天使にホームシック
「じゃ、どこだったらヤバくない? いいとこあったら教えて」
驚いたようにエンゲルベルトは俺を見た。
「……知らない。本当はよく知らないんだ。けど、あの通りはヤバイって評判なんだ。ホテトルみたいことしている、とか、麻薬も一緒に出されるとか」
「ふうん」
「カエデ、俺と飲もう。いい店知ってるんだ。ね、今日はおごるから」
「……そんなに気をつかわなくていいよ。……でも、飲むのはいいかな」
ひとりでいたくなかった。エンゲルベルトは性格的にちょっとムカつくところがあるけど、日本語でしゃべれるのは嬉しかった。
「だろ。じゃ、Gehen wir!(さあ、行こう)」
「ふふ、Gehen wir!」
ドイツ風居酒屋みたいな店に入って、ドイツビールを飲む。
おいしいんだ、これが。
ソーセージのつまみは格別だし、ビール煮込みのシチューとかさ、パンもおいしくて。酔いも回って、いつの間にか、いい気分になっていた。
「さっき、mein Liebhaber(私の恋人)って言ったよな。なんで? 」
酔って赤い頬をしたエンゲルベルトは、じっと俺を見つめた。
「カエデが好きだからだよ」
眠そうに目を伏せてから、笑った。その顔がちょっと正宗に似ていた。
「じゃあ、俺と寝てよ」
エンゲルベルトの目が大きく開かれた。
そして、一秒後に
「いいよ」
って笑った。
激しくキスを交わして俺たちはベッドに倒れこんだ。
ほんのりとした暗闇の中、飢えるようにエンゲルベルトの服を脱がす。俺も自分で服を脱ぐと、彼の首や頬にキスを浴びせた。
ああ。
ちがう……
あんなにしたかったセックスなのに、エンゲルベルトの匂いを嗅ぐごとに、皮膚の弾力を知るごとに、肌を味わうごとに、心が急速に冷えていく。
ちがう。
ちがう。
まさむねと違う。
あきとと違う。
…………
…………
「カエデ……」
エンゲルベルトが目を開けた。
動きが止まったまま、涙をすすった俺。
「どうしたの? 」
「ごめん……俺……やっぱ出来ないや」
「なんで? 」
「……調子悪いみたい。……ほんと、ごめん。こっちから誘っておいて」
しばらくじっと俺を見上げていたエンゲルベルトは、ふって笑うと、手を伸ばして俺を抱きしめた。
「カエデは好きな人がいるんでしょ? 」
「え? 」
「何となく分かっていたよ。……けど、もしかしたら、ちょっとはチャンスあるかな、って。…………酔わせて襲っちゃえ、って考えてたんだ。ふふ」
エンゲルベルトの胸で聴く彼の声はとても優しかった。
「カエデは、俺にとって少年主人公に見えた。ラピュタのパズー、999の鉄郎、うーん、ちょっとエヴァンゲリオンの碇シンジも入っているかな」
「はは、アムロじゃないから許す」
「なんか、面白い。カエデのキャラクターって」
「エンゲルベルトは……悟空みたいだよ」
「え! あの孫悟空? ドラゴンボールの! 」
超・喜んでます。
あのノーテンキさと、優しさと、二面性のなさと、アホっぽさが似ている……とは、言わないほうがいいだろうな。
「うわお、明日っから、俺、スーパーサイヤ人になる! 」
「止めたほうがいいよ。エンゲルベルトの名前が泣くよ」
天使の輝き……
彼に惹かれたのは、名前のせいかもしれない。
結局、俺は、あの天使たちにどこまでも囚われてしまっているんだ。
「ふっ」
自嘲気味に笑うしかなかった。
家に帰ってモバイルを取り出すと、暁斗からメールが入っていた。
俺が送った「ゲーテアヌム体験」に対する感想と、是非いちど行ってみたい、という強い希望。
ああ。
暁斗とゲーテアヌムに行けたら、どんなに楽しいだろう。きっと、暁斗はすごく興味を持ってくれる。「楓、すごいね」って瞳を輝かせるんだ。いっぱい、いっぱい話しをするんだ。嬉しいな。想像しただけで愛しさがいっぱいになる。
『今から電話していいですか』
メールを打った。
こっちが夜中の一時だから、日本は夕方の五時くらいだ。……学校が終わっていて、タイミングがよかったら、電話できるかもしれない。
トゥルルル…………
夜中の電子音に驚いて、すぐに電話を取った。暁斗からだ。
「もしもしー かえで」
「あきと! ごめん、こっちからかけようと思ったのに」
「いいよぉ。何かあった? 」
「いや、別に用は無かったんだけど……暁斗の声が聞きたくて」
「そっかー。オレも楓の声が聞けて嬉しい。………………」
しばらく黙った。
何も話さなくても、お互いの存在を感じていることが嬉しくて、胸がいっぱいで……
こうやっていると胸の奥の何かがつながっているみたい。
嬉しくて、恋しくて、涙が出てきた。
「ズズ……ありがと」
「うん」
また、しばらく間があく。
暁斗は、俺の感情なんて全部分かっている。正宗が「暁斗と俺は心がつながっている」て言っていたけど、俺とだってこうやってつながっているんだ。
「かえで、愛してるよ」
「うぅ……」
涙が溢れて止まらなくなった。
「俺も……俺も、暁斗を愛してる」
「ここから楓を抱いておいてあげるよ」
「……ぅん……」
暁斗の気に包まれているのが分かった。
それは、とても優しくて暖かくて癒される気だった。その気に包まれて俺は泣き続けた。
愛している
愛している
エンゲルベルト。
これなんだよ。
気やフォースは、戦うだけじゃないんだ。
こうやって、相手を抱きしめることもできるんだ。
愛を与えることも出来るんだよ。
「……ありがと、あきと」
鼻水をすすりながらも気持ちが上向きになっているのが分かった。
「うん。時々は、こうやって電話で抱き合おうよ、楓」
「えっ」
「だめ? 」
「ううん。いい。嬉しいよ。でも、いいの? 暁斗? 」
「なにが? 」
「正宗に妬かれない? 」
「じゃ、正宗にも電話するよう言っておく」
「……あいつ、嫌がりそう」
「そんな事ないよ。あれで、楓のこと気にしているからね」
「ほんと? 」
「うん。…………でも、やっぱり止めたほうがいいかな」
「えっ、なんで? 」
「だって楓、正宗と電話したらヤりたくなっちゃうでしょ? 」
うっ、
そうだった。
正宗は俺のエロスの天使だったからな。
一度だけ正宗を抱かせてもらったんだ。ものすごく綺麗だった。おいしかった。最高に気持ちよかった。もう夢中で彼を抱いた。感動で泣きそうだったよ。今でも夢に見る。毎晩、毎晩、彼を夢で抱く。ペニスを一切触らなくても、抱きしめるだけもイっちゃえる。この世で抱きたいのは彼の体だけだ。
「い、いいよ。ヤりたくなっても。声が聞きたいから、話がしたいから」
ちょっと小さく息を吐く音がした。どこか笑っているような気配だった。
「もしもし、楓」
「まさむね! 」
意外な声に、心臓が飛び出しそうだった。
「おまえ、何やってんの? もっと電話してこいよ。こっちは、そっちの状況分からないんだからさ。おまえは、こっちの生活パターン分かってんだから、そっちから電話かけてくるべきだ」