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なんて日だ! ショート7つ

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ある家族の風景


高橋慎一  74歳 父
  進   52歳 私
  真由美 47歳 妻
  雄介  23歳 長男
  将   18歳 次男

 私、高橋進の両親は、私がまだ幼い頃に離婚をしております。兄弟は男ばかりの3人兄弟でした。父の連れ子であった長男は父に引き取られて、二男と三男(私)は母に引き取られました。別れた父と長男とはそれからは二度と会う事はありませんでした。

 数年後、私の母は再婚をしております。母の再婚とほぼ同時期に、長崎の五島列島に住んでいた母方の祖父と祖母を大阪に呼び寄せて、一緒に暮らすようになりました。
 私の2番目の父親の慎一は優しくて、すこし頑固で、礼節に厳しい人でした。子供だった私は、この新しい父を、最初はあまり好きにはなれませんでした。ですが、私も成長していくうちに、自然とこの父のことを尊敬するようになっておりました。もちろん、今でも父のことを尊敬していますし、なにより血の繋がらない兄と私の事を、愛情を込めて育て、進学させてくれた事に対する感謝の気持ちは言葉では言い表せません。

 私にとって両親の離婚というものは、実はそれほど私自身に暗い陰を落とすことはありませんでした。それらの事情を理解するには、私はまだ幼すぎたからです。私にはその頃の記憶が殆どなく、正直に申しますと、実の父と長男へ対する未練のような気持ちが私の中にはまったくありません。ですが、6歳年上の兄にとっては親の離婚というものは、私とはまったく別の経験だったのだろうと推測しておりました。
 当時、小学6年生であった兄にとっては、父と母の離婚は十分に理解することが出来たであっただろうし、長男との別れは兄にとっては大きな事件だったに違いない筈です。兄は中学に入るとグレはじめ、それは高校を卒業する頃まで続いていたように思います。私たち兄弟は、母の離婚の事を話題にした事はこれまでに一度もありません。触れてはいけないものだという心のブレーキのようなものが、私たちの心の中にあったからです。
 そんな兄も、いつからか新しい父親に心をゆるし、よく3人で晩酌を楽しんだものです。今では兄も私も、父のことを愛しております。

 やがて祖父祖母も亡くなり、兄も私も仕事に就き、結婚もして自分の家を建て、両親に孫の顔を見せてあげられるような、それなりの者に成長してきました。
 兄弟の話し合いの末、両親は弟である私の家族と共に住むようになりました。これは私が強く望んでいた事でもありました。
 私の記憶の中には、幼い頃に祖父母に、とても可愛がられたという記憶が強くありましたので、自分の子供たちにも出来れば御爺ちゃんと御婆ちゃんの近くで育ててあげたいという希望があったからです。祖父母というのものは、実の両親よりも、子供たちに愛情を注いでくれるものなのですから。
 私の家族は、そんなごく普通の幸せな生活を、長年の間過ごさせて貰っておりました。

 父は普段から健康を気づかう人で、50歳を過ぎた頃からは知り合いに誘われて山登りを趣味にするようになりました。一度始めると決めたら、とことんまでしないと気がすまない性格の父ですから、普段でもトレーニングがてらに毎朝ウォーキングをしています。父のウォーキングコースは近くの大きな公園を周る事で、1周はたぶん4キロ程度のコースだと思うのですが、驚くことに、父はこのウォーキングを始めてからこれまでの20年以上の間、雨、風、台風、正月であろうとも一日として、この朝の日課を休むことはなかったのです。雨風の強い日にもウォーキングに出る父を見て、さすがに家族全員が呆れたものですが、今となっては元気でいてくれる事が家族にとっての幸せですから、そんな日課ですらも馬鹿にする事は出来ません。

 そんな父にはもう一つ、健康の為にしている習慣がありました。それは、定期的に献血をするということでした。
 歩くという運動は、体の中に新しい血を生み出すという働きを促進させる作用がありますが、実はそれ以上に、献血で血を抜くという行為は、より新しい血を作る効果に繋がります。この二つの生活習慣を20年以上も実行していた私の父の髪は、信じられないでしょうが、ほとんどが真っ黒です。ちらほら白髪がみえていますが、黒々としております。70歳を過ぎてしまい、もう献血は出来なくなってしまいましたが、それまではキッチリ3ヶ月おきに献血に出かけておりました。

 ですが、数年前に長年連れ添ったお袋が他界してしまいました。父はひどくショックを受けてしまい、それからというもの、かつての元気も影をひそめてしまい、どこか丸い性格になった印象もあります。毎朝続けていたウォーキングも週に数回程度になり、徐々にその数は減り、もう山登りの会にも参加していない様です。
 その頃から父の髪は、めっきり白く染まってゆき、あんなにも健康的であった体も、見るからに弱弱しく、そして小さくなっていくようでした。
 いつかは来るものだと覚悟はしていた私なのですが、やはり元気な父の印象が忘れられず、どれほど寂しかったことでしょうか。ですから、私はもう一度、父にかつての元気を取り戻して欲しいとの思いから、父の参加していた山登りの会の方に連絡をとり、父を山登りに誘っては貰えないでしょうかとお願いをしてみました。山登りの会の皆様も、母が亡くなってからの父の事を心配していてくれたようで、私の申し出を快く引き受けてくれました。
 結局、父は仲間からのしつこい誘いを断りきれずに、久しぶりに山登りの会に参加する事を決めたようでした。それを私が知ったのは、再び朝のウォーキングを始めたようだと妻から聞かされた朝でした。私は心の中で、静かに喜びました。

 かつての父は、年齢からくる体力の衰えは、日頃の生活習慣と精神力で補えると語っていました。ですが、勿論父の胸中にも葛藤はあった筈です。70歳も過ぎて一旦ウォーキングを止めてしまい、筋力が低下してしまった体と向き合うのは、父自身も初めての経験です。かつてのように山登りの会に参加していた頃のような肉体に戻す事は、予想していた程に易しいものではなかったに違いありません。ですから、私もあまり大きな期待はせずに、少しづつでもよいので1歩1歩、以前のように、体も心も元気になっていってくれればなぁと願っておりました。

 ある日、そんな父がテレビを観ていると、そこに映っていたのは、自分よりも年配のとても元気な男性の姿でした。その年配の方の姿を見てからというもの、なぜか父自身もみるみると元気な様子になっていったのです。その名前も知らない男性に感化されたのかもしれませんが、本当に嬉しい偶然でした。

 その後の父はというと、今では母が健在だった頃の様に心身ともに元気になり、また定期的に山登りの会に参加するまでになっております。
 実は、このような父親の元気になっていく姿を見せれられて、私も妻も一度初めてみようかと、そんな気持ちになっております。私たち夫婦も、もう若くはありませんから。