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雪の華~Wintwer Memories~Ⅰ

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LessonⅠ 憂鬱な夜には

 輝(ひかる)は思いきり盛大な溜息をついた。もう、これで何度目になるか判らない。しかし、そうでもしなければ、到底、精神のバランスを保っていられそうになかったからだ。
 一週間ほど前、同じ総務部の後輩藤堂美奈子が訳知り顔でそっと耳打ちした例の科白が今こそありありと甦る。
―先輩、この間の日曜の午後、営業の長瀬先輩が同じ部署の三森(みつもり)さんとN駅前を歩いてましたよ。ホント、肩なんかぴったりとくっついっちゃって、誰が見ても恋人にしか見えないほど―。
 そこで、美奈子の滔々としたお喋りは突然、止まった。輝の形相がいつもにもましてきつくなっていたからだ。
 この時、輝は自分の暴れ出そうとする気持ちを抑えるのに精一杯だった。だが、眼前の後輩に、ありったけの冷静さと落ち着きをかき集めて取り繕った笑顔を見せるだけの努力はした。
―藤堂さん、もう昼休みはとっくに終わったのよ? 無駄なお喋りは止めて、さっきお願いした会議用の資料のコピーを済ませてちょうだい。
 輝が勤務するのはN駅付近に林立するビル群の中でも、ひときわ眼を引くN商事である。大手の化粧品メーカーであるN商事の本社であるここは、数年前に建て替えたばかりの見事な現代建築の美を余すところなく披露している。シルバーグレーに輝く外観は、いかにも時代の先端をいく有名企業にふさわしい。
 不況の現在でもなお、積極的に大卒の新人社員を雇用することでも知られ、日本の有力企業の一つに数えられて遜色がない。
 中でも本社に勤務する若手は将来の幹部候補といわれ、地方支社の社員から見れば羨望の的であった。
 輝がこの誰もが羨む本社に入社し、総務部に配属となったのは今から九年前になる。以来、ずっと異動もなく、今では〝本間の局〟と若い社員たちから怖れられる立派な中堅社員となった。
 営業の長瀬敦也というのは、輝よりは一年遅く入社してきた。立場上は後輩なのだが、敦也は浪人しているから、実年齢は同じである。別に輝はこの敦也と付き合っているというわけでもなく、恋人同士というわけでもない。ならば何故、美奈子がご注進に及んで、ああまで動揺したかというと、それなりの理由があった。
 数年前のバレンタインまで話は遡る。輝は敦也が入社以来、ずっとひそかに憧れていた。敦也は嵐というジャニーズの人気グループのナントカというタレントに似ているらしい。らしい、というのは、輝はそういった芸能界にはまったく興味がなく、そのタレントの顔どころか名前すら知らないからだ。
 だが、敦也はその嵐のメンバーのナントカに似ているということで、社内でも常に注目を集めていた。数年前、輝は営業部まで行き、こっそりと敦也のデスクに手作りのチョコレートと思いのたけを控えめに綴った手紙を置いた。
 ところが。何と敦也の使っているデスクだと思い込んでいたのは、新人の岩田という男のもので、輝は勘違いをしてしまったのだった。また、この岩田という男がとんでもないお調子者の軽薄人間だったことから、事は厄介になった。実際のところ、岩田があそこまで騒ぎ立てなければ、輝が敦也のことを想っているなんて、誰にも知られずに済んだろう。
 あろうことか、輝が両手の指を火傷してまで涙ぐましい努力をして拵えたチョコレートを〝豚の餌にもならないような不細工な〟と言い、数時間かけて考え出した告白文を〝幼稚園児にでも書けそうな稚拙なラブレター〟と酷評した。
 更に、それを同期の若手社員たちの前でやったものだから、噂は火が付いたようにひろがり、輝はその日の中には会社内の笑い者になっていた。
―敦也先輩と本間先輩じゃ、まるで釣り合わねぇよ。本間さんってさ、今時流行らない、どでかい眼がねかけて、髪はきりきりとひっつめて、それこそ嫁き遅れの見本のようじゃねえ? ドラマにもあんな冴えねぇOLは出てこないぜ。
 同期の比較的仲の良い女子社員から、岩田の科白を聞いた時、輝は大いに傷ついた。
 ブスが作ったチョコレートは豚の餌にもならないし、ブスが書いたラブレターは幼稚園児の書いた手紙にも劣るのか。
 ブス、ブス、ブス!
 一体、物心ついたときから、どれだけの人にそう言われ、或いは、そんな眼で見られてきたことだろう。もちろん、常識ある大人であれば、あからさまにそんなことを口にしはしない。しかし、四つ違いの姉と比べて、輝はいつも姉の引き立て役に徹する側だった。
―可哀想に、お姉ちゃんはあんなに綺麗で可愛いのに、輝ちゃんは、どうして、あんな風なのかしらね。
 誰もがそういう同情的な視線をくれた。
 美人で立ち回りも上手い姉は短大を卒業してすぐに結婚した。相手は学生時代から交際した歯科医師の卵。今ではもう立派な医者となり、開業している。
 ある時期まで、輝は一応は美しくなるための努力はしていた。癖のある猫っ毛は美容院でストレートパーマをかけ、メーク教室にも通ってみたりもした。それはむろん、あの敦也にチョコレートを贈った日までのことだ。
 だが、あの出来事で、ブスは所詮、何をやっても良いようには見て貰えないと痛感し、無駄な努力は一切止めたのだ。流石に会社勤めでノーメークというわけにもゆかないので、メークは白粉を薄くはたいただけ、癖のある長い髪の毛は爆発しないようにひっつめてお団子にしている。
 通勤服はいつもブラックのスーツ。周囲からは〝化粧品会社というよりは葬儀社勤務のようだ〟と、これも陰口をたたかれているのは百も承知である。
 が、既に〝ブス〟とかそれに連なる罵りや嘲りの言葉には慣れてしまっている輝は、そんな陰口なぞ素知らぬ顔で過ごしていた。あまりに酷評されすぎてしまうと、心も麻痺してしまい、傷つくこともなくなるのかもしれない。
 天然パーマの縮れ毛はどうやっても真っすぐにはなってくれないし、生まれつき狐のようにつり上がった細い眼は大きくはならないし、薄い唇は冷たくて意地悪な女という印象を与えてしまう。整形でもしない限りは、この生まれもった顔を変えるのは無理だと悟ったのである。
 それなのに、両親は何をとち狂ったのか、こんな自分に〝輝〟なんて不似合いな名前をつけてしまった。これも一つの自分の大きな不幸に他ならない。両親は何でも姓名判断で子どもの名前は一文字が良いとアドバイスされたらしい。姉は〝奏(かなで)〟、妹の自分は〝輝〟。
 大抵の人は自分の名前を知ると、まず顔をまじまじと見つめる。それから、〝あ〟と小さな声を上げ、〝ああ、とても良い名前だね〟と。その表情には何とも形容のしがたいものがあり、明らかに〝名前と顔が合致していない〟と書かれていた。しかし、そんな反応にももう慣れっこになってしまった。
 ブスで眼がねで、彼氏いない歴三十一年の私が〝輝〟じゃ悪い? 文句でもある、何か?
 そういうあからさまな反応を返す人間を前にして、かえって不敵な笑みを浮かべるくらいの度胸もゆとりもできた。