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フェル・アルム刻記 追補編

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「誉められてるのか、けなされてるのか分かりませんけれど、そもそも部下に対して嘘をつくというのは好ましくないものですよ。とくに私は烈火の長なのですから。まあ長と言っても、あなたに比べたら私なんぞはるかに若輩者ですけれどもね。――確かに烈火も変わりました。烈火がフェル・アルム王国の騎士団として公にされてから三年、もはやかつての――デルネアが暗躍していた、あのかつての時代の――恐怖そのものを具現化した烈火ではなくなっています……」
 そこまで言って、ウェルキアははっとして、ウェインディルの顔をまじまじと見た。この白髪のエシアルルが言わんとしていることは嘘をつく云々ではなく、どうやら別にあることに気付いたからだ。
 ウェルキアは用心深く尋ねてみた。
「あの……ウェインディル。もしかして我々のこと、知っているんですか?」
「……ふむ。やはりそうなのか? 本人から聞いた訳ではないのだけれども、何となく感じていた。もっとも私とて他人に言うつもりはないが」
 ウェルキアは安堵した様子で胸をなで下ろした。
「頼みますよ! これは秘密なんですからね。とりあえず今のところは」

* * *

 騎士団の館をあとにしたサイファは、界隈のざわめきを楽しみながら石畳の坂道を下り商店街を歩く。徐々に店の並びが無くなっていく。こうして町の中心部を抜けると、道は海の望める広場へとまっすぐつながっている。
 広場の中央に位置する小高い丘からは、ネスアディーツ港の様子が一望できるようになっている。エヴェルク大陸へ向かう商船や客船さらには釣り舟と、波止場に停泊している船の種類は多岐に渡る。そのなかにあって麗しい純白さが海の青に映える、あの美しい船こそが“白き衣”号である。サイファは今回この船に乗り、ティレス王国を訪れたのだった。
 冬の空気は澄み渡り、遙か対岸のエヴェルク大陸までが見える。フェル・アルムの大地が十も連なっても、あの大陸の広大さに及ばない。聞くところによるとエヴェルク大陸の東にはさらにもう一つの大陸――ユードフェンリル大陸があるという。アリューザ・ガルドの世界は、自分の想像がつかないほどに広いのだ。サイファは、海峡の向こう側に広がる大地のことを思い、またその大陸を闊歩《かっぽ》する友人の姿を思い起こした。時々彼らとは手紙をやりとりしていたが、いよいよに彼らと再会することを考えると、子供のようにわくわくする。約束の場所――船の泊まっていない波止場をめざし、サイファは丘をかけ降りていった。

 波の押し寄せる様子を眺めながら波止場にひとりたたずむ少年。濃紺の髪に白い肌の彼は、フェル・アルムでよく見かけるライキフびとの少年のひとりにしか見えないだろう。だが、サイファにとってルードは特別な存在であった。いや、かつて運命の渦中に存在した彼ら五人は、お互い同士が特別な存在であったのだ。
 サイファが駆け寄ってくるのに気がついたルードは、少々呆気にとられた様子だが、サイファに手を振って挨拶した。
 サイファは息を弾ませながら友人の元に駆け寄ると、彼の両手を取って再会を喜んだ。
「ルード、ひさしぶり。貰った手紙では何度か様子を聞いていたけれど、こっちに帰ってきていたとは知らなかったよ。……しかし、君も三年前とちっとも見た目が変わらないなあ。ウェインもそうだし、ハーンもそう。それなのに私だけが年を取っていくようで、なんだか寂しいぞ」
 サイファは嬉しそうに言葉を早口に紡ぐ。当のルードはまだ呆然としているようだ。
「ルード? どうかしたの?」
「まさかこの場所で陛……いや、サイファに会えるなんて思ってもみなかったんだ。だから今、ちょっと驚いてる。ハーンから魔法で伝言が届いていたもんだから、てっきり俺はハーンとここで落ち合うのかなあと思ってたんだけどさ」
 ルードの言うとおりだ。伝言をよこした当のハーンは一体どうしたというのだろうか? サイファが周囲をぐるりと見まわしても、人の気配は全くない。
「「ハーンは?」」
 二人の声が重なった。お互いにハーンの所在を知らない様子を知ると、笑い合った。
「まあ、あいつのことだから。どこからか、ひょっこり現れるに決まってるよ。……サイファもハーンに呼ばれてここに来たんだろう?」
 サイファはうなずいた。

 ハーンは還元の後もウェインディルと共にフェル・アルムに残り、ときおり王宮を訪れていた。いずれ彼がここから去っていくことが分かっていながらも、サイファは一時期本気で恋い焦がれたことがあった。しかしながら秘めた想いを伝えることなく、イイシュリアとの戦いが始まり、ハーンとも会えなくなってしまった。宵闇の公子レオズスたるハーンは、歴史の表舞台に現れるべきでないと考えていたのだろう。この戦いには参加することがなかったのだ。結局、自分が最後にハーンと会ったのは昨年、イイシュリアとの戦いが終結して、帝都に凱旋したときになってしまっていた。すでにハーンはフェル・アルムから立ち去ろうとしていた。この国の未来が明るいものであることを確信し、また自分の為すべきことを他に見つけたから。その時サイファは、ハーンに対してはじめて想いを打ち明けて、そして同時に吹っ切ったのだ。

「ありがとう。今のサイファには、大切に思っている人がいるね? 彼と共に、この国をいい方向に導いてほしいな」

 とらえどころのないハーンではあるが、彼がサイファに対して友情と好意を抱いていたのはサイファに分かっていた。その好意が恋と呼べるものなのかどうか、それはハーンの胸の内に隠されたままだったが。いずれにしても、そういった出来事もいい思い出として、今では心の中に大切にしまわれている。そう、自分には大切な人が出来ていたのだから。

「……で、サイファ」ルードが言葉を切りだした。
「手紙にも書いてたと思うけどさ。俺達は、ハーンとしばらくの間一緒に旅をしていたんだ。今年の七月くらいだったかな、『レオズスとしてやることがある』と言って別れちゃったんだけど……フェル・アルムにも戻ってきてないのか……」
「そう、ライカはどうしたの? もちろん一緒に来ているんだろう?」
「ああ。あいつは宿で休んでるよ。疲れちゃったんだろう。気持ちよさそうに眠ってるもんだから、起こさなかったんだ。実は俺達も一昨日フェル・アルムに着いたばかりでさ。これからセル山地に行って叔父さんたちに会ってくるつもりなんだ」
「……結婚するために挨拶回りか?」
 サイファの突拍子のない質問――本人はそう思っていないのだが――に泡を食ったルードは、ぶんぶんと首を振った。
「まさか、そうじゃないって!」
「なんだ。もうかれこれ三年が経つじゃないか。とっくに結婚しているのか、とも思っていたんだけどなあ。私は、ルード達の子供の名前まで考えていたんだぞ?」
 サイファは自分のことのように、いかにも残念そうな表情をしてみせた。
「まあ、そういう話をまったくしなかったわけでもないんだけどなあ」
 照れを隠すようにルードはそっぽを向く。共に運命を乗り切った者だというのに、こういう朴訥《ぼくとつ》な仕草は相変わらずだ。