アルナイ
その時のものはどうか判らないけど、あんなにも澄んで響く音だ。しょっちゅう吹いていたのなら、そう感じる人もいただろう。それでも、あの音は私にとっては、私と零をアルものにした、大事な音だ。
「それで、注意がてらそれを伝えたら、彼、何て言ったと思う?」
「何て、言ったんですか」
消え入るような声で問うた私に、管理人さんはくすりと小さく笑い、内緒話をするかのように、声を潜めた。
「『すみません。音楽が好きなんですが、歌うのが下手で、それでも好きだから、つい口笛を吹いちゃうんです』って。茶目っ気のある顔に、注意する気も失せちゃうそうだったわ」
その時の零を思い出しているのか、可笑しそうにくすくすと笑いながら告げられた言葉が、余りにも彼らしくて、言い方どころか彼女の言う『茶目っ気のある顔』までもが容易に想像できてしまい、私までも小さく笑ってしまった。
「もう、半年も経つのね」
笑顔の余韻を残しながら、彼女は小さく、感傷的にぽつりと落とした。彼女の中に零は有った。
「ごめんなさいね、まだ辛い筈なのに。でも、あんまり気にしすぎてもダメよ。貴女にとっても、彼にとってもね」
「はい……」
ぽん、とそれこそ母親がするように、私の頭に乗せられた彼女の手は、零のそれとはまるで違っていて、ほんのりと優しい温かさを持っていた。
「暫くはきっと空き部屋のままだから、好きな時に見に来なさい」
彼女は軽く私の頭を撫でた後、温和な笑顔を残しアパートの中へと入って行った。もしかしたら勤務終了時間だったのに、引き留めてしまったかもしれない。猫は起き上がり、私に寄り添うようにして立ち、ちらりとこちらを見遣った。私は相変わらず零の窓の前に立ち止まったまま、撫でられた頭に零を想った。
零は半年前に死んでいた。
「でも、ゴメン。零、私、知ってたよ」
何となくだけど、気付いてはいた。彼は他とは何かが決定的に異なることに。過ごす時間を重ねていくうちに、それは如実になっていた。
最初から、彼は何かがおかしかったから。普通ならばちっぽけな筈の口笛は、彼の空間だったあの部屋から離れた私にまで届いた。彼は自分の声が私に届いていることに、酷く驚いてもいた。他の場所へは行けないこと、極端に触れることをしなかったこと、先月のライブになんて行けた筈がない。アパートの住人が帰る度に部屋へ身を隠したのは、彼はいる筈がない存在だから。触れた唇の凍てつくような冷たさ、繋いだ手の冷えた感覚。どちらの時も、その冷たさに驚いて気付くことができなかったけれど、あの時、彼自身に触れている確かな感触はなかった。そして、彼の言っていた『往かなきゃいけない場所』。
判っていた。判っていたから、私は引き止めなかった。引き止められなかった。往かないでなどと、言えるわけがなかった。彼は死んでいて、私は生きているから。どうしたって、それは変えようのナイ、間違いのナイ現実だから。
「だけどね、零」
ナイナイ尽くしじゃ、なかったよ。例え私と零が会えたのが、世界の気紛れだったとしても、そこに何も残らないなんてことはないと思うんだ。零と私が会えた意味はアルし、ダメにも無駄にもなりはしない。本当は有り得ないはずの出来事で、有り得ないはずの時間だったとしても、私達は確かに会って、一緒に笑って、恋をしたよ。
黒猫が、懐かしくすら感じる彼の音に似た声で、小さく泣いた。
好かれる自信も 愛せる強さも 信じる勇気も
今でも ナイナイダメダメ尽くしの 私だけど
望んで望んで 仕方がナイ程の 熱がアルの
今日の予定は 君と居ること
やりたいことも 君とアルこと
何かをやろうと したのなら
ホラ ホラ そうして 君が隣に
ソウ 二人でならできること アルアルアル #
私と彼は、アルナイ。
『アルナイ』 歌:pétales(ペタル)
作詞:ジュリア 作曲:スタリナ 編曲:ソリドール
今日の予定は 寝てるだけ
やりたいことは 何にもナイ
何かをやろうとしてみてもね
アレアレ どうして こうなるの?
ホラ 私にできることなんて ナイナイナイ
好かれる自信も 愛せる強さも 信じる勇気も
ナイナイ尽くしの ダメダメ尽くしの 私だけど
欲しくて欲しくて 喉から手が出る 望みだけはアルの
君を追い掛けた
歩んでゆくべき 道はナイ
行き先を照らす 灯火もナイ
それならきっと ここにアル意味も
ナイナイナイ アレ? 息苦しい
ねェ 君の視界に私なんて ナイナイナイ?
気を引く器量も 目を引く色気も 手にする力も
ナイナイ尽くしの ダメダメ尽くしの 私だけど
それでもいいから一緒に泣こう と 君はナイて
私を掴まえた
好かれる自信も 愛せる強さも 信じる勇気も
今でも ナイナイダメダメ尽くしの 私だけど
望んで望んで 仕方がナイ程の 熱がアルの
今日の予定は 君と居ること
やりたいことも 君とアルこと
何かをやろうと したのなら
ホラ ホラ そうして 君が隣に
ソウ 二人でならできること アルアルアル