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雪の華~Wintwer Memories~Ⅲ

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 ともすれば目頭が熱くなり、泣けてきそうになる。できれば退社の五時まで勤務したかったが、どうにも堪え切れなくなり、気分が悪いと退社させて貰ったのは終業時刻一時間前の四時であった。

 LessonⅣ 忍ぶれど

 雨の街を泣きながら彷徨う中に、いつしか見憶えのある風景の中に佇んでいた。輝はぼんやりと眼の前の小さな建物を見つめた。
 かつては白亜の壁も眩しく蒼空に映えていたであろう町の教会。一人の敬虔で慈悲深い神父が私財を投じて建てたという教会と付属の公園。今、気の遠くなるような年月が流れ、神父はこの世の人ではなく、教会には神父不在のまま、地元の人たちによって何とか温存できているといった状態だという。
 ふいに冷たいものが頬に触れ、輝は弾かれたように顔を上げた。腕時計は今、きっかり五時を指している。冬の日は短い。しかし、この時間でもう薄墨を溶き流したような宵闇に周囲の風景が沈み込んでいるのは、何も陽暮れが早いからだけではなさそうだ。
 それもそのはず、グレーの雲が重なり合い、十二月の空は重たげに低く垂れ込めている。鈍色に染まった天(そら)からは雨滴が落ち始めていた。
「どうせなら、雪が降れば良いのに」
 いつか夢の中で見た景色のように、一面の銀世界の中にひっそりと佇む教会の前で、愛する男性と二人だけの結婚式を挙げられたら。そこで輝は自嘲の笑みを刻む。
 相手もろくにいない有様なのに、一体、どうやって結婚式を挙げるのだろう。そんなことも判らないくらい、自分はどうかしてしまっているのか。
 雨は止むどころか、どんどん烈しさを増してゆく。輝は慌てて周囲を見回した。どうやら教会の他は雨宿りができそうな場所はなさそうである。彼女は教会の中へと駆け込んだ。
 教会の内部は思ったよりは広々としていた。かつては信心深い信徒たちが集ったであろう礼拝堂は森閑と静まり返り、人っ子ひとり見当たらない。木製の長椅子が間隔を置いて整然と並んでおり、奥まった中央に牧師が信徒たちに説法するための台が設けられていた。
 内装そのものは、写真などでよく見る教会と何ら変わらない。この近隣の人々は皆、几帳面なのか、信心深いかのどちらかだろう。或いは、その両方かもしれない。神父も不在で無人の教会にしては掃除もきちんとされており、荒れた感じは一切なかった。
 そのことにどこかホッとして、輝は左右に長椅子が何列にも並ぶ中央の通路をゆっくりと奥手に向かって進んだ。
 祭壇にはこれもよく見かけるように、十字架を背負ったイエス・キリストの像が据え付けられている。その脇には大きなステンドグラスの填った窓があり、聖母マリアが幼いキリストを抱いている様が描かれていた。
 聖母はやがて神の子を見舞うことになる残酷で哀しい運命を予感しているのか、慈しみ深い中にも、どこか哀しみを漂わせた微笑をひっそりと浮かべている。
 よく晴れた昼間に来れば、このステンドグラスを通して陽光が燦々と差し込み、教会の床に美しい模様を描き出すことだろう。
 輝は幼子キリストを抱くマリアを見上げている中に、いつしか泣いていた。その場にくずおれるように座り込み、膝を抱えて泣いた。

―ミニクイアヒルノコニハ コノヨデノソンザイカチスラナイ。

 あの悪意と憎悪に満ちたメールがまたも脳裏に甦る。
 お願い、教えてください。マリアさま。私はどうして〝醜いアヒル〟だったのですか?
 いつも通勤用に持ち歩いているバッグから携帯を取り出し、夢中で番号を押した。
 ―それは吉瀬の携帯の番号であった。
 しばらく呼び出し音が鳴っていたが、吉瀬は出る様子はない。諦めて切ろうとしたその時、〝もしもし〟と聞き憶えのある声が耳に飛び込んできた。
「吉瀬さん?」
―もしかして、その声は本間さんなの?
「はい、本間です」
―どうしたの? 
「お願い、来て。私、一人ぼっちで」
 輝が尋常な精神状態であれば、まず一度逢ったきりで殆どお互いについて知らない吉瀬に電話することもなかったはずだ。しかし、この時、輝は完全に我を見失っていた。
 電話の向こうで息を呑む気配がした。当然だ。初対面にほぼ等しい女からいきなり電話がかかってきて、〝すぐに来て〟と言われて、当惑しないはずがない。
 が、吉瀬の判断は速かった。受話器を通して聞く輝の声音がそれだけ切迫したものに感じられたのかもしれなかった。
―判った、今から行くから。で、どこにいるの?
 吉瀬は輝の居所を聞くやいなや、すぐに電話を切った。
―良いかい、必ずそこにいるんだよ。
 と、くどいくらい念を押して。
 吉瀬が来るまでの時間は随分と長く思えた。だが、実際にはたいしたものではなかったろう。
「本間さん」
 教会の扉が壊れるのではないかと思うほど、勢いよく音を立てて開いた。輝は思わず膝に伏せていた顔を上げた。
「一体、何があったんです?」
 吉瀬は防寒用のためか、チャコールグレーのダウンコートを着ていた。髪が雨で濡れて光っている。よほど急いで駆けつけてくれたのだろう。
「ごめんなさい。急に呼び出したりして」
「そんなことは良いんだ。でも、落ち着いた本間さんがあんなに切羽詰まった声を出すから、何か良くないことがあったんじゃないかと気が気じゃなくて飛んできたんですよ」
 輝の眼から大粒の涙が溢れ、白い頬をつたった。
「私、ずっとずっと惨めだった。吉瀬さんにウェディングドレスを着て撮影して貰うときも、本当は心のどこかに惨めな気持ちを隠していたの。シングルのアラサー女がたった一人で花嫁衣装着るなんてと思ってた。吉瀬さんがここに来てくれるまで、自分がマッチ売りの少女かフランダースの犬のネロみたいに、一人ぼっちでここで死ぬんじゃないかと思って、不安で堪らなくて。私って、本当に何の取り柄もなくて、いつも皆の片隅で小さくなってばかりだった。外見も冴えないし、全然美人じゃない。おまけに、たった一つの夢だったピアノまで諦めなさいって言われて」
 そう、自分はいつもマッチ売りの女の子やネロ少年のように孤独だった。四つ違いの姉と比較され、憐れみと蔑みの入り混じった視線にされされてきたのだ。
 幼い頃、可哀想な少女やネロ少年の話を読みながら、どれだけの涙を自分の身の上に重ねて流したことだろう。自分もいつか、誰からも見向きもされず、物語の憐れな主人公たちのように孤独な中に死んでゆくのだと思い込んでいた、あの日。
「でも、吉瀬さんに出逢ってから、何かが変わってきたの。由佳里さんのしてくれたメークと素敵なドレスで、醜いアヒルの子だった私がたとえひとときでも綺麗な白鳥に変身できたもの。とても嬉しかったし幸せだった。それだけじゃない、吉瀬さんに出逢ってから、私、ずっと幸せだった。いつも吉瀬さんのことを考えてたら、空っぽだった心が温かくなってくるの」
 輝が言葉を止める。迷うように睫が震え、視線が伏せられた。
「まるで心の奥に―ここに」
 自らの胸を指して続ける。