シンクロニシティ
体の支障がないか手さぐりをしながら、自分が自分の体であることを確認しながら、建物の残骸に加藤の安否を気にしながらも、車の横で、倒れている桜と、鉄柵に串刺された春日の姿が見える。
――か、春日……なんで……俺があそこに、墜ちた……はず。意識が……入れ代わった!? チーフは!!
刈谷は気絶している桜に駆け寄る。頭に血のにじむ負傷はあるが、指先が自然と動く反応に、今一番の理解者であろう桜を揺さぶる。
「チーフ! チーフ!! 大丈夫ですか!?」
「ん、お前……か……もう一人は」
「良かった! 頭以外の怪我はないですね。春日は……残念です」
「か、春……日?」
桜は起き上がる。そして串刺しになった者を見た瞬間、名前を叫ぶ。
「か、か……刈谷ー!!!!」
「はぁ?? 刈谷?」
抱き抱えられた刈谷の手を払いのけた桜は走り出す。その凄惨な春日の姿に激しい慟哭、手首を握りながら、頭部を強く抱える。まるで今まで背中を預けた戦友のように。自分が原因で、その結果の惨劇かと思わせるほどに取り乱し、その者を刈谷と叫ぶ。
「刈谷!! なんてことに!! おい春日!! 刈谷の体をここから抜く! 手伝えー!!」
刈谷の困惑。春日の悲惨な姿はつい先ほどの自分。自分が飛び込んだ場所。自分がこの不可思議な理解の及ばない空間を打破しようとした結果。わが身におきる出来事であった刈谷の体が春日の体となり、本来の春日に戻った結果。腹部を貫通させた悲劇の不幸とは素直に感じられない罪悪感も混じりながらも、自分の存在を証明したかった。
「ちょっ! あの! 彼は残念ですけどぉ! 刈谷は俺です!!」
桜は刈谷に顔を向け睨みながら近寄る。その手は力強く握られている。
「ぐぁ!! チ、チーフ」
桜は刈谷の顔を殴る。殴りたくなる気持ちもわかる。普通なら。目の前の悲劇の主の名前を、空気を読まずに自分の名前だと言い張るなら。
刈谷から見れば、悲劇の主が自分以外の名前であるなら、嘆くであろう。
殴る気配を感じていた刈谷もまた、桜の行動を見極めるために、甘んじてその拳を受ける。
「おい!! ふざけた事言ってんじゃねえぞ!! 早くしろ!」
「くそ! どうなってやがる! チーフ! おかしくなっちゃったんすか!?」
「手伝わないなら帰れ! 状況を読め!! 無能野郎!!」
言葉を失う刈谷。これだけ堂々と、慣れ親しんだ上司が、叫び、悲しまれ、自分の名前を本気で尊び、侮辱に聞こえる刈谷の言葉に怒り、罵倒される。
頭がおかしくなったのは、自分が刈谷だと言い張る、自分自身なのかと。
刈谷は桜の形相に押され、春日の体を二人で持ち上げて門の囲いから、持ち上げながら抜く。そして丁寧に地面に置くと、桜は、顔色だけなら息を吹き返す事を期待したくなる春日の顔を、叩きながら声を掛ける。
「おい! 刈谷! おい! あ゛あ゛あ゛ー!!」
うなだれる桜に、刈谷は声を掛ける。丁寧に、声を張らず、わかりやすく、また殴られる覚悟で。
刈谷にとっては、今しっかり自分の存在を確認しないと、自分でいられなくなる気がした。
覚めたい夢が悪くなるばかり、三回死に、三度も時間をさかのぼった結果、失った名前。失った部下。
もし、また自分が死んだら、どうなるものかと。変わるものかと。
「チーフ……俺……何がなんだか……俺は……春日じゃ……ない」
桜は嘆く言葉を止め、少しずつ顔を上げ、執拗に訴える刈谷に向かい疑念を尋ねる。
「おい! その根拠はなんだ! お前が・カ・リ・ヤ・と言う根拠は!」
「それは! 支所に帰ればわかりますしぃ! 全ての報告書のデータとかで証明出来ますよ!」
自分への疑念を晴らす為にも、刈谷は桜の目を真っ直ぐ見つめ訴える。そして少しでも耳を傾けた桜へ自分の本気を伝えられたことで、自分の存在証明を確認できると思い、多少の安堵感が湧き上がる。
「じゃあ確認してやる! おかしな事を言っている奴と仕事は出来ないわ! ここで待ってろ!」
桜は携帯電話を出し操作しながら車に向かう。その行動に刈谷は安堵の気持ちから、また不安が襲った。万が一確認されても刈谷と言われなかった場合。また時間をさかのぼらなければならないかと。けれどそれなら、どちらにしても確認したほうがいいと。そして自分の存在の裏付けがあるのかと。
――あの地下室はどうなってる
刈谷はまだ煙の立ち込める館に近付き、階段付近を眺める。
階段は上階から崩れており、積み重なる瓦礫に加藤の安否が気になった。
――駄目か! 瓦礫をどけないと確認出来ない! 生きてろよ加藤!
瓦礫をひとつひとつ退ける刈谷を眺める桜。右手に持つハンカチで傷口を抑えながら電話を続ける。刈谷に聞こえない程度の声。それはなぜか桜自身がとまどっているような神妙な顔つきで。
刈谷にとって慢性的クロニックに何度も同じ体験を味わうデジャヴュ。その度に何かがおかしくなる存在認識。この狂った歯車は、何が問題だったのか。なぜ撃たれたのか。誰に頭を殴られたのか。加藤の言葉を真に受けていいのか。誰かに語っていいものか。忘れた方がいいのか。
刈谷は全ての秘密を握っているであろう加藤に尋ねたかった。もしも、桜の確認から、最悪な結果を聞かされて、自分が壊れないためにも。
「ハァッ! ハァッ! くそ! 加藤達哉! まだ生きてるよな! ハァッ! ハァッ!」
刈谷はひとつひとつ、瓦礫が減るたびに自分の存在に近づくかのように、目に映る形が定まらない瓦礫を投げていく。誰がいるのか。本当にいるのか。
刈谷の必死な後姿に近づく桜。電話を終え、声を掛ける。
「おい。……確認が取れた……お前は確かに書類上は……『刈谷』だ! だけど! 私の今までの記憶は違う……お前、このことは誰にも言うな! いや……言わないで欲しい……私は……このままだと、心身喪失者扱いだ。仕事を失う訳にはいかない。殴った事は謝る。思い出すまで普通に接してくれないか? 刈谷」
刈谷に目を直視しない桜。本気で自分の記憶が違うものだったという自分への恥と自分への疑い。
刈谷から見れば、直前までの自分の状態。
殴られたことや、疑われたことの罵声より、刈谷は自分の存在が戻ったことにほとんどの悩みが消え失せ、桜に対する同情心が沸き立った。
刈谷が味わった、体験したことを細かく説明する気にはなれなかった。それを桜に説明すると、自分のように自殺しかねないと。万が一桜が自殺し、結果、何も起こらなかった場合、自分を許せなくなると。
「あ、いやぁ……もう大丈夫ですよぉ! 気にしないで下さぃ。それと、内密……了解しましたぁ! きっと頭を打ったせいで一時的なものだと思いますねぇ」
この程度に軽い気持ちでいようと判断した刈谷。自分が体験したような出来事が桜の周りでおきないか見ていこうと思った。そして、それを説明できる加藤を見つけたかった。