フェル・アルム刻記
三.
しばらくして、ルードの意識は急に明瞭になった。目をゆっくりとあける。
光しか感じられないぼんやりとした情景から次第に焦点が合い、ハーンと、ライカの顔が視界に飛び込んできた。身体が動かない。ハーンが手当をしてくれたのだろうか、胸の痛みは薄れているが、湧き出す血は止まらない。すでに、手足の感覚がなくなってしまっていた。
あたりは静まり返り、何も聞こえない。
それは――緩慢過ぎるほどの平穏さだった。
「ハ……ハーン」
本当に自分の声かと訝るくらい、それは弱々しい声だった。ハーンは、その声を聞いて安堵の顔を見せる。彼自身、まだ胴から血を滲ませているというのに。
「奴……は……?」
「大丈夫」
そう言ってハーンは、ルードの手をしっかりと握りしめる。
「君とライカのおかげで、まちがいなく倒したよ。どうやら彼は、ルードとライカが事件の中心だというふうには思ってなかったみたいだね。僕こそが危険なな存在だと、勘違いしてたみたいだった」
ハーンは血糊がべったりとついた剣を見せた。ハーンが疾風を屠った事実から、幼い頃の戦争の記憶がルードの頭をよぎった。が、そんな嫌悪感は、自分の胸からあふれる血によって押し流されてしまった。
「わたし……でも!」
ライカがしゃくりあげながら声を出した。
「でも、ルードがこんなことになっちゃって……」
彼女は顔を涙でくしゃくしゃにして、ごめんなさい、と何度も何度も謝った。そんなライカを見て、ルードは両手をゆるゆると伸ばし、ライカの頬にそっと触れた。ライカはルードを見つめ、両の手でぎゅっとルードの手を握りしめた。
「ルードぉ……うう……」
「ちょっと俺も……しくっちまったよね……」
死が自分をいざなっているのを知りながら、ルードは落ち着いた、優しい声でライカに語りかけた。
「でもさ、後悔なんかしてないよ? ……だって俺は、ああいうふうにすべきだったんだからさ……」
そこまで言って、ルードは激しく咳き込んだ。なま暖かいものが口の回りに流れる。
「ルード!!」
異口同音に二人が言う。
「……ごめん。ここまでみたいだ……ライカ……頑張って、ことを最後まで見届けてくれ……」
「いやよ……ルード……一緒に行くって、私を帰してくれるって約束したでしょ?」
ライカはルードの手をもっと強く握りしめた。彼女のいじらしい言葉を聞き、ルードは目頭が熱くなるのを感じた。
「ライカ、分かってくれ……悪いと思ってる。……ハーン……」
「……なんだい?」
「ライカを守ってほしい……それと……」
「うん?」
「ハーンの持ってる剣を、もう一回握らせてくれないか?」
ハーンは、横に置いてあった銀色の剣を持ち出すと、疾風の血糊をふき取った。そしてルードの両腕を胸の上で十字に組ませると、剣をルードの両手に握らせた。剣は陽の光を受けたためか、一瞬まばゆく光った。
「ルードだったら、この剣を使いこなせるさ」
ハーンはにっこりと笑って、優しく語った。
「ありがとう……」
ハーンの言葉のせいか、剣を握った手から何かが流れ込んでくるような気さえした。だが、もはやルードは、意識を保つことすらつらかった。
目を閉じてしまえ! という心の声がだんだんと大きくなってくる。
(……そうだな……)
(それも……いいかもな……)
(ライカ……ごめん……)
(帰る方法を見つけるって……約束したのにな……)