小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

水仙

INDEX|5ページ/6ページ|

次のページ前のページ
 

 帰宅した雪江さんにTのことを告げると、「エ~エッ!」と絶句した。ひどく取り乱した様子で、「アカン、あの男はアカン、絶対アカン!」と叫んだ。
 青ざめた表情で語ったところによれば、Tは叔母さんにスナックを持たせている旦那で、叔母さんが倒れると雪江さんに代わりをするように説得したこと。叔母さんが元気になって戻ると、彼女に別のお店を持たしてやると言い寄ったこと。それが叔母さんに知られて旦那との関係を疑われ出奔したこと。Tのことは龍兄にすべて話したとのことであった。
 僕は迂闊に住所を教えたことを悔やんだが、後の祭りである。こうなった以上、Tが来たら追い返してやろう、雪江さんを絶対に守ろうと決意した。
 電話のことをすっかり忘れてしまった頃である。
 雪江さんがひどく慌てた様子で、僕の部屋に飛び込んできた。
 「Tや!おらへん言うて、うちは出て行ったから知らん言うて!」
 僕はとうとう来やがったかと、バットを持って飛び出した。
 サングラスを掛けたロングコートの男がゆっくり急坂を上がってくる。僕を認めると軽く手を挙げた。
 「こんにちは・・君は電話に出てくれたボクかな。いつぞや電話したTです。」
 サングラスを外した男は日焼けした精悍な中年でヤクザな男に見えない。立ち止まって眼下に広がる穏やかな春の海を眺めている。斜面を覆っていた水仙に代わって、梅の花塊が淡雲のように浮かんでいる。
 「ええ見晴らしやな、こんな所に居ればそりゃ戻る気にならんな。」
 僕に紙袋を差し出すと雪江さんを呼び捨てした。
 「これ、仏さんのお供えです。気持ちだけです。・・雪江、おりますか?」
 僕は紙袋を手で払い、追い返そうと叫んだ。
 「雪江さんはおらん!龍兄が死んだから出て行った!帰ってくれ!」
 けんか腰の僕に怪訝な顔をして見せた。 
 「お父さんか誰か、おってですか?」
 玄関に近づく男に、僕はバットを振り上げた。
 「お父(とう)はおらん!雪江さんもおらん!帰れ!」
 「えらい剣幕やな~ボクでは埒があかん、家の人に話がある。」
 「誰もおらん!帰れ!帰れ!」
 僕はバットを振り回したが、武道の心得があるのか、男の動きは俊敏でバットをもぎ取られた。今度は素手で掴みかかったが、両足を払われた。
 何が何でも男を撃退しなければならない。台所に飛び込むや包丁を持ち出した。玄関の男に向かって叫んだ。
 「入るな!入るな!入ったら殺すぞ!」
 男は唖然としていた。僕は包丁を握って震えていた。
 その時、雪江さんが飛び出した。僕の手を抑えながら泣き叫んだ。
 「止めて!洋くん、止めて!」
 「Tさん、ご免!約束は守るから!今日は帰って!お願い帰って!」
 それ以上は言葉にならなかった。彼女は僕の足元に泣き崩れた。男は虚を突かれたように呟いた。
 「やっぱり、ここにおったんか。心配したぞ。龍が死んだんは新聞で見た。もうええやろ。」
 「これ、お供えや・・」
 それだけ言うと、男はコートの襟を立てて立ち去った。



 Tの来訪を境に、雪江さんの様子が変わった。
 長時間電話で話すようになったし、化粧をして出かけることも増えた。部活動から帰宅しても家におらず夕食が遅れることもあった。やがて、ちゃぶ台に「ゴメンね、先に食べてね」と記したメモが置かれるようになった。
 外出が父の看護や買い物だけでないことは確かであった。今から思うと、外に男が出来て、もしかするとTと会っていたのかもしれない。
 ある夜、雪江さんが珍しくほろ酔い気分で帰宅した。頬が上気しうなじ毛がほつれ、どことなく崩れた気配があった。彼女はケーキ箱を差し出した。
 「洋くんの大好きなシュークリーム。うちのプ・レ・ゼ・ン・ト!」
 シュークリームは僕の大好物である。旨そうに頬ばる様子を彼女は頬杖をついて眺めていた。
 「洋くん、だんだん龍さんに似てきたな・・」
 龍兄を思い出しているのだろう、潤んだ眼でじっと見つめている。
 「声変わりして、エラが張って、男らしゅうなって・・」
 何を思ったのか、僕の顔に触ろうとした。
 僕はシュークリームに夢中だったから上目遣いで睨んだ。
 拒まれた雪江さんは切なげなため息をついた。赤らんだ目元が色っぽく何やら媚びるようである。
 「その目つき、怒った龍さんにそっくりや。」
 ケーキを食べ終わると、彼女は気分を変えて言った。
 「洋くん、耳掃除しようか。」
 久しく耳掃除をしていなかったから、僕は喜んで彼女の膝に頭を置いた。張りのある太もも、ふくよかな腹部、直に伝わる肌の温もり、懐かしいような、まどろむような心地良さである。
 僕は眼を閉じて耳を差し出す。雪江さんの華奢な指が耳をまさぐる。綿棒が差し込まれ、耳の奧がカサカサ鳴る。世界は消え、時間は止まり、雪江さんの奏でる耳の快楽だけが鳴っている。この無上の愉悦をどう表現すれば良いのだろう。
 突然、切なげに雪江さんがささやいた。
 「愛おしいな・・頬も、顎も、唇も、龍さんそっくりや。」
 雪江さんの繊細な指先が、僕の頬から口元、口元から顎へとなぞっていく。吐息が悩ましげで甘やかな息が吹きかかる。
 うっすら眼を明けると、彼女の顔がすぐ側にあった。
 「眼をつぶって・・」
 そう呟くと、彼女は頬を両手で包み紅く濡れた唇を押しつけた。果肉のような艶めかしい感触に全身が燃え上がった。血液が逆流し、身体が震え、股間が硬直した。何やら得体の知れない、動物的な盲目的な衝動が突き上げてきた。
 僕は獣のような唸り声を発すると、雪江さんを押し倒し胸の膨らみにむしゃぶりついた。倒された雪江さんは、僕の猛々しい興奮、激しい昂ぶりに理性を取り戻したのであろう。泣きながら叫んだ。
 「ダメよ!ダメよ!洋くん!止めて~」
 揉み合っていると、突然股間で熱くほとばしるものがあった。ウッと呻くや全身の力が抜けた。その隙に雪江さんが僕から身を解いた。煽られたような、脅えたような、取り乱した表情で、はだけた胸を抑えながら納屋に走っていった。
 それから二人の気まずい生活がしばらく続き、ある日雪江さんがいなくなった。一枚のメモが残されていた。
 「うちと洋くんは姉弟の約束をしました。何日も考えましたが、離れた方が良いと思います。洋くんは淋しくなると思うけどゴメンね。・・二人が幸せになったら会おうね。そしてほんまの姉弟になろうね。」
・・その後、何の連絡もない。全て、僕が悪いのだと思っている。

 僕が産まれたことで母が亡くなったし、僕が逆上したために雪江さんが去ってしまった。僕は身近な人を殺したり、傷つけたり、不幸にする男なのだ。
 僕のような男は生まれなかった方が良かったのである。この世で僕を心配する人はいないし、僕が心配する人もいない。周りを不幸にするだけなら死んだ方がましである。僕はずっとそう思ってきた。ユキと出会うまでは・・
作品名:水仙 作家名:カンノ