フェル・アルム刻記
三.
少々早めの夕食には昨晩〈帳〉がもてなし損ねたものに加え、ライカもまた腕を振るった。その間、ただ待つだけとなってしまったルードは部屋で安穏と寝ていたが、ハーンの告げ口でライカによってたたき起こされる結果となり、あわれ井戸までの水くみや、そのほか雑務全てをハーンの代わりにこなすことになってしまった。
そんなハーンはひとり、食堂にてタールを弾いていた。ルードがそんなハーンに悪態をつき、ハーンは素知らぬ顔でやり過ごす。それを厨房で聞きながら、ライカと〈帳〉は笑っていた。
食事が終わる頃には日もすっかり沈み、多少薄暗くなった部屋に明かりがともされた。
いよいよ話し合いのはじまりだ。
「では話すとするか」
〈帳〉は切り出した。三人は〈帳〉のほうへと向き直る。とくにルードとライカは、いかな事実があろうとも、おののくことなどしない、という強い姿勢で臨んでおり、それぞれの瞳には真摯な光が宿っていた。
〈帳〉は一同を見渡すと咳払いを一つ、そして静かに語り始めた。
「まず、はっきりとさせておかねばならないのは、フェル・アルムという世界――“永遠の千年”とも称されるこの閉鎖された世界は、もともとはアリューザ・ガルドに存在した、ということだ」
〈帳〉の言葉に、ルードとライカは思わず顔を見合わせる。
「信じがたいかもしれぬが……これは紛れもない事実なのだ」
そんな二人を一瞥し、〈帳〉は話を続けた。
「六百年も昔のことだ。私はアリューザ・ガルドで生活を送っていた。その頃、アリューザ・ガルドはひとつの国によって統一されていた。その王国をアズニールという。王国では魔導の研究が盛んに進められていたのだ」
「あの、話の途中で悪いんですけど」ルードが口を挟んだ。
「“まどう”っていうのは何なんですか?」
「魔導とは、……そうだな。簡単に言い切ってしまえば、ハーンが持つような“術”をさらに発展させ、強力にしたものだ。発動させるためには、膨大な魔力と数多くの知識、それに世界の理《ことわり》を知らねばならぬのだが、ここでは言及しないことにしよう。本筋からは逸れてしまうからな」
〈帳〉は言った。
「魔導……そう。その力をさらに強力にすべく、私を含む当時の魔導師達は研究を重ねていったものだ」
「でもルード。今のアリューザ・ガルドには、もう魔導は無いのよ。恐ろしい、“力”の暴走があって、魔導は封印されたっておじいさまから聞いたことがあるわ」
ライカが言った。
「そんな大事件があったなんて……どういう世界なんだ、アリューザ・ガルドっていうのは?」とルード。
「なに、フェル・アルムと大差ない世界だ。ただ、フェル・アルムの民にとっては摩訶不思議に感じられることが多々あるだろうがな」
〈帳〉が言った。
「話を続けさせてもらってよろしいかな?」
「あっ……すいません、勝手にべらべらとしゃべっちゃって」
ルードとライカはあたふたと頭を下げた。
しかし、〈帳〉にしてみれば、そんな動作すら微笑ましく思えたのだ。〈帳〉は口元で微かに笑うと、話を続けた。
「魔導師達はいつしか魔法の本質を忘れ、魔力の増幅に力を注ぎ込みはじめた。やがて膨れあがった強大な“力”は魔導師の手では制御しきれなくなった。膨大な魔力が堰《せき》を切ったように氾濫を起こしたのだ。恐るべき“魔導の暴走”――あれはアズニール歴四二五年のことだったか……」
帳はそう言って立ち上がると、部屋の中をゆっくりと歩きながら言葉を紡いだ。
「私は暴走する魔力を止めようと、師であり友人でもあるユクツェルノイレとともに対策を講じることにした。私達はアズニール王宮の預幻師、クシュンラーナを迎え入れた。だが彼女の幻視をもってしても解決の糸口は見あたらず、我々は絶望の淵に立たされた。あまたの魔導師達もなすすべがなく、そうこうしている間に暴走したかたち無き“力”は世界中に波及し、各地に壊滅的な打撃を与えたのだ。
「だが、思いもしないところから救いの手が伸ばされた。状況に憂えたディトゥアの神、“宵闇の公子”レオズスが暴走せし魔力を消滅させたのだ。もっとも我々は当初、魔力が自然消滅したのだと考えており、レオズスの介入を知ったのはもう少し後なのだが」
「神だって!?」
ルードが素っ頓狂な声をあげたので、一同は彼を注視した。
「あ、いや……ごめんなさい、何度も……」
またも話を中断させてしまったルードは、三人の視線に萎縮するほか無かった。
「ルードよ。君が唸るのも理解出来る。が、事実として捉えて欲しい。本論はむしろ、ここから始まるのだからな」
一息入れて〈帳〉は再び語りはじめた。
「かくてレオズスは、彼が遙か昔、冥王ザビュール降臨時に為したことに続き、再びアリューザ・ガルドを救った。だが強大な魔力に対してはレオズスをしても太刀打ち出来るものではなかった。苦肉の策としてレオズスが用いた“力”は――“太古の大いなる力”、禍々しい“混沌”の力だった!
「そして、レオズス自身が望んだのか、それとも“混沌”がそうさせたのか……“混沌”に魅せられたレオズスは、人間にとって恐怖と化したのだ。皮肉なことに、強大な“力”を消滅せしえたのは、さらに強大な“力”であった。我々人間は、レオズスに隷従することを余儀なくされてしまったのだ。さながら冥王降臨の暗黒時代のごとくに……。
「私は奴隷戦士として地下で名を馳せていた、デルネアという人物を知った。彼は魔導の力こそ持たないものの、たいそうな切れ者で、我ら三人に策をもたらした。『かたちを持たない魔導の暴走より、現在世界を覆っている“混沌”のほうが、崩すに易い』と彼は言うのだ。元凶であるレオズスさえ倒してしまえば、彼の用いる“混沌”はその帰すべきところに戻る、ということなのだ。
「とはいえ、人間が神を倒すなど果たして出来ようか? ユクツェルノイレと私は、宵闇の公子を倒すすべを探すため、文献をあさった。“聖剣ガザ・ルイアート”。文献にあったのはこの著名な剣のみであった。かの剣は黒き神――冥王ザビュールを倒した剣として知られているが、冥王が倒された後、その所在は全く知れない。
「我ら四人は途方に暮れた。人はレオズスに屈するほかないのか? だがある日、クシュンラーナの夢による幻視によって、一つの剣の所在が明らかになった。その剣はアリューザ・ガルドには存在せず、“閉塞されし澱《よど》み”という閉じた次元にあることが分かった。ユクツェルノイレとデルネアが、そのあてどない旅に、絶望へと向かう旅に赴いていった。彼らにとってみればまさに決死であったが、剣を入手することこそ、我々がレオズスを倒す唯一の手段だったのだ。
「三年後、デルネアは剣を手に帰還した。しかし、ユクツェルノイレは帰ってこなかった。『“力”に魅入られた』と、デルネアはそれだけ語った。それから我ら三人は、ついにレオズスと対峙したのだ。彼の発する“混沌”の気は、常人にはとても耐えられないものだった。しかし、“名もなき剣”は、かの聖剣に勝るとも劣らない“力”を発揮し、ついに我々はレオズスを――“混沌”の元凶たる神を倒したのだ。