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小さな、未来の魔法使い

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§ 小さな、未来の魔法使い



一.

 学校からの帰り道。エリスメアは仲のいい友達と手をふって別れると、歩調をやや早めた。学校の寮生活はひとまず終わり、生徒全員が待ちこがれていたであろう夏休みを迎える。
 エリスメアの実家と学校はそう離れていないのだが、昨年から寮生活を希望したのは彼女自身だ。今年は最高学年であり、来年の一月には卒業する彼女。中等課程に進学するのか、それとも――。ともあれその後の自分の生活のことを思うと、一度親元を離れたほうがいいと考えたのだ。両親から離ればなれになるのは寂しいが、逆にそれゆえに家族の絆を確かに感じる。
 実家でゆっくり過ごすのは久しぶりだ。しかもしばらく家を留守にしていた父が帰ってくると伝え聞いている。嬉しさのあまり顔がほころび、エリスメアは走り出した。やや急傾斜となっている石畳の坂道を下りきったところには、大きな湖が紺碧の水をたたえている。湖のほうから吹いてくるひんやりとした風を受け、両親譲りの彼女の金髪が流れる。風を心地よく感じながら、エリスメアは坂下の自宅を目指して坂を駆け下りるのだった。

 エリスメアの家、メイゼル家はちょっと名の知れた商家で、比較的裕福な家庭である。エリスメアが生まれてから十年、親娘は西方大陸《エヴェルク》からさらに西に位置するこの大きな島に移り住み、幸せに暮らしてきた。まだ若い母であるライニィは器量よしで、しかも商売の才にも恵まれており、そろそろこの島の交易を父親から一任されるのではないかと目されている。
 一方、この家に婿入りした父は芸術に造詣が深く、本人も弦楽器《タール》弾きである。父は音楽を広めるために世界中を旅してまわっていると称しているが、その実情はエリスメア達しか知らない。さらに、神性を有するという彼の驚くべき本性も家族のみ知るところなのだが、それはまた別の話。
 そして彼らの愛しい娘、エリスメア。若い父母の愛を一身に受けて育った可憐なエリスメアは、両親と同じく気だてがよく頭も回る。学校での友達も多く、教師からの評判も上々だ。非の打ち所がないようにみえる彼女だが、一つだけ他人と大きく違う点がある。メイゼル家の跡取りという道が確約されているにもかかわらず、当の本人は商家の跡目を継ぐことは考えていないのだ。これだけならば若者にはありがちである、夢を無心に追いかけるという気質の一つに過ぎないのだが、エリスメアの場合はさらに変わっていた。彼女は魔法に強い関心を抱いていたのだ。

 魔法学が大いに栄えた時代は遙か過去のもの。この時代において魔法使いを目指す者はめったにいなかった。いたとしてもごくわずかに残された魔法書から独学で学び取るか、魔法の師匠から口伝で呪文を教わるほかなく、そうやって体得した魔法とて本物の魔法かどうか怪しいものであった。街角で見かけるまじない師達は、呪文のことばは知っていても、そのことばが意味するところは知らない。ほんのわずかなうわべの魔法知識だけを頼りに生業《なりわい》としている。今や本物の魔法使いはほとんど存在しないのだ。しかしエリスメアの夢は、実は途方もないものだったのだ。本物の魔法使いになることこそ彼女の夢に他ならないのだから。
 そしてひょっとしたら――彼女の目指す夢の入り口は、意外なところに扉を開けて彼女を待ち望んでいるのかもしれない。

 息せき切って家にたどり着いたエリスメアは、店先にいた女使用人に挨拶をしたあと、玄関の扉をたたいた。
「どなたですか?」
 扉越しに話しかけてきたのは家事を担当する使用人だ。
「エリスです! ただいま戻りました」
 エリスメアがそう言うと扉がぎいっと開き、まだ若い娘がお辞儀をした。
「お帰りなさいませ。お父様も先ほどお帰りですよ」
 使用人がにこりとエリスメアに笑いかけたその時、父が玄関に出てきた。長身で細身の青年。金髪を持つ父の優しげな碧眼《へきがん》は、娘のエリスメアにも継がれている。
「父さま! お帰りなさい!」
 エリスメアは目を輝かせて父の帰還を喜び、歩み寄るとつま先立ち、父の頬に口づけをした。音楽家としての活動や、神性を持つがゆえの使命。それらにとりあえず区切りをつけた父は、春先までこの自宅でゆっくり過ごすのだ。
「こちらこそ、お帰りエリス。外は暑かったろう? 一息ついたらお茶でもどうかな」
 日だまりのような暖かな声を発し、若い父は目を細めた。
「父さまこそお帰りなさい。あれ、母さまは?」
 とエリスメアは周囲を見回す。
「ああ、なんでも大切な荷物が港町から届いたっていうんで、引き渡し所まで行ってる。すぐに戻ってくるさ」
 父はそう言うと娘の背をぽんぽんと軽くたたき、自室に行くよう促した。コツコツと、ブーツの音を鳴らしながら、エリスメアは階上の自室へと行くのだった。

 母が多くの商品と共に、汗まみれになって帰ってきたのは夕刻だった。港町ネスアディーツから届いた品物を店員と共に仕分けている間、使用人の二人は家事を担当し、父はタールをつま弾いて彼らの心を和ませるのだった。
「そうだ、あなた達に話さなきゃいけないことがあるのよ」
 食事の途中、母親は思い出したかのように話を切り出した。父とエリスメアはスプーンを手にしたまま、母のほうに首を向けた。
「見てのとおり、港町にいるお父様(エリスにとってはお爺さまね)のところから今週分の大荷物が届いたの。さっきようやく仕分けが終わったんだけど、その中にハシュオン先生への贈りものがあってね。私はそれを先生のところに届けなきゃならないのよ。……エリスの夏休み早々で悪いんだけども、二週間ほど家を空けるわ」
「ウェインのところにかい」
 届け主とは旧知の仲である父は、穏やかな口調で言った。
「お前がわざわざ出向くってのは、ちょっとした大ごとだねえ」
「他の荷物は南の王都行きでね、それについては他の店員に一任してあるの。でも先生向けの贈りもの――魔法の本が三冊――だけはメイゼル家の人間が行かないと。お父様はエヴェルク大陸での商売にかかりっきりでこちらには来れないのだから、私がハシュオン先生のところに行くべきなのよ。もしあなた達がうなずいてくれるのなら、家のことは店員に任せて、私は出かけてくるわ。往復で二週間ほど――ちょっとした旅行になっちゃうけどね」
 メイゼル家がこの島と大陸との間で海洋貿易をするようになったのは百年以上昔のこと。そのころは今とは違い、この島国は大陸との繋がりがあまり無かったため、商人の来訪は大いに歓迎されたのだ。メイゼル家は当時の国王の相談役であるウェインディル・ハシュオン卿の厚い信頼を受けるようになり、以来その関係は続いている。
 そしてハシュオン卿もただの人ではない。長寿種族のエシアルルである彼は、七百年以上も前には大魔導師として世界に名を馳せていた人物なのだ。魔法の頂点である“魔導”を使いこなしていた彼は“礎の操者”や“最も聡き呪紋使い”と称され、魔導師達を導く立場として尊敬されていたらしい。その後魔力を失い、老いた今は国政から身を引いて、この島の北の館で隠遁生活を送っている。
「僕はかまわないよ。ただ――」
「わたしも行きたい!」