移ろいの中でⅡ 12月12日 廃棄物と金になる農業 追加
忘れるからこそ幸せになるとも言われる。悲しいこと辛いことも忘れるからそこから抜け出すことが出来るし、美味しいものまずいものを食べても新たに食べた味が美味しいと感じられる。うちの娘など何を食べても美味しいといい、「あの時食べた○○の方が美味しかっただろう」と聞いても「そうだった?忘れた。これ美味しい」というのだから幸せなやつだなと思ってしまう。私は物忘れが激しくそのくせつまらない物に関してはどうしても忘れられず残ってしまう。たとえば高校2年の時香港のホテルで飲んだコーヒーの味とかクルージングの時貰ったよこわの刺身、一泊で行った温泉の朝食にでた鮎の開きであったり幼い頃秋の夕方岡から見た黒い煙を吐いて走る蒸気機関車とか友と橋の上から見た上る朝日、四万十川の真っ白の川原ときらきらと光る瀬、そこで捕った小さなうなぎの味、クルージングの時の景色とフィジー石鹸の香り、真っ青な海に群れるギンガメアジの巨大な球、ドミンゴが出ていたメトロポリタンの地の底からわきあがるような出だしの合唱などなど。忘れれば次に触れたものを新鮮味を持ち、ああこれはいいねといえるだろうが、何年経っても以前の経験が残像となって残っているので何を食べても聞いても見ても感動が出来なくなってしまうのはある意味悲しいといえるかもしれない。ただそれを超える発見は大きな感動を覚えるが悲しいかなめったには無い。
たちが悪いのは相手がいる場合だ。こっちは綺麗さっぱり忘却の彼方に消えたことでも相手ははっきりと覚えていて、気にせず言った一言が封印していたはずの記憶の鍵を開けその事が呼び起こされると、それが夫婦間であったり男女間であると尚更面倒なことになり「早く忘れてくれればな」と心の中で祈るのだが、まさに「忘却とは」であり、忘れるわけにはいかないようである。
しかし決して忘れてはならないこともある。先の大戦もそうだし一昨年の原発事故もそう。原発は今でも綱渡り状態で政府が行った終息宣言など愚の骨頂であるだけでなく、何とか忘れさそうと隠し誤魔化し別のニュースやお笑いを交え気をそらし、その時を待っている。また年金問題はどうなったのだろう、あれほど毎日のように報道もしていた年金は一切言わなくなったし、消費税は本来社会保障に当てるのでという話だったはずだのに行財政改革も国会の議員削減もそのまんまだ。
作品名:移ろいの中でⅡ 12月12日 廃棄物と金になる農業 追加 作家名:のすひろ