眠れぬ夜に -宵待杜#05-
ぱたりと木製の古びた扉が閉められた。
入り口についているカウベルは、その慎重な動作でほぼ沈黙を保っている。
室内に店主が入ると同時に、その肩から黒猫が足音もなく飛び降りた。
猫はふいと明かりの無い暗さの中にその漆黒の毛並みを溶かして消える。
店主は外の闇を室内に取り込んだまま、外套から拾い集めた星の欠片を机に広げた。
ぼんやりと薄く発光するその明かりのみで、この中を歩くには充分だ。
作りつけられた棚から、小さな小瓶を取り出す。
コルクで出来た蓋をあけ、しゃらしゃらと、星の欠片を小瓶に移し変える。
その美しい光を気に入っていた少女にわけても良いし、また別の使い道をしても、もしくは普通にコレクションとして飾っておいても構わない。
目の高さに掲げて振ると、星たちは涼やかなる音を奏でた。
ぼうとその暖かな白の光を映した目元が満足げに笑みを象る。
こういった美しいものや珍しいものは、店主を楽しませる。この世界の素晴らしさと可能性に心が躍る。
見えない宵闇に潜むものは、光の中では見えない不思議で優しい暖かさをもつものだと、店主は知っている。
その闇の奥の空気を動かす小さな気配を感じて、薄い闇の向こうに、店主は声をかける。
「どうかしたかい、蜜月?」
その声に呼ばれるように現れた素足が、床に触れるたびにぺたぺたという音を立てる。
「眠れないの」
蜜月が大きな枕を抱いて、扉の前に立っていた。
こっちにおいでと手招きすると、蜜月が素直に店主の腕におさまる。
椅子に座った店主の膝の上にちょこんと座ると、蜜月は甘えるようにその胸にことんと頭を預けた。
「深景は? もう寝てるの?」
「うん。絵本読んでくれてたんだけど、先に寝ちゃったの」
「そうかぁ」
ゆっくりと店主は蜜月の髪を梳く。
そのゆるやかな動きは心地よいものだが、今夜の蜜月に眠りをもたらそうとはしない。
「ねえ、マスター。どうやったら、眠れる?」
「そうだね……羊を数えてみるのはどうかな?」
ぱっちりとした月のような目で見上げられて、店主は微笑んで提案する。
「ひつじ?」
「そう。見ててごらん」
店主は先ほどの小瓶から、星の欠片をテーブルに零す。
そしてその欠片の海から少し離れた場所に、空になった小瓶を転がした。
淡い白の光を放つ欠片のひとつに指を向ける。
「ひつじが、いっぴき」
言葉と同時に、指先が弧を描く。
星の欠片がひとつ、ぼうと大きく光を放った。
輝きが膨らんだのは一瞬、元に戻ったときには、その欠片は小さな羊に転じていた。
すいと動いた指の軌跡のとおりに、その羊は軽やかに小瓶を飛び越える。
たたん、と、テーブルの木目を蹴る蹄が軽快な音を立てた。
「う、わぁ……!」
蜜月の瞳が満月よりも明るく輝いた。
テーブルにかじりつくように身を乗り出して、その小さな羊を見つめている。
「羊が、二匹。羊が、三匹」
店主の声で、星の欠片たちは次々に羊に身を変え、テーブルの上の小さな牧場で飛び跳ねた。
小瓶に区切られた空間に、徐々に羊が集まっていく。
越えた後に遊び足りないとばかりに走り回る羊や、やる気のなさそうにぎりぎりを飛んではだらけてしまう羊、たまに小瓶を越えられなくて転んでしまう羊もいる。
蜜月は、テーブルの上に顔を乗せて、じっとしている。
けれど、それは眠ってしまったわけではなかった。
飽きもしないで、その個性的な羊たちを可愛いね、面白いと見続けていた。
羊を操る手をとめて、店主が蜜月を覗き込んだ。
「羊が八十匹……もしかして、蜜月、逆に眠れなくなってきてる?」
「え……あれ?」
ぱちぱちとその大きな瞳が瞬いた。
「そういえば……眠くない」
しまった、と、店主が額に手を当てて大きく息をついた。
「逆効果だったか……」
「だって羊さん可愛いんだもの」
抱えていた枕をぎゅっとして、蜜月は困ったような笑いを零した。
「うーん、僕が甘かったね」
蜜月の性格を考えると確かにさもありなんという事態ではある。
頬杖をついてテーブルにひしめく羊の群れを指先で追いやりながら、店主が思案している。
「どうしようか……とりあえずベッドに入るところからやりなおそうか?」
こくりと頷いた蜜月がぴょんと店主の膝から飛び降りて、店主を見上げた。
「マスター、羊さんどうするの?」
「そうだねえ……」
