ガラス細工の青い春
7
メールをすると言った清香だったが、やはり自分からメールをする切欠が掴めず、結局は圭司からの連絡を待った。
蝉が鳴きはじめ、夏休みに入る。清香の気分なんてお構いなしに、あっという間の二十四時間が繰り返される。毎日部活のために学校に登校し、汗だくになり、疲労困憊して帰宅する。そして昼寝をして一日が過ぎる。彼氏がいるとは思えない夏休みの過ごし方だった。
『明日、宿題やらない?』
そうメールが着たのは、合宿の前々日だ。
『いいよ。午後からにしよっか』
部活がない夏休みの午前中は、目一杯眠りたい、それが清香の本音だった。毎日の練習に加えて、往復百分の登下校。灼熱の太陽。耳から離れない蝉の鳴き声。疲れない訳がない。好きな人のためなら、頑張れる。そんなのは立て前だけで、圭司から「午前中に」と指定されたとすれば清香はきっと「午前中は忙しい」と言って切り抜ける。
好きで、好きで、手に入れた。優斗の事で妬いてくれる事がどこか嬉しい。自分に対する気持ちがそれだけ大きいのだと感じて、心地よい。しかし、それと同じぐらい自分も圭司を思っているという事を、どうやったら証明できるのか、伝達できるのか、素直になれない清香にはその術が分からない。
清水先輩に真っ向から立ち向かって行った咲。優斗に嫉妬しそれを口にする圭司。恋愛に必要な真っ直ぐさや少しの猜疑心、そんな物は一つも持ち合わせていないのだと思い、自分は「恋愛」が出来ているのか、不安になる。
「ちょうど母ちゃん買い物行ってるんだ。あがって」
玄関の前でメールを送信した清香を出迎えた圭司は、玄関に散らばっていた靴を揃えると清香を二階に通した。
「麦茶入れて持って行くから、部屋で待ってて」
聞こえないぐらいの声で頷いた清香は、先日圭司と唇を合わせた部屋に入る。思い出して、二三回鼓動が強くなる。
「お待たせ」
盆にグラスを載せて部屋に入ってきた圭司は、あの雨の日と同じように眼鏡を掛けている。日頃学校ではコンタクトを装用しているのだろう。色の白い圭司に黒縁の眼鏡はとても似合っていて、しかし清香はそれを口にできないまま、視線を落として麦茶を口にする。
「何の宿題からやります?」
何かから気持ちを背けるみたいに、清香は持って来た宿題の束に縋る。大袈裟な音を立ててペンケースを鞄から取り出し、ローテーブルに置いた。
「じゃぁ清香の得意な英語にしよう」
圭司の言葉に、清香は英語の問題集とノートを取り出すと、同じ問題集がテーブルの対面に並んだ。
「一緒に解いて行く? それとも後から答え合わせする?」
清香の問いに圭司は苦々しく笑って「ほんとにやるの?」と問う。清香は首を傾げ「は?」と投げると圭司はこめかみの辺りを掻きながら困ったような顔で笑う。
「本気で宿題やるつもりはなかったんだけどな。適当にやって、あとは喋ってるだけで俺は十分なんだけど」
問題集に目を落としたまま、シャーペンを器用に回し、「何それ」と呟き、清香は騙されたような気分に陥る。
よっと、と声に出して立ち上がった圭司はベッドに腰掛け、手の甲で自分の隣をとんとんと叩く。清香を呼んでいる。
自分は恋愛が出来ているのか。不安に思った自分を想起する。ショートパンツのウエストに入り込んだ、Tシャツの裾を直して立ち上がると、圭司の隣に座る。スプリングが自重をもって跳ね返る。
出し抜けに肩を抱かれて身を固くした清香が、圭司には逆に可愛らしく思えたのか、フッと溜め息のように笑ってからゆっくりと清香を押し倒す。
「清香は本当に俺の事が好きなの?」
自分は恋愛が出来ているのか。
「好きだよ」
自分の気持ちを最大限に伝えるにはこの言葉しかないと思い、清香は言い放った。しかしその言葉を聞いても圭司は小首を傾げて「ほんと?」と疑う。清香の耳の横にある圭司の手の平が滑り、圭司の顔が眼前に迫る。
「だったら、してもいい、よね」
清香の返事は待たずに唇は塞がれ、両手は拘束され、僅かな反抗は圭司の身体によって制されてしまう。そのまま身を任せるしかなかった。好きだ。それを今ここで表現できる術は、これ以外にないのかも知れない。これ以外は通用しないのかも知れない。圭司は眼鏡を外した。
下着は剥ぎ取られ、それなりにお互いが緩んだ頃、階下で鍵の音が鳴った。
「やっべ、母ちゃんだ」
その言葉に清香は飛び起きて、辺りに散乱している自分の下着とショートパンツを急いで身につける。乱れた前髪と、団子に止めた髪を手早く修正し、さも今まで宿題をしていたかのようにローテーブルの前に座って息を整えた。
階下から「圭、お客さん?」と声が上がってきた。「清香ちゃんが来てます」圭司がドアを開けて階下に声を飛ばす。
裸の上半身に水色のTシャツを被り「すげぇタイミングで帰ってきたなあのババア」と悪態をき、ローテーブルに置いた眼鏡を掛けた。
「これは宿題やれって事じゃないですかね、圭司君」
大仰に溜め息を吐いた圭司は、怠そうに頬杖をついた格好で「まじかよー」と吐き、そのまま机に突っ伏した。