グランボルカ戦記 2 御前試合
「そういえば、ちょっと前にユリウスもカーラにふられたらしいわよ。」
「な・・・」
打ち合いの中で、思い出したようにアンドラーシュがつぶやく。
「やっぱり親子じゃなくても長年一緒にいると、好みって似るのかしら。」
「・・・・・・。」
アンドラーシュの言葉には答えず、ヘクトールは無言で剣圧を強める。
「ちょ・・・怒らないでよ大人げない。あんなの青春の甘酸っぱい思い出じゃない。もう笑い話にする歳でしょう。」
「うるさい。問答無用だ。」
グレートソードとは思えないほどの剣速で襲い掛かる斬撃を、アンドラーシュは冷や汗を流しながらも紙一重でかわしていく。
「あんたねえ、昔っから言ってるけど、そうやって静かにキレるのやめなさいよ。わかりづらいのよ。」
「・・・キレてなんかいない。」
「キレてるっつーのよ。あんたそれで退学になりかかったの忘れたの?」
食事を終えたカーラが空の食器を前に目を閉じて手をあわせていると、椅子の後ろからにょっきりと二本の腕が現れた。
アンドラーシュは見慣れた光景としてやれやれと溜息混じりに見ているが、初見のヘクトールはギョッとして目を剥いた。
その腕の気配に気づいたカーラは、眉をしかめながら、つむっていた目を片方だけ開くと、おもむろに先程まで使っていたフォークを掴んで伸びてきた腕に突き刺した。
「いっでぇぇぇ!何しやがるカーラ!」
「それはこっちの台詞です。まったく、あなたという人はいつもいつも!」
椅子を引いて立ち上がるとカーラは床にうずくまって腕を押さえている男を蹴り倒した。
「ちょっと胸触るくらいいいじゃねえかよ。別に減るもんでもなし・・・」
「何だと・・・?」
男の言葉を聞いたヘクトールは勢いよく椅子を倒して立ち上がると、男を殴り飛ばした。
「貴様、女性を辱めようとしておいて、そのくらいだと?貴様のそのネジ曲がった根性、俺が修正してやる!」
「え・・・?」
「うそ・・・?」
本来であれば止めに入らなければならないはずのアンドラーシュとカーラはヘクトールが男を殴り飛ばしたという結果に驚いてポカンと口を開けて見ている。
その間にもヘクトールは男の胸ぐらを掴んで立ち上がらせて殴りつける。
「あっぶね、何なんだよこいつ・・・ブァッ」
どうやったのか、男が瞬間移動でもしたかのようにヘクトールの腕をぬけだすが、ヘクトールはすぐに男に向かって次のパンチを繰り出して、その後も2発3発と見事なコンビネーションをつなぎ男をノックアウトした。
と、そこに事が至って、やっとアンドラーシュが我を取り戻し、さらに追撃を加えようとするヘクトールを羽交い締めにした。
「馬鹿、お前何やってんだよ!この人、皇太子殿下近衛隊の副隊長だぞ。」
そう叫ぶように言ったアンドラーシュの言葉を聞いて我に返ったヘクトールの顔からみるみるうちに血の気が引いていった。
あわや国際問題に発展するかと思われた事件は、学院の貴賓室で顛末を聞いた皇太子テオドールの大爆笑によって不問にふされる事になったが、副隊長を殴りとばした相手を見てみたいという鶴の一声によってヘクトールは貴賓室に連れていかれた。
「ふうん、君がランドールをねえ。」
部屋に入ってきて傅いているヘクトールに無警戒で近づくと、皇太子はヘクトールの周りをウロウロと歩いて、舐め回すように見てから、「よし」と言って手を叩いた。
「ヘクトール。よかったら、私の配下に入らないか?もちろん学費は今までリシエール国王がしていたようにこちらで持つし、リシエール側にもきちんと話を通す。どうかな?」 突然の皇太子からの提案に、ヘクトールは面食らって答えに困った。
「いえ・・自分はその・・・。」
答えに困り、目を白黒させているヘクトールを見かねて、カーラがため息をつきながら助け舟を出した。
「テオ、悪い冗談でうちの学院の生徒を困らせないでちょうだい。」
「いや、カーラ。僕は冗談のつもりなんてないよ。ランドールを殴り飛ばせるくらいの人材だ。この子は将来強い戦士になる。」
「冗談じゃないなら、なおさらやめてちょうだい。この子にはこの子の事情や運命があって、隣国から特別留学生として来ているのだから、あなたの勝手な思いつきでその事情や運命をねじ曲げようとするのはよくないわ。」
「そうは言うけど、運命は切り開くものだろ。」
「そうよ。ただし自分で選択してね。あなたのやっていることは圧力をかけてヘクトールが自分で運命を切り開くのを邪魔しているだけでしょう。違う?」
「う・・・。」
「でもまあ、確かにヘクトールの成績は近衛科ではアンドラーシュと並んで良いし、こちらの国に来てくれるというのであれば大歓迎なのだけれど。」
ヘクトールの成績はカーラの言うように学科トップだが、なぜそのことを他学科の講師である彼女が知ってくれているのか。ヘクトールの頭の中は、先ほどまでの後悔の念も、混乱もさっぱり消え去り、もしかしたら彼女が自分に興味を持ってくれているのではないか。そんな淡い期待でいっぱいになり心が躍った。しかし、ヘクトールのそんなほのかな幸せの時間は扉を強くノックする音と、そのノックの主の声でかき消された。
「近衛科講師、ヴィクトル・ハリテリウスであります。私のクラスの生徒が殿下に粗相を働いたと聞き、馳せ参じました。」
扉の近くに立っていたカーラが扉をあけてヴィクトルを室内に招き入れると、彼の目は血走り、肩でゼイゼイと息をしていた。おそらくは走ってきたのだろう。彼は息も整えずにテオドールの前に跪くと、剣を掲げるようにしてテオドールの前に差し出した。
「生徒の不始末は私めの不始末。是非に殿下の手でお裁きを。そこなヘクトールめはまだまだ未熟。しかしながら、将来グランボルカに迎えることができれば、必ずや殿下のお力になることもできる人材。ですので何卒ヘクトールの命はご容赦を・・・。」
「いや、ヴィクトル先生。僕にはそういうつもりはないですよ。ただ、ランドールを殴り飛ばしたっていう生徒がどんな人間なのかちょっと興味があって、話をしてみたいなあって思っただけです。もちろんヘクトールに何か制裁を与えるつもりもありません。」
「そうですよヴィクトル、テオがそんなことくらいで目くじら立てるわけ無いじゃない。たかだかランドールが殴られたくらいで」
「なんだ殴られたのはランドールだったのか。まあ、それなら納得と言えば納得だな。」「お前ら皆そろってひどくないか。みんなのアイドル、ランドールさんが殴られたっていうのに、たかだかとか納得とか!」
「アイドルではなく痴漢でしょう。まったく。」
「ほう。ではランドールはまたカーラに何かしようとしたというわけか。」
「そうなんですよあなた。そこをヘクトールがかばってくれたの。」
・・・あなた?
「そういうことだったのか。ヘクトール、ウチのが世話になったな。礼を言う。」
・・・ウチの?
「・・・ヴィクトル先生。一つお伺いしてもよろしいでしょうか。」
「ん?」
「先生はカーラ先生とはどういった・・・。」
二人のやり取りを聞いて、なんとなく嫌な予感がしながらも、ヘクトールが恐る恐る尋ねた。
「夫婦だが。」
「え・・・。」
作品名:グランボルカ戦記 2 御前試合 作家名:七ケ島 鏡一