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Savior 第一部 救世主と魔女Ⅱ

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 たまには使わないと感覚が鈍るんですの。そう言って、ティリーは魔導書を開いた。それからぱちんと指を鳴らすと、彼女の目の前に小さな火球が出現する。それに続いて右に、左に、小さな火球が増えていく。火球は最終的に十個ほど出現して、ティリーの周りで揺らめいた。
「・・・魔術ならいつも魔物を倒すのに使ってるでしょう」
 火球を操っていると、少し離れたところに座っていたリゼがそう言ったので、だってここ数日使ってませんものと返答する。メリエ・リドスに来てから魔物と戦うことも魔術を使うこともない。街中にいる以上それは当然のことだが。
「うーん。こう、派手にドカーン!とやりたいんですけどね。アルヴィア国内だとそうそうできないですわねー」
火球を漂わせたまま、ティリーは不満を込めて伸びをした。何が不満って、街にいて数日間魔術を使えないことではなく、アルヴィアにいるせいで思いっきり魔術を使えないことなのだ。人のいない山野で魔物に襲われた時などは使っているが、あれだって結構控えめにしているのである。
「大体、教会が魔術を悪魔に通じる邪法だなんて言ってるのが悪いんですわ。そりゃ誰でも使えるものじゃありませんけど、これほど便利な力はありませんわよ」
 少し意識を集中すると、火球はゆっくり回転し、目の前できれいな円を描いて静止した。そこでティリーが再び指を鳴らすと、火球は次々と灰色の半透明の球体へと変わっていく。球体の表面は幾何学模様と魔術で使われる特殊な文字が取り巻いていた。
「ま、異教の力ってところが気に喰わないんでしょうけど。それにしてもアルヴィアは堅苦しくて嫌ですわ」
「ならアルヴィアに滞在するのはやめれば?」
「そういう訳にもいきませんわよ。こっちじゃないと研究できないことがありますから」
 研悪魔研究はティリー・ローゼンの本業だ。研究のためなら多少のことは厭わないが、それでも納得できない制限を掛けられればフラストレーションは溜まる。
 そう。何が嫌って、ただ魔術を使えるというだけで悪しき者だと言われることなのだ。
「ま、これからミガーに帰りますけどね。貴女達を連れて行かなきゃいけませんから」
 言いながら、ティリーは球体をくるくる回転させる。一見するとシャボン玉のようなそれは、規則性をもって並び、集まって一個の球体になり、はじけてまた複数に戻る。球体は横一列に並んだかと思うと、中央から次々と火球に変わり、変化が両端まで行き着くとまた中央の火球から球体へ戻っていく。
「リゼも派手に魔術を使いたいと思いません? 使うなといわれると余計使いたくなりますし・・・って貴女はいつもやってますわね」
 球体を自分の周りに飛び回らせながら、ティリーはリゼの方へ視線を向けた。氷雪と風を操り、それで魔物も悪魔も容赦なく葬り、聞くところによると嵐をも引き起こして教会の騎士達を蹴散らした経歴を持つ彼女は、教会に“緋色の髪の魔女”と呼ばれようと、そのせいで追われる羽目になろうと、必要ならば躊躇わず魔術を使うのだ。そのさまは、少し・・・いやかなり羨ましい。
「どうせ教会には指名手配までされてるんだから、使おうが使うまいが一緒よ。それに本気で使わないでいようと思ったら、悪魔祓いの術も使えなくなる」
「そういえば、ラオディキアで事件を起こす前はどうしていたんですの? あの辺りの村を回って悪魔祓いをしていたんですのよね? 魔術は使っていたんですの?」
「始めは使わなかったけど、一度人前で魔物を倒すのに使ったら“救世主の奇跡”だってことになったから普通に使ってた」
 ああなるほどとティリーは納得した。アルヴィアで人前で下手に魔術を使おうものなら、魔女もしくは悪魔の手先呼ばわりされて石を投げられる羽目になる。しかし“救世主”であるリゼは違うようで・・・つまりは都合がいいのだ。みんな。
同じことをしていても、自分達に利益をもたらすなら“救世主”で、もたらさないなら害がなくても“悪魔の手先”。正義とか悪とか、そんなものは結局自分の利になるかならないかなのだろう。正体なんてどうでもいいのだ。
 そんなことを考えていた時、部屋の扉が開いた。反射的に魔力の流れを断ち切って周囲を飛び交っていた球体を消失させる。膝の上の魔導書を閉じると、ティリーは立ち上がった。
「何か御用ですの? アルベルト」
 戸口の黒髪の青年に向けて、ティリーは問いかけた。部屋の中に入ったアルベルトはこちらに視線を向けて答えた。
「ティリー、ラウルさんが呼んでる。手伝って欲しいことがあるそうだ」
「そう。また悪魔研究のデータをよこせと言うのかしら。たまに人を便利屋扱いするんですのよね。あの人は」
 ぶつぶつ言いながら、ティリーは魔導書を仕舞った。
 ティリーに限らず、多くの悪魔研究家達が研究のためにミガー王国からアルヴィア帝国に来ている。魔術立国であるミガーに対し、魔術も悪魔研究も禁じているアルヴィアに入国するには、アルヴィアの玄関口であるこの街メリエ・リドスの市長の協力が不可欠なわけで・・・手伝えと言われたら断れないのだ。別にものすごく嫌という訳でもないのだが、まあめんどくさい。
(さっさとミガーに行きたいですわね・・・それに速く新しい研究に取り掛かりたいですし。これは“研究対象”の機嫌によりますけど)
 ちらりと後ろを振り向くと“研究対象”は窓際に座って外を眺めている。彼女が気前のいい性格だったら研究も楽だろうに。
 “救世主”はあまり愛想のいい人物ではないのだ。



「麻薬の密売人調べは進んだ?」
 ティリーが部屋を出た後、窓際に座っていたリゼがそう聞いてきた。
 メリエ・リドスで出回っているという危険な麻薬。服用すると一時的に幸福感が得られるが、使い続けるうちに恐ろしい幻覚に苦しめられるようになり、最後には中毒で死に至るという。アルベルト・スターレンはそんな危険な麻薬を売る密売人を捕まえられないかと密売人探しをしているのだ。
「それなりに」
 開いたままの扉を閉めて、アルベルトは部屋の中ほどまで歩いた。リゼは小さな窓の外へ視線を向けたまま、言った。
「あと数日で出発するのに密売人が見つかるの?」
「・・・見つからないかもしれない。でも見つけなくてはいけないと思ってる」
 麻薬は免罪符という形で売られている。その上、密売人は教会の司祭だという。赦しの秘跡を金銭で売買する、しかも同時に麻薬をばらまくなど、許されることではない。必ず見つけてやめさせなければ。
「見つけなくては、ね。教会の司祭が麻薬を売ってるなんて許しがたいことなのは分かるけど」
「たった数日で何をするのか、だろう? 分かってるよ。よく知らない場所で、下手に動く訳にもいかないのに密売人探しをしても、大したことも出来ないことぐらいは」
それでも出来ることがあるなら行動せずにはいられないのだ。この街には麻薬によって少なからず死人が出ている。それだけでなく、精神を狂わされ悪魔に取り憑かれる人も多い。
悪魔祓いは高度な術だ。取り憑いている悪魔が強いほど、その儀式には手間と人手がかかる。一度その資格を得ているとはいえ、新米で未熟なアルベルトは一人では悪魔を祓うことができないのだ。彼女と違って。