ガラス細工の青い春
6
テストが終わり、夏休みに入る前の束の間の授業は、テスト返しに終始する。英語の授業、自分の点数よりも自分のメモを見てテストに臨んだ二人の点数が気になった。
教師に手渡された答案を手に持った優斗が、教卓からふらりと清香の席まで歩いてきた。
「清香、俺英語で三十点以上とったの生まれて初めて」
そう言って見せた点数は五十点で、清香が知っている優斗は大抵百点満点の三割取れたら良い方だから、この点数はかなり良い方なのだ。
「やったじゃん、凄い凄い」
立っている優斗の顔を笑顔で見上げると、目を細めた優斗が「清香のお陰じゃん」と清香の頭を数回撫でた。そう言ってもらえる事は嬉しい事なのだけど、圭司がこの様子を見ていたらどう思うのだろうかと不安に感じ、わざとらしくならない程度にすっと視線を圭司に投げた。圭司は、自分の答案が返されるのをじっと待っているようで、腕組みをして教卓の方をじっと見ている。
圭司は答案を返されても清香の席へはこなかった。そのまま自席に座って答案をじっと見ている。何点だったかなんて聞きに行くのもおかしな事だと思い、清香は自分の答案に目を落とした。
放課後、部活に行く前に圭司の席に歩み寄る。「圭司」
「何?」
「英語、どうだった?」
圭司は口の端から笑みを零しながら、鞄から二つに畳んだ白い紙を取り出し「俺史上最高点」と言って七十五点の答案を開いてみせた。
「あぁ、良かった。何も言って来ないから点数悪かったのかと思った」
紙を元通りに折りながらぽつりと言う。「ユウがいたから」
「何?」
「ユウが清香の頭撫でてたから、何となく俺は入れる空気じゃなかった」
自分が招いた事態ではないにしても、何となく何か言わなければと思い「ごめん」と零す。
「別に清香が悪い訳じゃないし、ユウだって悪気はないだろうし。あいつバカだから」
ヘラリと笑ってみせるも、やはりどこか引き攣っているように見える圭司の笑顔に向かってもう一度「ごめんね」と清香は目を伏せた。
教室内の騒がしさが妙に引き立って耳に入る。二人の間にある沈黙を悪い意味で引き立てている。
清香は言葉を探すが、先に口を拾いたいのは圭司だった。
「今日さ、帰り、待っててもいい? 一緒に帰ろうよ」
清香は時計を見ると、白と黒のシンプルな壁掛け時計は三時半をさしている。これから部活動に出なければならない。
「六時半ぐらいまでかかるよ?」
「いいよ、ユウの家で時間つぶして、また学校に戻ってくるから」
ユウの家は学校のすぐ傍にある。時間潰しにはもってこいのスポットで、日頃からたまり場になっている事は知っていた。そこで過ごす三時間が、果たしてあっという間なのか、それとも長い時間なのか、清香には分かりかねた。
「うん。もし待ってるの面倒になったら帰っちゃっていいから。そしたらメールちょうだい」
手に持っていた携帯をちらりと見せると「いや、絶対待ってるから大丈夫」と言って白い歯を見せて笑った。
更衣室で雑談をしながら着替えをする部員を尻目に、清香は大急ぎで着替えを済ませ「今日ちょっと待ち合わせだから!」と言うと走って更衣室を出た。後ろから「見せつけんなー」「ちゃんとお家に帰りなさいよー」と声がついてくる。それに微笑しながら門に向けて走ると、門柱に背を預けて圭司が立っていた。
「お待たせ」
「全然待ってないよ、ユウんとこでゲームやってた」
タバコの匂いがするのは、ユウのせいだろうか。雅樹もいたのかも知れない。その匂いをかき消すように、夕方の風が吹いてくる。どちらからともなく歩き始めた。
「夏休みは部活?」
革靴のつま先に目を遣りながら「そうだね」と清香は頷く。
「大体毎日、三時間練習で、時々練習試合が入ると丸一日、あとは合宿が五日間」
「よくやんなー。それで進学とか考えてんの、すげぇ」
「進学したいのと、進学できるのとは違うからね。とりあえず今は部活」
ワイシャツの裾をウエストから引き出し、ひらひらと風を送り込みながら圭司は「じゃぁ」とこちらを見る。
「どっか行こう、とか言ってもなかなか難しいって事か」
清香は片耳をぎゅっと握って「日によっては大丈夫だけど。休みも何日かあるし」と尻切れとんぼのように言う。
「日程表とか、あるの?」
「うん」
鞄の外ポケットに小さく折り畳んで入れておいた日程表を、圭司に手渡すと「うわー、何だこれ、休み数えた方が早いぞ」と言って人差し指で空欄をトントンと叩く。
「これさ、コピーさせてくれない? 帰り俺んち寄ってよ。母ちゃんいるけど」
清香は耳を握る手に力を込めて「いや、私、外で待ってるからいいよ」と遠慮する。
「何かされると思ってる?」
圭司はいたずら気な顔で笑いながら清香の顔を覗き込むので、我慢ならなくなった清香の頬が赤く染まる。
「そんなんじゃないです。じゃぁちょこっと寄ります」
半分自棄になったような声になった事が更に清香の頬を朱に染めた。
夜になりきれない空は、奇麗な淡紺色に染まり、遠くの方に光る星が一つだけ見えた。
圭司の部屋は、二階に上がった正面の部屋で、玄関の真上に位置している。清香の家と同じ作りで、清香の部屋と同じ位置にあった。
「お邪魔します」
清香の声に反応した圭司のお母さんがリビングから出てきて「ゆっくりしていってね」と笑みを投げてくる。ゆっくりすると言ってももう、清香の家の門限に届きそうだった。
「うち、門限が七時半なんだ」
「七時半?!」
突拍子もない声が上がる。
「そんなの、中学生じゃあるまいし。今時あるんだな、そういう家」
「うちは門限だけは厳しいんだ。あとはゆるいんだけど」
圭司の部屋は、ベッドと机、小さな棚とローテーブルが置いてあるシンプルな部屋で、壁にはサッカーのユニフォームが掛けてある。
複合機の電源を入れ、先程手渡した予定表がコピーされる。ややあって真っ白い紙に予定表が印刷されて出てきた。びっしりと埋まった予定を再度見てしまい、清香はウンザリとする。
「これ、ありがと」
原本を手渡され、そのまま四角く折り畳んで鞄の外ポケットに仕舞った。
「祭りは行きたいな。あと宿題教えて欲しいな。清香は?」
ぼんやりと視線を漂わせ、「お金もないし、その辺の公園で喋ってるだけでも十分」と言うと「夢がないな」と圭司は苦笑する。何となくそれに倣って清香も苦笑する。
「清香」
改めて名前を呼ばれ、無言で圭司の顔を見た時には既に眼前に圭司の顔が迫っていて、次の瞬間、唇を塞がれた。そのまま腰に腕をあてがわれ、しばし時が流れた。
腕から放たれると清香は跳ねるように圭司から距離を取る。
「こうしておかないと、ユウに取られそうだったから。ごめん」
「謝んないでよ。取られないよ、私、優斗の事は何とも思ってないんだから」
何故か言葉に焦りが混ざる。この期に及んでどうして優斗の事をそこまで気にするのか、清香は理解に苦しむ。腕時計を見て「時間」と言うと清香は鞄を肩に掛け「メールするから」と圭司にちらりと視線をやった。まともに顔を見てしまうと、朱に染まった自分の顔が見られそうで、清香は顔をあげられなかった。