小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

赤のミスティンキル

INDEX|99ページ/103ページ|

次のページ前のページ
 

§ 第九章 事態急変す



(一)

 ウィムリーフが飛び去った。
 ミスティンキルにとってアザスタンの言葉は衝撃的で、まったく信じがたいものだった。ここ、魔境の島の冒険行を強く望んだのはウィムリーフだ。そして冒険においては冷静沈着に判断を行い、二人をここまで導いてきた。その彼女が単身先走るなど――あまりに身勝手で軽はずみとしか言いようがない。なにより、理不尽だ。
 その一方で、青い光を帯びたウィムリーフの姿が脳裏に浮かんで離れない。果たしてウィムリーフはいつから、ウィムリーフのものではない気配を醸すようになったのだろうか?
「飛んでったって、いや、まさかな」
 はは、とミスティンキルはしらけた笑いを浮かべて虚勢を張る。
「だってよ。おれを起こすって、あいつはさっき言ってたぞ。……ほら。あいつの荷物はここにあるんだぜ?」
 ウィムリーフが背負っていた荷物袋をぽんと叩く。荷物を置いたまま出発するなどあり得ない。これは彼にとっての安心材料だ。
 その時ふと、ミスティンキルは異様な“なにか”をかいま見た気がして、そちらを見やり――唖然とした。

 なんと、魔導塔がまたしても変貌を遂げていたのだ。
 今度は塔内部ではなく、外部の異変だ。ヌヴェン・ギゼの平滑な外壁に描かれている魔法図象が一面、仄《ほの》かに発光している。その色は青。塔内部に吊されている謎めいた“魔力核”の青と、なによりもウィムリーフが内包する魔力の青とも同色だ。

「塔にいるのか? あいつは」
 きっとそうに違いない。ミスティンキルは安易に決めてかかろうとした。
 ――否。
 ウィムリーフは、この塔の仕掛けを作動させてしまったのだろう。塔が本来果たすべき役割を調査して冒険誌に記すために。
 ――それもまた、否。
「しかたねえ。見てくるか」
 ミスティンキルは相反する思考を巡らせたまま、塔の入り口を目指して駆け出そうとした。
 だが。
「ミスティンキルよ。ウィムリーフは青い光をまとって飛んでいった。もうここにはおらん。そしてあの娘が飛び去ったその時から、塔の図象はあのようになった」
 酷な事実を受け入れろ、とアザスタンは宣告する。
 ミスティンキルは立ちすくみ、ぎり、と歯をきしませた。
 ――ああ、分かっているんだ。それでも――

 それでもなお、一縷《いちる》の可能性を信じながら、ミスティンキルは“探知の術”を発動させた。しかし反応はなかった。ヌヴェン・ギゼの塔はおろか、この周囲一帯に彼女の気配はないことを、とうとうミスティンキルは認識してしまった。
 否。先程からとっくに分かっていたことだ。なぜなら、蒼き龍《ドゥール・サウベレーン》の言葉に嘘はないのだから。
 ミスティンキルの希望は断たれた。ウィムリーフは本当にいなくなってしまったのだ。自分達を置いて。
「どうしてだ。ウィム……」
 しばし、彼の思考は完全に停止する。

 それから――
「なあ。あいつ……帰ってくるだろうか?」
 ミスティンキルは呆けたように呟く。彼の問いかけに龍は応じない。ミスティンキル自身、これは愚問だと思っている。
 喪失感が漆黒の口を開き、ミスティンキルを底知れぬ深淵へと突き落としていく。心に穴が空くとはこういうことなのだと、彼は存分に思い知ったのだった。

 故郷を出てからミスティンキルはただ孤独だった。見知らぬ他人を恐れ、心を閉ざしていた。
 いまだ記憶の片隅に残っているその事実を、まざまざと思い出してしまう。

◆◆◆◆

 赤い瞳を持ったミスティンキル。力を持つがゆえに彼は妬みや畏怖、差別を受け続け、ついには故郷を追い出される羽目になった。
 ミスティンキルは憤り、失望し、ついには復讐を決意した。
 龍人《ドゥローム》の聖地、デュンサアルで試練を受けて“炎の司”となり、故郷の連中を見かえしてやる。――暗澹《あんたん》たる野心を秘め、彼は東方大陸《ユードフェンリル》南部を目指し、単身旅をする。
 だがいかな運命の計らいか、その状況は思いもかけず変転する。

 昨年の冬、彼は西方大陸《エヴェルク》から船に乗り、カイスマック島に降り立った。西方大陸《エヴェルク》と東方大陸《ユードフェンリル》、二大陸間をつなぐ交通と貿易の要衝である。
 ミスティンキルとウィムリーフは図らずも、ここで出会った。そして同じ船に乗り込み――二人は意気投合した。共にデュンサアルを目指す旅をしようと。
 ここに二人の旅が始まった。

 東方大陸《ユードフェンリル》。二人は船を下り、港町フェベンディスから大陸南方へと繋がる街道を旅した。だがすでに時機を逸していた。大陸中部、ザルノエムの荒野では冬の嵐が猛威を振るっており、陸路でデュンサアルへ向かうことは叶わなかった。そうかといって海路も使えない。流氷が通年より早く南下してきたためだ。やむを得ず二人は、アルトツァーン王国の宿場町、ナダステルにて逗留することとなる。季節が変わるまでの間。

 それから彼女と過ごした日々は、何ものにも代えがたいものとなった。
 アルトツァーン王国中を旅して回った。北方、メケドルキュア王国にも足を延ばした。互いの趣味を語り合った。ウィムリーフがミスティンキルに学問を教えようとし、これは失敗した。人生の境遇や悩み、不安について打ち明け合った。酒を酌み交わした。嫌なことも言ったし喧嘩もした。いつしか一つの部屋で生活を共にするようになり、愛が育まれた。互いの存在が、かけがえのないものへと高まり、自分の隣にいることが当たり前となった。

 そして春。
 荒野を越えて南方のエマク丘陵へ。ついに聖地デュンサアルへと至り――彼の念願は叶った。“炎の司”となった彼はついに、過去という悪夢から解き放たれた。恨み辛みなども、もう無い。
 ウィムリーフは、ありのままの彼を受け入れてくれた。明朗快活な彼女と一緒だから、ミスティンキルは新しい人生を歩むことを決心した。その第一歩こそが、この冒険行だ。二人の長い旅のはじまり。そうなるはずだった。

 だが今、彼にとっての新たな日常、心のよりどころは、思いもかけないかたちで唐突に失われた。



(二)

「あいつはひとりで行っちまった。……そういうことだな」
 事実を事実として、ミスティンキルは受け入れざるを得なかった。ちらりと、塔の屋上を一瞥する。
 対するアザスタンは言い淀み、少し思案した後に口を開いた。
「ひとつ、ぬしに謝罪せねばならない。すまぬ。わしが至らなかった。ウィムリーフを制止できなかった。わしは彼女の魔力に屈したのだ」
 アザスタンは首を垂れ、懺悔《ざんげ》した。
「なんだって?」
 ミスティンキルは思わず聞き返した。アザスタンが再び、信じがたい言葉を口にしたからだ。

「制止できなかった、だと?」
 ミスティンキルはぽつりと呟く。間を置いて彼は言葉の意味を理解した。頭に血がかあっと上ってくる感覚を覚えた。アザスタンに殴りかかりたい暴力的衝動に駆られるが、すんでのところで感情を抑え込んだ。握った拳をわなわなと震わせる。
作品名:赤のミスティンキル 作家名:大気杜弥