「舞台裏の仲間たち」 64~65
車は茨城県・水戸市から、北東へ15kmあまりを北上しました。
東は太平洋に面し、西は那珂市、南はひたちなか市、北は久慈川を境として
日立市に燐接している場所に、日本最初の原子力の村『東海村』があります。
水戸市を通過し、海岸沿いを北へ向かい始めた道路は、ここから急にひろくなり道路に沿ってどこまでも、たくさんの原子力施設が立ち並んでいきます。
「それにしても、大きな建物と広大な敷地が続いているわね。
松林が途切れるたびに、大きな建築物が突然に現れるんだもの、
とても田舎とは言えない光景ね」
「国家予算をつぎ込んだ一大プロジェクトだ。
桁違いのお金をふんだんに使って、造られたものばかりだよ。
発電も水力から始まって、火力になったと思ったら
あっという間に、効率性だけを前面に出して、国民の合意を計る前に、
うやむやのまま原子力発電を作り始めてしまった。
広い敷地と言うが、このくらい広範囲にしておかないと
何かあった時には大変な事態になると言う、そんな意味もある」
「原子力の安全利用と言っておきながら、
実際の建物たちは、ずいぶんと隔離されて造られているのね。
やっぱりどこかで万一のことも、考えているということかしら・・・・
本当に安全ならば、こんなに広い敷地は必要ないもの」
「いや、これでも足りないくらいだろう。
万一、放射能漏れなどが発生をしたら、10キロや20キロはおろか、
大きな範囲にわたって、とてつもない被害が出る。
敷地を広くしているというその意味は、
それでもやはり人の本能として、不気味な破壊力を持つ
危険なものには近づきたくない、と言う本音が
潜んでいるかもしれないね」
「物騒な話だわ。
ほんとうに安全は、大丈夫なのかしら・・・・」
「国は安全だと宣伝をしている。
ただし、安全ならば火力発電所などと同じように、
もっと首都圏に近いところに、たくさん建設してもいいはずだ。
こんな海と田んぼしか見当たらない、辺鄙な場所に
わざわざ建設をするということは
暗にそう言う意味が隠されているかもしれない。
キューリー婦人がラジウムを発見して以来
長年にわたって研究されてきた原子力は、平和利用とは言え、
いまだに使用済みの燃料の最終処理方法さえ見つかっていないんだよ。
危険なことに変わりはないさ・・・・
実際に1957年には、イギリスのウィンズケールで
原子炉事故が起きているし、映画の『チャイナ・シンドローム』公開の
12日後には、アメリカでも事故が発生をしている。
それが、1979年3月28日に、アメリカ合衆国東北部ペンシルベニア州の
スリーマイル島原子力発電所で発生した重大な原子力事故だ。
原子力は、いちどその暴走が始まると、まだ現在の科学では
制御ができない代物だ。
そんなことには、ならないように、ただ我々は祈るしかないけね・・・・」
作品名:「舞台裏の仲間たち」 64~65 作家名:落合順平