フェル・アルム刻記
ルードは知っている。剣の“力”が自分の技量を補ってなおあまりあるものだということを。そして、ハーンの実力はおそらく、フェル・アルム屈指のものであることを。剣技大会の優勝くらい、どうということはないはずだ。ハーンは、自分が無名であろうとするために、わざと負けているのではないだろうか? 最近ではルードはそう考えている。
以前ルードは、本気で手合わせしてほしい、とハーンに頼んだことがあった。ハーンは快諾してくれたものの、全く勝負にならなかった。一瞬にして間合いを詰められ、剣をはじかれ、胸元に彼の剣を突きつけられたのだった。
しかし、負けたというのに気分は不思議と爽やかだった。
重い音を立てて、館の玄関の扉を開けた。
「お腹空いたなあ……。おっ、いいにおいだなあ!」
卵が焼ける匂いが玄関まで流れてきたことで、ルードの食欲は増した。いそいそと食堂へ向かう。ハーンはゆっくりとした足取りで、彼の後をついていく。ハーンにとって、帳の館で食事をとるのは、これが最後になるかもしれない。
ハーンはスティン高原へ赴く。
ルード達の境遇を彼の家族に説明し、納得してもらうために、一ヶ月滞在したここ、〈帳〉の館を後にするのだ。その後は各地を巡り、変わったことがないかを調べる。ルード達と再び会えるのは、当分先のこととなるだろう。