[短編]魔女と大鎌
背を向け惨めに逃げ惑う人間に追いすがって、手にした大鎌を振るうと、柔らかい肉が引き裂かれる感触が手に伝わってきた。
しゃっ、と勢いよく鮮血が噴き出す。わたしの顔にも掛かって、生温い液体が目の端を滴るのがわかった。
不快だ。返り血も、生きた肉の感触も。
けれど仕方ない。
こうしなくちゃいけないんだから。
どさり、と命を奪われた人間が血に伏す。
手にした大鎌が甲高い不協和音を発する。まるで慟哭か断末魔のよう。わたしはこの音が嫌いだ。
緩やかに湾曲した刃の先が、それに応じるように白く、白く、光り輝く。
いつものようにわたしは、地面の上に力無く横たわる亡骸の上に、大鎌をかざす。
すると死骸の方に変化が訪れた。
ぐにゃ、ぐにゃり。溶解しているのか、歪んでいるのか。
次第にそれは人の形をなさなくなっていく。
と、不意に『人』だったそれが中空へ浮かび上がる。そして、傾けた皿からスープがこぼれるように、空間から大鎌の刃へと注がれていく。
先ほどとは打って変わって、地の底から響き渡る唸るような低音が、刃から発せられる。
わたしは黙ってその様を見ていた。
これで何人目だろう。
罪もない人を殺めたのは。
いや、わかっている。
わかっているのだ。
これで442人目。これは記念すべき数字なのだから。
薄暗い道。辺りを倉庫が建ち並んでいる。切れかけた電灯が、時折思い出したように通りを照らす。
この道を抜ければ住宅街へ出る。無論、足を向けるのは初めてのことだ。
そこでいくつかの所帯を狙って、そこに住む人々の息の根を止める。そして先ほどおこなったように、この大鎌で魂を身体ごと吸収する。
それがわたしには必要なこと。わたしがやらなければいけないこと。
わたしが、わたしだけが、できること。
わたしが一歩住宅街へ向かって踏み出そうとすると、唐突に人影が現れる。
チカチカと明滅する電灯の、光の隙間から出でたような、不気味な存在。
わかっている。またあいつだ。
わたしは声を掛ける。なんの用かと。
「つれないですね。なんの用か、なんて貴方が一番よくわかっているはずだ。・・・・・・さあ、これを受け取ってください」
あいつはそう言って、わたしの方へと近づくと手を差し出した。
手の平の上には、小さな玉が乗っていた。淡い青色の光を帯びている。宝石かなにかのようにも見える。
わたしは黙ってそれを受け取る。
「いくつ、集まりましたか?」
わたしは正面に立った『奴』を見据える。顔は見えない。あるようにも思えない。
「・・・・・・442」
ぽつりとわたしは呟く。嫌になるぐらい、か細い少女の声だった。
「ほう、もうそんなに」
奴は小さく驚嘆の声を上げる。
「では、あと2000ですね?」
続けてそう言い、底意地の悪い笑みを浮かべた。ような気がする。
わたしは黙っていた。
奴は言う。
「あなたは優秀ですよ。ほとんど魔術にも頼らず、淡々と義務を全うする。効率的で、無駄もない。ええ、わかっていますよ。すべては弟さんのため。そうですね?」
確認するように、嘲るように、奴は言う。
わたしは黙って奴から視線を逸らすと、依然とこちらを見続けている奴を無視して住宅街の方へと足を向ける。
奴の脇を通り過ぎ、前だけを見て進んでいく。
そんなわたしの背中に、奴は声を掛ける。
「ちゃんとそれ、摂取してくださいよ? いくらほとんど魔術を使わないとはいえ、貴方もまたれっきとした“魔女”なのですから、それ無しには生きられないのですよ。“マナ”は必要な分だけ、あなたにはいくらでも差し上げますから、魔術も遠慮無く使ってください。――ああ、そうだ、それと」
奴は一度言葉を切ってから、こう言った。
「弟さんの具合、良いようですね。あと、2000。がんばってください」
わたしは思わず顔が歪むのがわかった。
恨みを込めて後ろを振り返るが、奴は既にそこにはいなかった。
影も形もない。
わたしは苦々しくため息を吐いて、奴から受け取った“マナ”と呼ばれる玉を見つめた。
これは、“魔女”であるわたしにとって、酸素であり、食物であり、命でもある。
口を開けて、それを放り込むと、ふっ、と存在感が消失し、その代わりに全身に魔力が行き渡るのがわかった。
わたしは“魔女”と呼ばれる者だ。
“マナ”を得、魔の法を授けられたもの。
魔女は決してありふれた存在ではないが、同時に極めて稀少な存在というわけでもない。
現に、わたしに“マナ”と魔の法を授けたマスターの元には、わたし以外にも十数人魔女や魔術士がいる。
先ほど現れた奴は、そのマスターからの使い。使者だ。
定期的にわたしに“マナ”を持ってきて、そしてわたしの弟についての皮肉を必ず残していく。
忌々しい奴だ。
けれど・・・・・・。
「かづき・・・」
ぽつりと、弟の名を呟く。
弟は、マスターと奴の庇護の元、どうにか生きながらえている状態だった。
わたしの弟、かづきは魂を半分奪われてしまったのだ。
その魂を埋めるため、こうしてわたしは魔女となり人々の魂を刈り取っているのだ。
『弟さんの具合、良いようですね。あと、2000。がんばってください』
奴の皮肉が胸をえぐる。
具合が良い?
