小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

フェル・アルム刻記

INDEX|55ページ/182ページ|

次のページ前のページ
 

§ 第一部 終章



一.

 〈帳〉の館にルード達が辿り着いて、一ヶ月が過ぎようとしていた。

「ハーン! 起きろぉー!」
 ルードは扉に向かって呼びかけた。しかし返事がない。仕方なくルードは扉を強く叩き、もう一度声をあげた。すると扉の向こう側から、いかにも眠たそうな声が帰ってきた。
「ルード君……お願いだからもう少しだけ寝かせてくれよぉ」
「なに言ってんだよ。剣の稽古をつけてくれるんだろ? それが俺達の日課なんだぜ?」
「今日は休んでもいいよ。僕が許すからさぁ……」
 ハーンの気のない返事にルードはさすがに頭にきた。彼は無理矢理にでもハーンを起こそうと、大きな音を立てて扉を開け、ハーンの部屋にずかずかと入っていった。
 ハーンは毛布にくるまるようにしてベッドで寝ていた。ルードは毛布に手をかけると、力ずくでそれを取り払った。
「ああ……僕の毛布……」
 ルードが取り去った毛布を、ハーンは名残惜しそうに見つめていた。
「さあ、もういい加減にして起きろってば! 今日が最後なんだろ?」
「……みんなは? どうしてる?」
 ハーンはそれでもベッドに横たわったまま、眠そうに声を出した。
「〈帳〉さんもライカも起きて、朝食の支度をしてるよ」
 そう言ってルードは毛布を部屋の隅に片づけてしまった。まだハーンは毛布を未練ありげに見ていたが、むくりと起き上がると大きくのびをした。

 扉の向こう側からライカが顔を出す。両手に抱えたかごには今朝とれた鶏の卵が見えている。朝食に使うつもりなのだろう。
「あ、ハーン、今お目覚め?」
 彼女はそう言うと、廊下を通り過ぎてしまった。
「ふぅ……昨日の夜、あんなに騒いでいたっていうのに、本当、みんな元気だねぇ」
 やれやれ、といった具合でハーンは身を起こす。
「じゃあルード君、外で待っててくれないか。僕もすぐ行くからさ」
「……もう一度、寝るなよな」
 ルードが釘を差す。
「大丈夫だって。ちゃんといつもどおり剣を教えるってば」
 ルードが部屋を出ていくと、ハーンは大きくのびをして、ぽつりとつぶやいた。
「ライカも……僕がちょっと家を空けるだけなのに、宴会を開かなくてもよかったのにさぁ……」
 そう言って大きく口を開け、あくびを一つ。昨夜の宴で一番騒いでいたのはハーン自身だったことを、当の本人は忘れているらしい。
 ハーンは窓を開けると、朝の草のにおいを胸一杯に吸い込んだ。今日も晴れ渡った、心地のいい日になりそうだ。

 厨房ではライカが鼻歌を歌いながら朝食の準備をしていた。
「あら、〈帳〉さん、おはようございます」
 ライカは今入ってきた〈帳〉に、にこやかに挨拶をした。〈帳〉はうなずくと、手に持っているものをライカに差し出した。
 今やライカもこのフェル・アルムという異世界に慣れた。フェル・アルムの言葉こそ解さないものの、館の住人達がアズニール語を話せるため、不都合はなかった。
「畑の芋がそろそろ食べ頃なのでね。いくつかとってきた。使うといい」
 〈帳〉は落ち着き払った声で言った。
「あ、ちょうどよかったわ。卵をどうやって調理しようか、ちょっと考えていたところだったんですよ。うん、これでまとまった。ありがとうございます!」
 ライカは芋を受け取ると、さっそく調理を始めた。
「私も手伝おうか?」
 芋の泥を落としているライカを、横目に見ていた〈帳〉が訊いてきた。
「いえ、いいですよ。昨日の宴会でたっぷり手伝ってもらっちゃったし。今日はわたしが全部やります」
「そうか。では私は部屋に戻ることにするよ」
 〈帳〉はそう言って厨房を後にしようとして立ち止まった。
「そうだ。ハーンは今どうしている?」
「いつものとおり、朝のお稽古です。ルードにたたき起こされてましたけどね。ふふ……。ハーンったら酔っぱらって『明日が最後なんだから、僕の技を披露してあげるさぁ』なんて自信満々に言ってたのに」
 ハーンの口真似を交え、ライカは楽しそうに言った。
「……ハーンらしいな。妙なところでぬけてるのは」
 〈帳〉は口の端をつり上げ笑う。今日に始まったことではないが、彼はあまり表情を変えない。

