う。
「大丈夫。一緒に行こう。慎重に歩いて、転ばないよう、手を握りしめて、歩くんだ……」
口が冷たくなり、一言喋るだけで大きな労力を消費した。滑舌は悪くなる一方だった。それは二人も同じで、彼女たちは一言も話さずにただ近寄るだけだ。
僕らは慎重に歩いた。たまに木にぶつかって転びそうになったが、慌てずにゆっくりと慎重に足を前に出すことで、確実に前進していた。
やがて、今までのごわごわとした気配とは違う、垂直に建てられた木材らしきものに顔面から衝突した。
鼻が痛かったけれど、少しだけ嬉しい。「見つけた」
「でも、入口がないよ」
夏樹が言う。「どうやって入るの?」
僕は記憶を思い出した。確か、階段があったはずだ。
「壁伝いに歩きましょう」
華彩が言う。「山荘を一周するまでに、絶対に扉が見つかるはずだから」
僕らはその提案に同意した。こんなところに電気がきているのか不安だったが、とにかく外にいるよりかはマシだ。杉本の容態も気になるし、一刻も早く部屋の中に入る必要がある。
僕が彼女達と一緒に家を回ろうとすると、華彩が僕の手を掴んで引き止めた。「時計回りにしましょう」
彼女は僕を引っ張り、それにつられて夏樹もついてくる。彼女は杉本の手を握りしめているのでどこにいるかは目で確認することができず、気配でどこにいるのか感じるしかなかった。
ざくざくと雪を踏む音がする。風は冷たく、全身が芯から冷えるせいか、身体から震えが止まらなかった。鼻水は止まらず、頭はガンガンと痛み始めていた。
それでも僕は華彩の小さな手に引っ張られるようにして山荘を壁伝いに歩いた。やがて、華彩の「見つけたよ」というか細い声が聞こえた。
「ここ、階段になっている。私が最初に登るから、ついてきて」
待って、と言いかけたが、華彩は既に階段を上っていた。確かにこの大人数で灯もなしに階段を登るのは危険かもしれない。
「吉岡くん!」
上の方から華彩の声が聞こえた。「お願い、ちょっと来て!」
僕は杉本を壁に寝かせ、階段を這うようにして登った。暗くて階段が見えないから、触って感触を確かめながら登るしかなかった。一段ごとに雪が大量に積もっていて転びそうになったが、なんとか入口に到着した。
「華彩」
「こっちに来て」
突然、華奢な身体が僕の目の前に現れた。あまりにも唐突なので華彩のオデコが鼻に激突し、痛みが走った。
「ご、ごめんなさい」
「大丈夫だから。それより、どうしたの?」
「この扉、開かないの」
僕は手を伸ばしてゆっくりと進む。すると、確かにドアとドアノブがあった。ドアノブには雪が積もっていて、それを払い除けて一度押し、さらに引いてみたが扉はビクともしなかった。
「どうしよう」
華彩の声が弱々しくなった。
「壊そう」
もう躊躇している場合ではなかった。僕は華彩の返事も聞かずに、扉に体当たりした。一回目は無残にも跳ね返され、そのまま地面に崩れ落ちた。
だいぶ体力を失っていたのかもしれない。僕はもう一度体当たりした。バキッと何かが壊れる音がした。あと少しで破壊できるかもしれない。
僕は助走をつけて、再び肩から扉に突っ込んだ。その瞬間、蝶番が外れる音がして、そのまま扉は前へと倒れた。
扉は開いた。部屋の中は外と同様に真っ暗で何も見えない。「何か、明かりになるものを探そう」
僕と華彩は手当たり次第に何かを探した。なんでも良かった。とにかく、明かりさえあれば、なんとか事態を打開できる。
本当に、これは何の役に立つのだろうと僕は自分に対して腹がたった。モノを凍らせる能力なんて、何の役にも立たない。何かモノを燃やす能力の方がずっとマシだ。
カチリ、という音がした。その途端、暗闇を光が切り裂いた。
「あ、吉岡くん、そこにいたんだ」
見ると、華彩が懐中電灯を持って立っていた。
「ここ、昔誰かが住んでたみたい。いろいろ置いてあったよ」
彼女はもう一本懐中電灯を僕に手渡した。僕がそれをつけるとライトが照射され、壁に二つの丸を浮かび上がらせる。「よく、見つけられたね」
「偶然だよ、偶然」華彩は疲れたような笑みを見せた。
僕は懐中電灯を持って外に出た。まだ外には瀕死の杉本と夏樹がいる。
先ほど破壊した扉は室内向けて倒れていた。それを跨いで階段を降り、ライトを照らすと杉本と夏樹が地面に座り込んでいた。
「大丈夫か?」
「吉岡」夏樹が眠そうな目でこちらを見た。「杉本がもう、全然動かない」
僕は急いで杉本に近寄り脈をはかった。どくどくと動く感触がある。まだ、生きてる。かろうじて。
僕は再び杉本を担いだ。夏樹は後ろからついてくる。彼女に懐中電灯を渡して階段を登る。破壊された扉はいまだに床下に倒れている。それを跨いで室内に入ると、いつの間にかランプに火が灯してあった。室内は明るく輝いている。
「ベッドがあったから、そこに杉本くんを寝かせてあげて」
華彩は僕らの先頭に立って室内を進む。寝室と思われる場所は埃っぽく、確かに今まで誰も使っていなかったような印象があった。
だが、ベッドはベッドだ。僕は杉本をそこに寝かしつける。
いくら枝が止血の役割を果たしているからといって、このままでいいのだろうか。医療知識のない僕には何もできず、それが悔しかった。
部屋を、暖めないと。
「華彩。部屋には何か、暖めるようなものはないの」
「あ、えっと、毛布があったかも」探してくると彼女は言って、寝室を出た。
「吉岡、私、どうしたら……」
「一緒にいてあげて」
それ以外に何ができる?僕は夏樹を残して部屋を出た。
寝室を出て再び玄関に戻った。倒れている扉を持ち上げて、ドア枠にはめ込んだ。間違えて外側と内側を反対にしてしまったが、もう一度はめ直す気分にはなれず、そのままにしておいた。
ドアノブはさっきの体当たりのせいで少し曲がっているが、触るとまだ冷たかった。今まで外にさらされていたのだから当然かもしれない。
室内に戻り、リビングルームを発見した。といっても、天井にはランプが一つぶら下がっている程度の簡単なもので、壁際には暖炉が一つあった。
最近の雪女は洋風だな。そんな感想を抱きつつも、ランプの火を借りて暖炉に火をつけることにした。燃えるようなものがなかったので手近にあったイスを壊し、それを暖炉の中にくべて火を起こした。
小さい炎はやがて大きく広がり、バチバチと明るくなる。段々と室内は暖かさを取り戻し始めた。
窓際に立つと、外は真っ暗だ。懐中電灯で遠くまで照らすと、この下が崖になっていることがすぐにわかった。
「こんなところにいたんだ」
いつの間にか華彩が部屋に入ってきた。いつものように白く透き通るような肌に、メラメラと燃えるような炎が照らされて、今日は少しだけ大人びて見えた。
まったく物怖じしない彼女の頬から、汗が垂れた。「ここ、すごく暑いね」
「そう、かな?」