そんなはずがあるか。
まだたったの442。あと2000集めるまで、どうか、どうか無事でいて欲しい。
わたしはずしりと重い大鎌。クレセントサイズと呼ばれる三日月状の刃を持った大鎌を抱え直し、静かに住宅街へと向かう。
時刻は夜7時。
住宅街にはちらほらと歩いている者が見える。
皆一様に、わたしの姿を捉えるとぎょっと肩をすくめる。
遠慮会釈無く、わたしはその者たちを出会い頭に狩っていく。
血が吹き出る。
先ほど浴びた返り血も乾かないうちに、新しい血液がわたしの肌を濡らしていく。
もう、相手を“ヒト”とも思わない。ただのモノだ。
中に内臓が詰め込まれ、血管と神経が縦横に張り巡らされ、それらが一つのシステムを構築している。
ただそれだけの、モノ。
だから、わたしはなにも思うことなく、刈り取っていく。
たまに、無謀にも立ち向かってこようとする者がいる。
危機に対して心得のある者だ。
怯え震えるだけの者たちに比べれば幾分厄介とも言える。
そういう者には、この大振りの鎌は余りに隙が多すぎる。
だから、そう言うときにだけ、わたしは魔術を行使する。
なにも火や雷撃を放つ訳ではない。
一つ、指を立てて念じるだけ。それだけで脆弱な人間の身体はくたりと力を失う。
ただわたしの身体の中に流れている“マナ”が減る。行使しすぎれば、当然わたしは命を落とすことになる。“マナ”はわたしの、命そのものなのだから。
往来をぶらぶらとあてどもなくさまよって、不幸な邂逅に見舞われた者たちを刈り取り、目当ての場所を探す。
ちょうど、わたしが448人目の魂を刈り取ったとき。不意に場違いなほど幸福そうな笑い声が耳に入った。
その方向を見れば、三階建て、庭付きの裕福そうな家がある。玄関にはぼんやりと優しげな灯りが点り、庭に面した窓は生活を象徴するように輝いている。
しゃっ、と勢いよく鮮血が噴き出す。わたしの顔にも掛かって、生温い液体が目の端を滴るのがわかった。
不快だ。返り血も、生きた肉の感触も。
けれど仕方ない。
こうしなくちゃいけないんだから。
どさり、と命を奪われた人間が血に伏す。
手にした大鎌が甲高い不協和音を発する。まるで慟哭か断末魔のよう。わたしはこの音が嫌いだ。
緩やかに湾曲した刃の先が、それに応じるように白く、白く、光り輝く。
いつものようにわたしは、地面の上に力無く横たわる亡骸の上に、大鎌をかざす。
すると死骸の方に変化が訪れた。
ぐにゃ、ぐにゃり。溶解しているのか、歪んでいるのか。
次第にそれは人の形をなさなくなっていく。
と、不意に『人』だったそれが中空へ浮かび上がる。そして、傾けた皿からスープがこぼれるように、空間から大鎌の刃へと注がれていく。
先ほどとは打って変わって、地の底から響き渡る唸るような低音が、刃から発せられる。
わたしは黙ってその様を見ていた。
これで何人目だろう。
罪もない人を殺めたのは。
いや、わかっている。
わかっているのだ。
これで442人目。これは記念すべき数字なのだから。
薄暗い道。辺りを倉庫が建ち並んでいる。切れかけた電灯が、時折思い出したように通りを照らす。
この道を抜ければ住宅街へ出る。無論、足を向けるのは初めてのことだ。
そこでいくつかの所帯を狙って、そこに住む人々の息の根を止める。そして先ほどおこなったように、この大鎌で魂を身体ごと吸収する。
それがわたしには必要なこと。わたしがやらなければいけないこと。
わたしが、わたしだけが、できること。
わたしが一歩住宅街へ向かって踏み出そうとすると、唐突に人影が現れる。
チカチカと明滅する電灯の、光の隙間から出でたような、不気味な存在。
わかっている。またあいつだ。
わたしは声を掛ける。なんの用かと。
「つれないですね。なんの用か、なんて貴方が一番よくわかっているはずだ。・・・・・・さあ、これを受け取ってください」
あいつはそう言って、わたしの方へと近づくと手を差し出した。
手の平の上には、小さな玉が乗っていた。淡い青色の光を帯びている。宝石かなにかのようにも見える。
わたしは黙ってそれを受け取る。
「いくつ、集まりましたか?」
わたしは正面に立った『奴』を見据える。顔は見えない。あるようにも思えない。
「・・・・・・442」
ぽつりとわたしは呟く。嫌になるぐらい、か細い少女の声だった。
「ほう、もうそんなに」
