小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

赤のミスティンキル

INDEX|49ページ/103ページ|

次のページ前のページ
 

§ 序章



(一)

 風をかき分け、空を疾駆する。
 ミスティンキルは、眼下に広がる平原が一面、新緑に色づいているのを見て取った。見上げると蒼天の空には純白の雲がいくつも浮かんでおり、それらは春のうららかな陽光を受けて輝いているかのようだ。

(世界ってのは、こんなに奇麗なもんだったのか)
 ミスティンキルは思った。普段見慣れているはずの色であるにもかかわらず、全く新鮮であるように感じ取れるのは、一時期アリューザ・ガルドの色が褪せたためなのだろう。
 普段あるべきものを失ったときの何とも言えぬ喪失感は消え失せた。色が甦ったことを実感出来た喜びといったら、なんと表現していいものだろうか。今のミスティンキルには、目に見える全てのものが網膜に鮮やかに映る。そしてこの山岳地帯の情景の壮大さは、深く胸に染みこむような感動を彼に与えた。

 ミスティンキルがウィムリーフ、アザスタンと共にデュンサアル山を後にしてからしばらく。最初のうちは物質界での翼の扱い方に四苦八苦していたミスティンキルも、ウィムリーフに教えてもらいながら、ぎこちないながらも何とか飛べるようになっていた。今は龍のアザスタンを中心に据えて横一列に並び、デュンサアルの町を目指して飛んでいるのだ。

 だが、何事もなくたどり着けるはずがないことは、先のウィムリーフの言葉からも明らかだ。現に、彼らの前方には幾人かの人影が見えるようになっているのだ。二人の“炎の司”と、幾人かの兵士達が。
 ミスティンキルとウィムリーフが聖地デュンサアル山に赴くに際して、ちょっとした騒ぎを起こしたのは事実だ。あの時、“炎の司”としての面子を完全につぶされた、見張り小屋の守人ジェオーレは、おそらく真っ先に、父であり“司の長”の一人であるマイゼークに事の次第をつぶさに告げたのだろう。

「おお、いるいる。やっぱりウィムの言うとおりだ。あのマイゼーク親子が、兵士を連れて待ちかまえてやがる」
 目の良いミスティンキルは、眼前に映る小さな人影が誰のものなのか、容易に見てとった。彼らもまた空中に浮いているが、こちらの様子にも気づいているためだろう、滞空したままでそれ以上さらに進んでくるつもりはないようだ。特にアザスタンの巨体は、一目見ただけで龍《ドゥール・サウベレーン》であると分かるだろう。
 いくら龍の末裔であるドゥローム族といえども、迫り来る龍に対して、刃を向けたまま突き進むなど愚の骨頂であることは分かっている。龍は彼らドゥロームにとって畏敬の念を払うべき存在なのだから。
 おそらく今の彼らは、予想だにしなかった龍の出現に対して、どのように対処すべきか考えつつ狼狽えているに違いない。

「万が一って事もあるから、風を整えておくわ」
 “風の司”であるウィムリーフが、空中に文字を描くように左から右へと細かに指を動かす。すると、風を切る音がぴたりと止んだ。もし相手が弓を射てきたとしても矢を逸らすようにと、彼女は風に働きかけたのだ。奇妙な静けさの中、三人はさらに飛んでいくのだった。
「……でも、このまま前に進んじゃって本当に大丈夫なんでしょうね? アザスタンも、ミストもまるで平気な顔をしているんだけど、なんでそんな平然としていられるの? あたしたち、デュンサアルの掟を破っちゃってるのよ?」
 ウィムリーフは心配げに龍の顔を見上げた。
【事はたやすく済む。ウィムリーフが心配することはなにもない】
 アザスタンは、ただそれだけ言った。

◆◆◆◆

 ミスティンキルとアザスタンの予想はたがわなかった。
 そして――デュンサアルのドゥローム達にとっては、龍の飛来など予想出来るはずもなかった。

 両者は、平原と岩山とを隔てている断崖にて対峙することになった。ちょうど真下には細長い吊り橋が架かっている。ミスティンキルとウィムリーフが“炎の界《デ・イグ》”に向かったあの晩、守人をつとめていたジェオーレを出し抜いたちょうどその場所で、皮肉にも再会することになったのだ。
 マイゼークとその息子、そして兵士達は表面上は落ち着き払ったさまを見せている。だが、彼らの胸に秘めた本当の感情は、隠そうとしても隠しきれるものではない。お互いの顔が見て取れるほどの距離にまで近づいた今、対峙する相手の顔には狼狽している様子がはっきりと現れている。おそらく、生きた心地はしていないだろう。アザスタンの巨大な翼の羽音と、しゅうしゅうという炎まじりの息づかいは、彼らに恐怖しかもたらさない。

 口火を切って話しかけてきたのは、マイゼークだった。
〔龍様。ここより先はわたくしどもドゥロームが住まう地でございます。わたくしめは炎の“司の長”のひとり、マイゼーク・シェズウニグと申す者。隣におりますのがせがれのジェオーレでございます〕
 顔色をうかがうような慇懃《いんぎん》なさまで彼は挨拶をし、ジェオーレもぎこちなくではあるが深々と礼をした。
〔そしてこれに控えておりますのは、町の衛兵たちでございます。彼らは武器を携えてはおりますが、決してあなた様に危害をもたらすものではありません。……実は、あなた様の横におります若いドゥロームが、我らの掟を破ったのではないかという疑いがあります。ですので、その者と、後はそこの……アイバーフィンを我らの法の下において裁く必要がありますゆえ、どうかお引き渡し頂きたいと……〕
【ならぬな】
 背中に冷や汗をかきながら、それでも司の長としての体裁を何とか保ちつつ話すマイゼークだったが、蒼龍は彼に最後まで言葉を告げさせることなく、拒絶した。

 アザスタンの声を聞いた者の中には即座に失神した者もいた。龍の言葉は、それそのものが魔力を持つとも言われている。ドゥローム達の筆頭に立って交渉をしようとしていたマイゼークですら、ひっと小さな悲鳴を上げた。彼は額に脂汗をにじませ、なんとか次の言葉を紡ぎ出そうとしたが、出来なかった。
 あわれな司の長を見やりつつ、アザスタンは言った。
【デュンサアルの龍人よ。わしとて遡れば、かつてはドゥロームであり“司の長”の一人であった者だ。掟破りは、場合によっては厳罰に処されることも知っておるし、この者達がなにをしでかしたのかも承知している。そしてマイゼークよ、お前の立場と行動も理解出来る。だが、その咎《とが》を抱え込んだこの者達を、“炎の界《デ・イグ》”は迎え入れたのだ。――わしは“炎の界《デ・イグ》”にて、龍王様を警護する役をいただいておる、名をアザスタンという。我が名において、わしとこの者達をこのまま行かせてもらいたい】
 龍の言葉は誇りに満ちており、これを拒絶することは、一介の人間にはとうてい出来るものではなかった。ついにマイゼークは折れた。
〔し、しかしアザスタン様……。まことにもって恐縮ではございますが、ドゥール・サウベレーンは我らにとって神にも等しい敬意を払うべきお方であります。あなたのそのご立派なお姿をデュンサアルの町人たちが見れば、必ず驚きましょう。……その者達の犯した罪については不問といたしてもかまいません……ですが、もし差し支えないようでありましたら、アザスタン様はこのままお引き取り頂きたく……〕
【意外と聞けぬ男よな、お前は】
作品名:赤のミスティンキル 作家名:大気杜弥