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ほくろ

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 おっぱいを吸わせているうちに疲れたのか、唯愛は乳首をくわえたまま眠っていた。いつものお昼寝タイムだった。起こさないようにそっと布団に寝かせる。少し暑いかなと思ったけれど、一応お腹にだけバスタオルをかけた。
 これからの一時間は、何より貴重な私の自由時間だった。嬉しさが込み上げて来る。たぶん今は無表情ではないはずだ。
 さて何をしようと思いながらネットであちこちページをめくる。何を探すわけでもなく、ただ上ずる気持ちのまま画面をスクロールする。芸能人のゴシップ、性犯罪者の速報、ショッピングサイト、お取り寄せ。天気予報のページで手を止める。昨日より渦巻きが近づいて、停滞前線が長くなっている。
 ふと時計を見上げると、もう十五分も経っていた。こうしている間にも残り時間は容赦なく削られていく。私はじっとしていられなくなって立ち上がる。
 冷蔵庫からバターとりんごを取り出す。タルト型を出して、オーブンを温め始める。
バターをナイフでサイコロ状に切る。手についた部分がぬるぬると溶ける。カットしたバターを砂糖と小麦粉と一緒に手でこすり合わせる。混ざり合ったそれで丸い土手を築いた。そして真ん中に卵を割り入れた。
 手をすっと卵の中に入れる。卵はとろんとしていて、冷たくて、私はこの感触が一番好きだった。すくうように持ち上げ、そのまま落として黄身を破る。裂けた膜から濃厚な黄身がじわりと染み出してくる。黄身は透明な白身に侵入し、境界線を無くして辺りを濁した。混ぜたりこねたりする感覚。何かを作っている時に感じる、忘我のような感覚。指の先で卵をかき混ぜる。全体が黄色に染まる。潰れた色彩。とてもきれいだと思う。
 いつまでもそうやって遊んでいたいけれど、バターが柔らかくなり過ぎるのは困る。私は土手を決壊させた。こね過ぎないように注意しながら、すべての材料を一まとめにする。冷蔵庫で引き締める手順をとばして、私はそのまま生地をタルト型に塗りこめていく。
 指の腹で押さえながら、生地を型に押し付ける。指の跡が線になって何本も伸びる。指の跡を指の跡で消すように、何度も何度も指を生地に這わせる。塗り込めば塗り込むほど、タルトは複雑な模様になっていく。
 唯愛の泣き声が聞こえる。しまったと私は思い、爪の間に入り込んだ生地を見つめる。
 バターがこびりついた手。洗い流すまで何分かかるだろう。一分……、二分? もしかすると唯愛だってそのまま眠るかもしれない。けれど泣き声はいっそう激しくなるばかりだった。
 もう少し、もう少し、と私は生地を塗る手を急がせる。泣き声はやむことなく大きくなっていく。振り返らずに私は指で塗り続ける。いびつで醜い跡がいくつも付く。押し寄せるような重苦しさを込めて、私は生地を塗り広げていく。
 体温でバターがとけ、円形に広がったタルトの生地はぴかぴかと光っている。レモンの香りのするりんごをたっぷり敷き詰めれば、指の跡はきれいに隠れる。これを夫の前に出せば、喜んで食べるはずだ。
 唯愛の泣き声は、すでに叫び声に近かった。きっと全身の力で泣いているに違いない。急いで私は水道の蛇口をひねる。水がほとばしり、シンクに跳ねて辺りが濡れる。私は洗剤を指に落とす。なかなか泡立たず、更に洗剤を足す。ぬるぬるする両手をこすり合わせながら、爪の中の爪を立て、入り込んだ生地をこそげ落とす。爪が私の皮膚を刺激する。いつの間にか私は爪を立てることに夢中になっている。ひりひりとした痛みを白い泡の中で感じる。唯愛の泣き声が部屋中に氾濫する。私は額に汗をかいている。
 泣き声に反応するように、乳房がきんと張ってくる。ぽたぽたと内側から乳が溢れ出してくるのが分かる。
 走り寄って抱いてやればいい。たったそれだけで唯愛は満ち足りて再び眠りにつくだろう。
 頭の中で分かっていても、体が動かなかった。あの泣き声に何度急かされてきたか分からない。いったんそう思うとどうしようもなく、苛立ちが私の中で大きくなっていく。
 泣き声はやまない。すがりつくような、けれど、絶対裏切られないことを知っているような、そんな声が、どこまでもどこまでも、諦めずに私を追いかけてくる。たとえ喉から血が出ても、きっとあの子は私を求めて泣き続けるに違いない。
 泣き声が私の耳の奥を刺激する。私は爪を立てながら手を洗う。洗剤の泡が膨らんでいく。
 私は水の中に手を突っ込む。水しぶきが跳ねる。辺りはさらに水で濡れる。泡の下から私の両手が現れる。私の両手は、赤い線だらけになっている。

 
作品名:ほくろ 作家名:なーな