回想と抒情
風邪
実家の二階にある寝室、家具の匂いが強い部屋で、幼かった私はしきりに咳をしていた。肺から何もかもを洗い出し絞り出すかのように激しい咳をして、掛布団を小刻みに揺らしていた。脳を巡る血液は熱く、著しく濁っていて、私の表象を霧で満たした。私は熱にうなされながら悪夢を見た。大八車の片輪が壊れて、積まれてある砂のような荷物が無残にも辺りに崩れ落ちる夢だった。それは何か私の心を重く突き刺し、強度の悪意でもって取り返しのつかなさを主張する夢だった。咳はもはや鈍く濁ったものではなく、鋭く何かを呼び起こすようなものになっていた。そんなとき、私は死が安らかに自分に訪れてくるのを感じたものである。死は恐怖のようにざらつくものであったが、不思議と私全体を柔らかく包んでくれるものでもあった。部屋の東側の上部に空けられた窓から入ってくる光にも死が浸透していて、枕元に積まれてある洟をかんだ後のちり紙にも、死はゆっくりと舞い降りているかのようだった。そのように、死はある意味色彩であった。それと同時に、死はある意味構成でもあった。私の体は静かに裏返っており、普段は生の側ばかり現れているが、そんなときは死の側が私を構成しているかのように思えた。人間にとって死は不可能であるが、風邪が酷いとき、死は生の中に透き通っていくものとして、生と絡まり合った。
私を貫く時間の屈折するところに、風邪の時間があった。それは私を苦しみの中に囚えるものでもあったが、同時に私を日々の生産や成長から切り離してくれるものだった。高校時代、プログラミングに熱中して徹夜した後に風邪をひき、北側の子供部屋のこたつの中で寝ながら、そこに私は生と死、進展と衰退の二元論が崩壊していくのを感じていた。日々の生産や日々生きることから解放され、ひたすら衰えながらも、その衰えるところに、つまり死が時空間に入り組んできたところにしか成立しない恐ろしい広がりがあった。それは救いのない無であると同時に、まったく自由で可能性に満ちた広がりだった。今日も私は風邪をひいているが、そこに開かれる無際限の空間に、目標や希望や労働を投げ捨てると同時に、その空間全体から安らかな「死」という霊気を呼吸してもいる。