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フェル・アルム刻記

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五.

 中枢が動き始めた、その夜のこと。
 アヴィザノの西、半メグフィーレほどのところに、果樹園――ロステル園があった。小高い丘には一面草木が生い茂り、その所々に果物畑があるのだ。子供にとっては難儀な場所であるのだが、この夜、一つの小さな影が動いていた。
「まったく、ジルのやつめぇ……」
 草木をかき分け、小さな影はとぼとぼと歩いている。十をようやく過ぎたくらいの少年は、まだあどけない声で、二十回目の悪態を付いていた。
「オレのいっちょうら、ずたボロにさせやがってぇ……」
 枝や、いばらの棘などに引っかけたため、少年の服は至る所ほつれていた。
「大体あいつの力が未熟だからいけないんだ。ちっくしょう、“転移”の途中でオレだけ落っことしやがって……ジルは今頃ふっかふかのベッドで高いびきでもしてんだろうなぁ」
 ぶつぶつぶつぶつ、少年の愚痴は続く。
「腹……へったよぉ……」

 半刻も歩き通し、少年がさすがに弱気になった時、ようやく道が開けた。下り坂を装飾するアーチ状の蔦のトンネルの向こう側に、アヴィザノの外壁が見えたのだ。少年は思わず拳をぎゅっと握りしめる。
「やったぁ! 見てろジルめ、のうのうと寝てたら、たたき起こしてやるからなぁ!」
 少年は変わらずの悪態を付きながらも、顔をほころばせた。

 その時。“闇”が現れた。周囲が夜のとばりに包まれているというのに、それよりさらに暗く禍々しい漆黒が出現したことを少年は知った。暗黒の球は、蔦のトンネルを音も出さずに上ってくると、少年の眼前で停止した。
 のそり。
 地を這いながら、“それ”は現れた。フェル・アルムの常識では考えられないもの。存在すら許されない異形のもの。三つの赤い目が爛々と輝く。
「へええ……」
 少年の口からこぼれた、拍子抜けした声は、恐怖のゆえか、それとも――。
 ぐしゃっ
 一瞬後。鈍い音がした。



作品名:フェル・アルム刻記 作家名:大気杜弥