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フェル・アルム刻記

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「そろそろ戻ってお茶にしませんか? ルード達も怪しんでいるでしょうしね。……それと、僕達の立場は今までどおりでいましょうよ。あなたは大賢人。僕は一介のタール弾きにして戦士。ティアー・ハーン以外の何者でもない、って言ったでしょう?」
「……それもまたしかり、か……。では下に降りようか。ティアー・ハーン、君の旅が無事であることを祈って」

 〈帳〉もまた立ち上がり、自分の部屋を後にしようとしたが、ふと躊躇した。
「どうしましたか?」
 取っ手に手をかけ、部屋を出ようとしたハーンが振り返る。
「……ハーン、君はここから出たあと、何をしようというのだ、本当のところ?」
 それを聞いてハーンはにんまり笑ってみせた。
「やっぱり分かっちゃうんですかねぇ。確かにスティンには行きますよ。その後はそう、街道を南下しつつ異変がないか調査して……最後にはアヴィザノへ赴きます」
「なんと、ひとりでか?!」
「ええ。中枢の情勢を知っておきたいですし……もし今デルネアが中枢にいるのなら、警戒がいかに厳重であれ、会っておきたいですから」
 ハーンは大したことがないように、さらりと言ってのけた。
「ハーンよ。ひとりではあまりにも危険だ。やめたほうが賢明と思うが。言っただろう、彼の“力”がどれだけ危険か。それに彼は、人の心に入り込むのに非常に長けている。私でさえ彼に会うのはきわめて慎重にならなくてはならないのだ。まして君は、ニーヴルの残党として認識されることもあり得る。あきらかに君の身が危険にさらされるぞ。やはり、我々と合流したあとのほうがいいのではないか?」
「いえ。こういうことって、ひとりのほうがかえって感知されにくいもんです。それにね、もし彼と会えたとしても、すぐに剣を交えたりはしませんよ。……彼に訊くべきことっていうのがあるでしょう? それに、あらゆる意味で機が熟さねば、たとえ彼を倒したとしても、今回の崩壊はとどまることなく、むしろ進行するでしょうしね。でも、彼と対面叶い、時の利得たりと感じたら、迷うことなく戦うでしょうけど」
「では……あくまで単独で行こうというのだな」
「はい。あなたとルード達は還元の切り札なんです。あなたの知識。ガザ・ルイアートを得たルードの“力”。ライカがこの世界に来たことで生じた、アリューザ・ガルドとの空間の接点。それら全ては取っておかなきゃならないと思うんですよ」
 それを聞いた〈帳〉は、厳しい表情を浮かべたが、やがて部屋の奥へ行くと、ひと振りの剣をハーンに差し出した。

「だが君とて大きな切り札には違いないのだ」と〈帳〉。
 ハーンは剣を受け取ると、鞘から剣を抜き、刀身をさらした。片刃の剣には意匠がほどこされてはおらず、無骨ともいえたが、その刀身からは確かに活力が感じられた。光から隔絶された闇のように黒い刀身は、全ての光を吸収してしまうかのように、ちらりとも光らない。そのような漆黒の刀身を凝視していたハーンは、やがて鞘に収めた。
「これは……」
「持っていくがいい。聖剣がルードを携帯者と見なした今、君は短剣しか持っていないだろう? これは、漆黒の導師スガルトを倒した魔導師、シング・ディールが鍛えし剣。名を“漆黒の雄飛”――レヒン・ティルルと冠する。君も感じているように、闇の波動に包まれている剣だ。さすがにガザ・ルイアートの強大さと較べたら劣りはするが、持ち主は強大な闇の加護を得る。……以前のあなたとは違う君を――ハーンを信じているから、これを託すのだ。存分に使ってほしい」
「ありがとう。僕を信じてくださって。それを裏切る行為はイシールキアにかけてしません」
「では行こうか。君が出かける前の、最後の休息となるが」
 そう言って〈帳〉は重い扉を開いた。
「なあに、またお会いしますよ。アヴィザノから戻ったらね! 言ったでしょう? ちょっと家を空けるだけなんですよ」
 ハーンはそう言って〈帳〉の部屋から出ていった。彼の背中を見ながら〈帳〉はそっと笑みを浮かべ、扉を閉じた。

* * *

 ルードは食堂に戻ってきてからというもの、渋い顔を崩さなかった。手をあごにやり、肘を突いたまま椅子に腰掛けている。ライカはその隣に座っていた。
「ねえ、大丈夫よ。ハーン達が何か企んでるわけじゃないのは、ルードだって分かるでしょう?」
 最初はルードの行為に怒っていたライカも、さすがに彼の悩む姿を心配げに見つめるようになっていた。
「そりゃあ、分かってるさ」ルードは姿勢を崩さない。
「……でもさ、俺の知らない何かを、あの二人は知ってるんじゃないか? 俺が話を聞いていたと分かった途端、雰囲気が変わった。今さら何をごまかす必要があるっていうんだ?」
(ここに辿り着いて一ヶ月。俺達は家族のように暮らしてきた。そんな俺達に話せない事情がなぜあるっていうんだ? 水くさいな。それとも、俺達が知る時期ではない、ということなのか? あの二人の間の……秘密については……)



作品名:フェル・アルム刻記 作家名:大気杜弥