 かん……!
 模擬戦用の剣どうしがぶつかる音がかすかに聞こえた。厨房の入り口にたたずんでいる〈帳〉は、窓から外の様子を見た。少し離れた草原で、ハーンがルードに剣を教えている。
「あの悪戯《いたずら》坊主も、ずいぶんと剣が上達したようだな」
「いたずらって……またルードがなんかしたんですか?」
「まったく。昨日の宴の後、部屋に戻ろうとしたら扉が開かない。取っ手のところに紙が張ってあって『書斎の机』と書いてあった。そこに行ってみたらまた紙が置いてあって……そんな調子で結局、鍵を見つけるのに半刻も費やしてしまった」
 窓の外を見ながら憮然と語る〈帳〉。ライカはそれを聞きながら笑いを漏らしていた。〈帳〉はきまりが悪そうな顔をする。
「ルードか……。最初会った時はもっと物静かな少年か、と思っていたのだが……」
「そうね……私も、もう少しおとなしい人なのかな、って思いました。でも、あれだけ突拍子ないことばかり起きれば誰だって気後れしますよ。ここに辿り着いてやっと落ち着いて、ルードも安心したんでしょう」
 〈帳〉はそれを聞いて視線をライカのほうへと戻す。彼女の横顔は幸せそうだった。
「ハーンが揶揄《やゆ》したくなるというのも、分からんでもないか」
「はい?」
「……なんでもない。私は自室に戻っているから、出来あがったら教えてほしい」
 〈帳〉はそう言って厨房を後にした。彼は大きな決断を胸に秘めていた。

 かん!
 大きな音とともに、ハーンの剣が手から落ちた。勝負あった。ルードは剣を構えたまま、にいっと笑った。
「はははっ。どうだハーン!」
 得意満面のルードに対し、ハーンは照れ笑いを浮かべる。
「いやぁ……まいったねえ。またやられちゃうとは……」
 ハーンは再び剣を構えた、とその時。
「二人ともー、ご飯が出来たわよぉ!」
 風を伝ってライカの声が届いた。それを聞き、対峙する両者は剣をおろした。

「じゃあ、今日はちょっと短いけど、これで終わりだね。ご飯にしよう」
 ルードとハーンは剣を腰に下げ、並んで館へと歩き出す。
「どうかな、俺の腕前は?」
 道すがら、ルードは真面目な表情で、師たるハーンに訊いてきた。以前は生傷が絶えず、そこかしこにあざが出来、ライカに治療をしてもらっていたのだが、世話好きなライカの出番もこのところ減ってきた。
「うん、かなりいいよ。君がここまで伸びるとはさすがに僕も思ってなかったしねぇ。町の警備兵として、すぐに雇ってもらえるぐらいはあると思うよ」
「……そこまで言われると嬉しくなっちゃうな」
 流れる汗を手ぬぐいで拭いつつもルードは喜色満面だ。そこには思い悩んでいた一ヶ月前までの姿はない。自身の運命に真剣から対峙する覚悟を決めたからだ。そこからゆとりが生まれ、彼の持つ全てをおもてに出せるようになっていた。
「しばらく“あれ”を――ガザ・ルイアートを握っていなかっただろう? 剣の助けがあれば、ルードだってサラムレの剣技大会で、結構いいところまで行くんじゃあないかな?」
作品名:フェル・アルム刻記 作家名:大気杜弥