フェル・アルム刻記
[そうですねえ]ハーンは笑いながら相づちを打った。
[なあ若いの。おぬし、悩んでいることがあるな?]
老人は目を細めて訊いてきた。ハーンはどきりとした。老人の指摘があまりにも的確だったからだ。
[分かりますか?]
[分かるとも。だてに長年タールを弾いてないわい。その音から、弾いてる人間の想いが分かるってもんじゃよ]
ハーンは苦笑いをした。
[じゃが]老人はにっと笑った。[じゃがな、大丈夫じゃ。人間と同じく、世界そのものにも意志があるとするなら、自分から進んで悪い方向に行こうなどとは思わんじゃろうからな]
[え?!]
ハーンは老人を見据えた。自分を見上げている老人が、急に大きく見える。
[それにぬしが闇の虜になったとしても、おぬしの友人が救ってくれるじゃろう]
再び目を細めると、老人はタールを手に歩き始めた。
[あの!]ハーンは声をかけた。[あなたは……?]
老人は振り返って言う。
「わしは、おぬしの“知識”が……封じられた知識が知っている者じゃ。……闇を汝が力とせよ。きっかけを与える者は、すでにおる。まあ多少、手荒にはなりそうじゃがな」
語った言葉はフェル・アルムの言葉ではなく、アズニール語――アリューザ・ガルドの言葉であった。老人は再び歩き始めた。
「古き友人よ。我が名は“慧眼《けいがん》の”ディッセじゃ」
その場で、老人の姿はすうっと消え失せた。
「ディッセ……」
ハーンは老人がいた場所を見ながら言った。
(――ディッセ。ムル・アルス・ディッセ。ディトゥア神族にして、次元の狭間“スルプ”の長)
心の奥底に眠る“知識”がハーンに囁いた。
術の力に覚醒した十三年前から、“知識”はハーンの中で時折うごめいていたが、ここ最近、呼びかけが顕著であった。ハーンの奥底に眠る“知識”といわれるもの。それがいったい何なのか、知る者はハーン自身と〈帳〉しかいない。
そのまま、ハーンはしばしたたずんだ。