入り口についているカウベルは、その慎重な動作でほぼ沈黙を保っている。
室内に店主が入ると同時に、その肩から黒猫が足音もなく飛び降りた。
猫はふいと明かりの無い暗さの中にその漆黒の毛並みを溶かして消える。
店主は外の闇を室内に取り込んだまま、外套から拾い集めた星の欠片を机に広げた。
ぼんやりと薄く発光するその明かりのみで、この中を歩くには充分だ。
作りつけられた棚から、小さな小瓶を取り出す。
コルクで出来た蓋をあけ、しゃらしゃらと、星の欠片を小瓶に移し変える。
その美しい光を気に入っていた少女にわけても良いし、また別の使い道をしても、もしくは普通にコレクションとして飾っておいても構わない。
目の高さに掲げて振ると、星たちは涼やかなる音を奏でた。
ぼうとその暖かな白の光を映した目元が満足げに笑みを象る。
こういった美しいものや珍しいものは、店主を楽しませる。この世界の素晴らしさと可能性に心が躍る。
見えない宵闇に潜むものは、光の中では見えない不思議で優しい暖かさをもつものだと、店主は知っている。
その闇の奥の空気を動かす小さな気配を感じて、薄い闇の向こうに、店主は声をかける。
「どうかしたかい、蜜月?」
その声に呼ばれるように現れた素足が、床に触れるたびにぺたぺたという音を立てる。
「眠れないの」
蜜月が大きな枕を抱いて、扉の前に立っていた。
こっちにおいでと手招きすると、蜜月が素直に店主の腕におさまる。
椅子に座った店主の膝の上にちょこんと座ると、蜜月は甘えるようにその胸にことんと頭を預けた。
「深景は? もう寝てるの?」
「うん。絵本読んでくれてたんだけど、先に寝ちゃったの」
「そうかぁ」
ゆっくりと店主は蜜月の髪を梳く。
そのゆるやかな動きは心地よいものだが、今夜の蜜月に眠りをもたらそうとはしない。
「ねえ、マスター。どうやったら、眠れる?」
「そうだね……羊を数えてみるのはどうかな?」
ぱっちりとした月のような目で見上げられて、店主は微笑んで提案する。
「ひつじ?」
「そう。見ててごらん」
店主は先ほどの小瓶から、星の欠片をテーブルに零す。
そしてその欠片の海から少し離れた場所に、空になった小瓶を転がした。
淡い白の光を放つ欠片のひとつに指を向ける。
「ひつじが、いっぴき」
言葉と同時に、指先が弧を描く。
星の欠片がひとつ、ぼうと大きく光を放った。
輝きが膨らんだのは一瞬、元に戻ったときには、その欠片は小さな羊に転じていた。
すいと動いた指の軌跡のとおりに、その羊は軽やかに小瓶を飛び越える。
たたん、と、テーブルの木目を蹴る蹄が軽快な音を立てた。
「う、わぁ……!」
蜜月の瞳が満月よりも明るく輝いた。
テーブルにかじりつくように身を乗り出して、その小さな羊を見つめている。
「羊が、二匹。羊が、三匹」
店主の声で、星の欠片たちは次々に羊に身を変え、テーブルの上の小さな牧場で飛び跳ねた。
小瓶に区切られた空間に、徐々に羊が集まっていく。
越えた後に遊び足りないとばかりに走り回る羊や、やる気のなさそうにぎりぎりを飛んではだらけてしまう羊、たまに小瓶を越えられなくて転んでしまう羊もいる。
蜜月は、テーブルの上に顔を乗せて、じっとしている。
けれど、それは眠ってしまったわけではなかった。
飽きもしないで、その個性的な羊たちを可愛いね、面白いと見続けていた。
羊を操る手をとめて、店主が蜜月を覗き込んだ。
「羊が八十匹……もしかして、蜜月、逆に眠れなくなってきてる?」
「え……あれ?」
ぱちぱちとその大きな瞳が瞬いた。
「そういえば……眠くない」
しまった、と、店主が額に手を当てて大きく息をついた。
「逆効果だったか……」
「だって羊さん可愛いんだもの」
抱えていた枕をぎゅっとして、蜜月は困ったような笑いを零した。
「うーん、僕が甘かったね」
蜜月の性格を考えると確かにさもありなんという事態ではある。
頬杖をついてテーブルにひしめく羊の群れを指先で追いやりながら、店主が思案している。
「どうしようか……とりあえずベッドに入るところからやりなおそうか?」
こくりと頷いた蜜月がぴょんと店主の膝から飛び降りて、店主を見上げた。
「マスター、羊さんどうするの?」
「そうだねえ……」
作品名:眠れぬ夜に -宵待杜#05- 作家名:リツカ