フェル・アルム刻記
「……話を戻すと、君達の事件――君達がまばゆい光に包まれて山から消え失せた、という神隠しのことは、すぐさま中枢の知るところとなってしまった。なぜかというのは僕ごときが分かるものではないけどね。ともあれ、ルードが覚醒してアズニール語を話すようになり、さらには世界の住人ではないライカがここにいる――この事実は世界の平穏と常識やらを揺さぶるには十分過ぎるだろうね。不穏な動きは消されなければならない。……そして今、使命を帯びた疾風が、当事者を捜しに……いや、抹消するためにこの村の近くにまですでに来ている。もし君達が村に残っていたら、疾風はその場で襲ってくる。何も知らない村の人は、君を守ろうと必死に抵抗するだろう。そうすると事件はさらに大きくなって、村の人全員が不穏分子であるように捉えられてしまうかもしれない。膨れ上がる疑惑が行き着く先は、悲劇さ。それこそニーヴルの二の舞……惨劇のみが結果として残るだろう。
「でも、そんなことはあってはいけないんだ。あの悲劇はまた起こしちゃあ、だめだ! だから今、こんなふうに雨が降っているなかをおしてまで急いでいる――〈帳〉のもとにさえ行けば、彼の“護り”があるために、実質危険はなくなるし、村の人達にも危険は及ばない」
やわらかな表情で、碧眼はルードを見る。
「急ぎの旅立ちのわけを、分かってくれたかな?」
ルードはうなずく。
「確かに僕のことを得体の知れないやつって思われても仕方ないかもしれないけども……僕は君達の味方なんだ。同じ覚醒者の立場として放ってはおけない。信じてくれるかい?」
「もちろんさ!」ルードがきっぱりと言った。
「わたしもルードと同じよ。むしろわたし達に同行してくれるなんて、本当にありがたいと思わなきゃ、ね!」
三人は顔を見合わせて、お互いを納得しあったようだった。
そしてそこで会話は途切れた。
雨足は再び強まり、幾多の白く鋭い線が草原を叩く。
ルードの予想以上にハーンの過去は波乱に満ちていた。ほかにもまだ自分に隠していることがあるのではないか、とルードは時々訝《いぶか》るのだが、そんなことは関係無い。ハーンは大切な友人なのだから。
道は緩い下りとなり、多少曲がりくねりながら、ルシェン街道との合流点に出た。北に行けば数日前彼らが歩んできた道、つまり山道を越えてクロンの宿りへ通じる。対して、南に行けばスティンの丘陵を下り、クレン・ウールン河に沿うかたちでなだらかな道のまま中部の都市、サラムレに至る。
「……これからどうする?」ルードがおもむろに口を開いた。
「じゃあさ、ルードはどう思うかな?」
いつもの調子でハーンが言った。
「そうだなぁ、さっきのハーンの話からすると、どうもアヴィザノに近い南の道を取るのはまずいんじゃないかな。大体その刺客とやらがベケットにいたんだったら、なおさら南には行けないだろうし、と俺は思うんだけど?」
ルードもハーンの調子に合わせ、普段どおりにしゃべった。
「うん、そうだね。道のりは険しいけども、いったんクロンの宿りに出て、そこから北回りの街道を使って、途中から道をそれてしまえば……遥けき野だよ。そこまで行けばもう安心さ! 〈帳〉の存在を知る人はおそらく、僕以外いないだろうし、彼の館は巧妙に隠されてある」
「じゃあ、行きましょう?」ライカが催促した。
「さあさあ!」ハーンが言った。
「気を落としていたんじゃあ、つらいままだよ。もちろん危険のことは考えてなきゃいけないけれど、努めて笑っていこうよ。雨が降っていたって、旅を楽しんで行こう。そう、これは旅なんだから!」
それは本当に、ハーンらしい言葉だった。ルードはそれを聞いて、今の空のような重い心が癒される感じがした。
一行は北の方角へ道を選んだ。篠突く雨の中、しかし馬の足取りは今までより軽く。西のほうでは雨も収まっており、夕方の陽がいつのまにか顔を出していた。垂れ込めた雲は、その光を受けて空を赤く染める。ルードは太陽のほうへ首を向けた。
(あっちに、俺達が目指すところがあるのか。俺が驚くようなことっていうのは、やっぱりこれからも起こるんだろうな。その一つ一つに思い悩んだり、自分の境遇をうらんだりっていうのは、馬鹿馬鹿しいかもしれない。どうやら俺達を待っているのは、もっと大きな何かなんだろうから……)