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回想と抒情

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均衡


冬は果樹農家にとって農閑期ではない。冬は、古くなった果樹を伐り倒したり、新しく果樹を植えたりする季節でもあるし、剪定の季節でもある。だから、伐り倒された樹を運んで薪として使用するために割る作業や、細い枝を畑で燃やす作業に追われる。薪運びと薪割は私の仕事であった。畑から運搬車で薪を運んできて、家の裏手にある木小屋の前に空いたスペースに薪を降ろし、木小屋から細長いシンプルな造りの薪割機を引っ張ってくる。この薪割機はエンジンと薪を置く部位と鋼の楔からなっている。薪を低い胴の上に載せ、先端の壁のようなところに押し当て、レバーを倒して楔をゆっくり薪に進入させる。すると、薪は木の素性に従って、少しずつ、あるいは一気に割れる。そうして割られた薪を今度は適当な場所に積んでいくのである。この仕事にはまず軍手が必要だし、爪はこまめに切らなければならない。木の肌は硬く荒れているし、それを取り扱うにあたって爪は各方向から衝撃を受けるので、爪が伸びていると割れてしまうのである。

私は外の光と風を浴び、ときには小雨や小雪を浴びながら、あたかも言葉を発するかのように薪を割り、薪を積んでいった。体の動作は一つ一つが意味と抑揚を持ち、あたかも言葉のようであったし、仕事の成果は出来上がった文章のようでもあった。言葉が社会の中で学習されるように、労働もまた社会の中で語彙と文法によって学習されるのである。薪を一つ一つ割る、その度に新しい認識が閃くようでもあるし、薪を一つ一つ積む、その度に新しい表現が生まれるかのようだった。言葉が外に発され他者へ届くものであるのと同様に、労働もまた身体から発され外に成果として蓄積され他者に承認されるのであった。うず高くきちんと積まれた薪の山は、私の一つの整った文章であるかのようだった。

連日薪割に勤しんでいると、まず背筋が重く痛くなる。そして肉体労働の連続に伴う特有の消耗感に襲われる。労働の持続によって失われていくものが確かにあった。私は太古の時代の人間の疲労と自己の疲労を重ね合わせた。疲労するということにおいて、私は時空を超えて太古の人間とも異国の人間とも連帯できた。だがその連帯は喪失という意味における連帯であり、その連帯によって何かが獲得できるわけではない。私は己の肉体の内部で何かを失ったというよりは、己の労働を可能にしたあの光と風と小雨と小雪を鮮明に失ったように感じた。内部にあるものは失えないのではないか。人は何かを失うとき決まって外部を失う。それと同時に、労働の成果、つまり整然と積まれた薪の山の達成は獲得されたものであるし、しかも私だけではなく家族も同時にそれを獲得したはずである。失ったものと獲得されたものがそこで均衡するのを、私は疲労し憂鬱になった頭脳で考えた。いや、わずかに均衡していない。均衡を感じ取る疲労した頭脳、これが媒介として余計に余ってしまった。均衡には常にその均衡を可能にする連結部があり、私はその連結部として何ものとも均衡せずにただ余っていた。

作品名:回想と抒情 作家名:Beamte