奴は小さく驚嘆の声を上げる。
「では、あと2000ですね?」
続けてそう言い、底意地の悪い笑みを浮かべた。ような気がする。
わたしは黙っていた。
奴は言う。
「あなたは優秀ですよ。ほとんど魔術にも頼らず、淡々と義務を全うする。効率的で、無駄もない。ええ、わかっていますよ。すべては弟さんのため。そうですね?」
確認するように、嘲るように、奴は言う。
わたしは黙って奴から視線を逸らすと、依然とこちらを見続けている奴を無視して住宅街の方へと足を向ける。
奴の脇を通り過ぎ、前だけを見て進んでいく。
そんなわたしの背中に、奴は声を掛ける。
「ちゃんとそれ、摂取してくださいよ? いくらほとんど魔術を使わないとはいえ、貴方もまたれっきとした“魔女”なのですから、それ無しには生きられないのですよ。“マナ”は必要な分だけ、あなたにはいくらでも差し上げますから、魔術も遠慮無く使ってください。――ああ、そうだ、それと」
奴は一度言葉を切ってから、こう言った。
「弟さんの具合、良いようですね。あと、2000。がんばってください」
わたしは思わず顔が歪むのがわかった。
恨みを込めて後ろを振り返るが、奴は既にそこにはいなかった。
影も形もない。
わたしは苦々しくため息を吐いて、奴から受け取った“マナ”と呼ばれる玉を見つめた。
これは、“魔女”であるわたしにとって、酸素であり、食物であり、命でもある。
口を開けて、それを放り込むと、ふっ、と存在感が消失し、その代わりに全身に魔力が行き渡るのがわかった。
わたしは“魔女”と呼ばれる者だ。
“マナ”を得、魔の法を授けられたもの。
魔女は決してありふれた存在ではないが、同時に極めて稀少な存在というわけでもない。
現に、わたしに“マナ”と魔の法を授けたマスターの元には、わたし以外にも十数人魔女や魔術士がいる。
先ほど現れた奴は、そのマスターからの使い。使者だ。
定期的にわたしに“マナ”を持ってきて、そしてわたしの弟についての皮肉を必ず残していく。
忌々しい奴だ。
けれど・・・・・・。
「かづき・・・」
ぽつりと、弟の名を呟く。
弟は、マスターと奴の庇護の元、どうにか生きながらえている状態だった。
わたしの弟、かづきは魂を半分奪われてしまったのだ。
その魂を埋めるため、こうしてわたしは魔女となり人々の魂を刈り取っているのだ。
『弟さんの具合、良いようですね。あと、2000。がんばってください』
奴の皮肉が胸をえぐる。
具合が良い?
そんなはずがあるか。
まだたったの442。あと2000集めるまで、どうか、どうか無事でいて欲しい。
わたしはずしりと重い大鎌。クレセントサイズと呼ばれる三日月状の刃を持った大鎌を抱え直し、静かに住宅街へと向かう。
時刻は夜7時。
住宅街にはちらほらと歩いている者が見える。
皆一様に、わたしの姿を捉えるとぎょっと肩をすくめる。
遠慮会釈無く、わたしはその者たちを出会い頭に狩っていく。
血が吹き出る。
先ほど浴びた返り血も乾かないうちに、新しい血液がわたしの肌を濡らしていく。
もう、相手を“ヒト”とも思わない。ただのモノだ。
中に内臓が詰め込まれ、血管と神経が縦横に張り巡らされ、それらが一つのシステムを構築している。
ただそれだけの、モノ。
だから、わたしはなにも思うことなく、刈り取っていく。
たまに、無謀にも立ち向かってこようとする者がいる。
危機に対して心得のある者だ。
怯え震えるだけの者たちに比べれば幾分厄介とも言える。
そういう者には、この大振りの鎌は余りに隙が多すぎる。
だから、そう言うときにだけ、わたしは魔術を行使する。
なにも火や雷撃を放つ訳ではない。
一つ、指を立てて念じるだけ。それだけで脆弱な人間の身体はくたりと力を失う。
ただわたしの身体の中に流れている“マナ”が減る。行使しすぎれば、当然わたしは命を落とすことになる。“マナ”はわたしの、命そのものなのだから。
往来をぶらぶらとあてどもなくさまよって、不幸な邂逅に見舞われた者たちを刈り取り、目当ての場所を探す。
ちょうど、わたしが448人目の魂を刈り取ったとき。不意に場違いなほど幸福そうな笑い声が耳に入った。
その方向を見れば、三階建て、庭付きの裕福そうな家がある。玄関にはぼんやりと優しげな灯りが点り、庭に面した窓は生活を象徴するように輝いている。