フェル・アルム刻記
六.
玉座の間にはすでに五名の人物が揃っていた。
宮中の行事を取り仕切る典礼長、ディナイラム・ランシア・ゼネダン。
フェル・アルム中枢の政治主導者である執政官、クローマ・リセロ。
フェル・アルム各地をとりまとめているレビノス・ファルニック領主総代。
神よりの神託を受け、ドゥ・ルイエ皇に伝える“司祭”。
そして――烈火の将軍。
玉座の間の扉が開かれると、一同は敬礼をした。近衛隊長ルミエール・アノウを先頭に、二人の近衛兵が横についてルイエが入ってきた。湯浴みをしたルイエは髪を下ろし、略式ではあるが王冠を戴いている。彼女はしきたりに従い、北方の方面――神君ユクツェルノイレの廟所《びょうしょ》に対し一礼をすると、玉座に腰掛けた。
[貴君らには待たせたようだな。先頃よりフェル・アルム各地で頻繁に出没し、目下の懸案となっていた化け物が、先ほどここアヴィザノを襲ったのは貴君らも知ってのとおりである]
ルイエが言った。毅然とした口調はまさに国家元首のそれであり、先ほどまでジルやキオルと交わしていたような親しげなものではなかった。
[はい。フェル・アルム千年の歴史において、このような出来事ははじめてのこと。彼奴らがどこから現れたのか、それは後ほどにしまして、今席上では陛下には、窮地を救った人物をご紹介させていただきます]
ゼネダンが口上を述べると、深紅の制服をまとった人物が一歩前に出た。
[ニーヴルの反乱以後、烈火は主に宮中の護衛にあたっており、指揮官は不在の状態でしたが、ここしばらく異状が続く中、遂に将軍が選出されました]
巨躯を持つ烈火の将軍は、膝を折って畏まった。
[このたび烈火の将軍となりました、デルネアと申します]
[貴君であるか。宮殿を荒そうとした、かの化け物を仕留めたのは。近う]
ルイエの言葉に従い、デルネアは玉座の前にて畏まった。
(これが……烈火の将軍……)
四ラク半あまりの巨体からは想像も付かぬ瞬発力を見せたデルネア。そして神業としか言いようがない剣技。畏まっている姿からも、言葉には表せないカリスマ的な力を、ルイエはひしひしと感じていた。もし、彼がこの玉座に腰掛けていても、何ら違和感がないであろう。
(剣が出来る。ただそれだけの男ではなさそうだな)
ルイエは一瞬、司祭のほうに目をやり、またデルネアのほうに戻した。
[そなたの活躍が無くば、今頃この宮はどうなっていたのか、考えたくもない。このドゥ・ルイエ、アヴィザノ……いやフェル・アルムの民の代表として礼を言うぞ]
[陛下からそのようなお言葉を頂くとは、身に余る光栄にございます]
デルネアは言った。
[私めは烈火として、出来ることをなしたに過ぎません]
[……烈火というのは、みな貴君のごとく剣が立つのであろうか?]とルイエ。
[私めの戦いを、ご覧になっていたのですか?]
[ああ……]
言葉に詰まった。宮殿の外から眺めていた、とはさすがに言えない。
[……少しだけだが]ルイエは短く言葉を切った。
[いずれにせよ、そなたの剣技はまことに見事であった。……で、烈火の腕前はどうなのだろうか]
[フェル・アルム精鋭部隊は伊達ではありませぬ。が、おそらく自分以上に腕の立つ者はいないでしょう。そこを買われて将軍になったのですから]
[そうか。火急の時には、また力になってくれるな?]
[はい。今のフェル・アルムの異状を解決したい、私の思いはその一心であります]
ルイエは内心どきりとした。烈火が決起した時、それを指揮するのはデルネアだ。その時、デルネアが何を行うのか。ルイエの心に一瞬影がよぎった。
[そなたの忠誠心、ありがたく受け取る。しかし、私としては烈火を一同に決起させるつもりはないのだ]
[どうされるおつもりでしょうか?]
デルネアの言葉は不遜な口調ではあったが、ルイエは気にしなかった。
[リセロよ]
ルイエは執政官を呼んだ。
[あのような化け物が各地を襲うようではたまらぬ。烈火を分散して、各地の守りにあたらせることは出来るか?]
[陛下から書面を頂ければ、勅命として実行出来ましょう]
リセロは言った。
[しかし、よろしいのですか? 烈火を分散させれば、中枢の守りは薄くなります。化け物が単体で襲来をかけるのであれば、衛兵達やデルネア将軍の力で何とかしのげましょうが、敵が大勢になりますと、おぼつかなくなります]
[貴君の言う、『大勢の敵』とは、何のことか?]
ルイエは鋭く刺した。リセロは何か口にしようとしたのだが、どうも躊躇しているようだ。
[この件、ニーヴルの所為だと思っているのなら、それは根も葉もない風説に惑わされているに過ぎないぞ、リセロよ。私は、ニーヴルによるものとは思っていない。それより今は、化け物どもをどうするかが急務なのだ。現実問題としてな]
[失礼申し上げました]
リセロは言った。
[確かに、陛下のご判断は正しい。ご賢察でありましょう]
[デルネアも、それでよいか?]
ルイエの問いにデルネアは[御意]とだけ答えて、元の位置に戻った。
ルイエは一同を見渡して言った。
[貴君らも聞いてのとおりである。我、ドゥ・ルイエは、烈火を各地の守りにあたらせることを決意した。敵はニーヴルにあらず、あくまで化け物である。万一にもフェル・アルムの民を屠った場合は厳罰と処す。この件は追って勅命を出すゆえ、この場はここまでとしたい]
ルイエは立ち上がった。
[では、勅命の場はあらためて設けさせていただきます。この場はこれにて……]
ゼネダンが言って、会見は終了するはずだった。
[ええ?]
ゼネダンが、彼らしからぬ素っ頓狂な声をあげた。彼の後ろに見知らぬ子供がいたからだ。
[なんで、ここに子供がいる?]と、ファルニック。
金髪の少年は、つと前に出ると、舌をぺろりと出した。言うまでもなくジルである。しかし――。
[いつの間に入ってきたっていうの?]
近衛隊長アノウがぽろりとこぼした一言こそ、ルイエの本心であった。扉が開いた形跡は無いのだ。
[よい。なにせ化け物の騒ぎのあとだ。市中も混乱していよう。子供が宮中に入った件、私に免じて許してやってくれ]
ルイエは近衛兵を従えて玉座を離れていった。ジルはちょこちょこと、そのあとをくっついていった。
残された面々はお互い顔を見合わせ、不思議がっていたが、大したことではないと考えたのか、何も言わずに退席していった。
そして退席際、デルネアと司祭がお互いにうなずいていたのも、ほかの者にとっては大したことではなかった。単なる挨拶に過ぎないと思っていたのだ。