フェル・アルム刻記
〈帳〉は話を再開した。
「古城の中で長い年月を重ね、私は自分自身を取り戻しつつあった。私はとりあえず、この城を変えていった。ひとりで十分生きていけるように。中では掃除をし、埃を払った。外では種を植え、農作物や草木を育てていった。そして、外界から自分の小さな世界を守るよう、結界を施した。
「次に、自分のいるところ以外の場所に興味が湧いてきた。私が逃げ出してから世界は、人々はどうなったのか。すでに現実を見つめる覚悟は出来ていた。私は忌まわしい儀式の行われたあの場所に赴いていった。そして目を疑ったのだ!
「あの虚ろな目をした人々はどこへ行ってしまったのか? 集落が点在し、人々の喧騒が聞こえてくるではないか。彼らは惨劇を何もかも忘れていた。それどころかアリューザ・ガルドの存在すら覚えていないのだ。むろん、私のことなど覚えているはずもない。人々の無垢な瞳の輝きに、私は喜んでいいのか悲しむべきなのか、途方に暮れた。
「私は一人の人間の存在を思い出した。デルネアだ。彼なら何かを知っているに違いない。私はデルネアの行方を追った。彼の名前もまた、人々の記憶からは消え去っていたため、捜索は困難をきわめた。幾星霜、ようやく彼の所在が判明した。
「その地、アヴィザノにはすでに城が建設されつつあった。警備の目をかいくぐって、私はデルネアと対峙した。デルネアもまた、私と同じく不老の身体となっていた。しかし、私と決定的に異なるのは、彼は強大な“力”をその身体に有している、ということ。彼の持つ威圧感に、私は恐怖した。
「デルネアは語った。『これこそが我の望んだ世界。すでに人々はアリューザ・ガルドの存在すら覚えていない。この閉ざされた世界において初めて、我らの民は永久の安らぎを得るのだ』と。虚ろな人々に虚偽の知識を吹き込んだのは紛れも無い、デルネアその人だった。彼はこうも言った。『〈帳〉――お前はもはや傍観者であり、この世界の慎ましやかな住人でしかない。が、我は神にすら相当するのだぞ』と。フェル・アルムの人々はデルネアの存在すら知るまいが、彼が世界に与えた影響というものはまさしく神のそれに匹敵する。力を失った私に彼を止めるすべはなかった。
「私はそれからこの館に帰り、永遠にも感じられるほどの年月をひとり送った。デルネアはその間も、影でフェル・アルムを、中枢を操り、捏造《ねつぞう》された“真実”を広めていった。世界は彼の定めた予定どおり、今まではほぼ治まっていたのだ」
〈帳〉はほうっと息をついた。
「……そして今、ついに虚構の調和が乱れようとしている」
「それは、ライカがこの世界にやってきたこと、ですよね?」
ルードが言った。
「しかり。空間を閉ざしたこの世界に、アリューザ・ガルドからの者が来るなど、およそ考えられるものではなかったからな。デルネアはその動向を即座に感じ取ったのだろう。デルネアは中枢を操り、今頃は元凶となっている者を消そうと躍起になっているだろう」
「でも、私もルードも何も悪いことなんかしてない。被害者としか言いようがないんですよ?」ライカが憮然《ぶぜん》と言う。
「君達がこの巨大な運命とやらに巻き込まれた被害者であることは認めよう。だが、問題はそうたやすくはないのだ。……世界が崩壊しつつある、と言って理解してくれるだろうか?」