フェル・アルム刻記
「さて、と……僕が話してもいいのかな? 確かにニーヴルの事件は終わった。戦争という最悪のかたちでね。事件が起こった原因を知っている人は、まずいないだろう。これもきわめて不思議な出来事だったのだから。端的に言ってしまえば原因は――これさ」
ハーンはそう言うと、指を振って周囲を指し示した。
「そう、そうだよ! さっきから訊こう訊こうと思ってたんだけど、これだってとんでもなく不思議じゃないか!」
ルードが声をあげた。
「こんなに雨がざんざか降ってるのに、なんで俺達の周りでは避けるようになってるのさ?」
「これって“術”なんでしょ、ハーン?」ライカが言う。
それを聞いたハーンは少し意外そうな顔をしてみせる。
「へええ、ライカは知っていたのか。これは……そうだなあ、何て言えばいいのかな、うーん」
ハーンは紡ぐべき言葉をしばらく考えていた。
「言い伝えに出てくる“魔法”だよ。精神統一をして体内に宿る気力を外に出して、なんかをきっかけに発動させる――」
そんなハーンの言葉をルードは今一つ理解しかねた。
「まあ、色々な力を顕現出来るというわけさ。分かんないのは無理もないよ。この力はニーヴルの元となった事件ではじめて露わになって、そして歴史の闇に葬られたのだから、知っているほうがおかしいかもね」
「でもさ、ライカは知っていたんだよな。それに、かまいたち。あれも術とやらなのか?」ルードが言う。
「ううん、わたしのは正しくはそうじゃないの。術は人に宿る“色”そのものを力の根源にしているんだけど、わたしのは自然の力を借りることによって現しているから。わたし達アイバーフィンにとってみれば『風』の事象界の“色”を用いてるのだけど」
ライカの言葉にまたもルードは唸る。
「世界にはこういう不思議な力があるんだ、というくらいに知っていてくれればいいよ」混乱したルードの思考を救うようにハーンが言った。そして声色を落とす。
「――さてと。ここからはしゃべるのがちょっとつらいな……ルード君もそうだったろうけれどさ。十三年前のアヴィザノでの暴動の実態を話そうか。
「まず、何がしかのきっかけで術の力を覚醒させた人々が、自らの力を暴走させてアヴィザノの街を破壊してしまった。その時に何人かは疾風の手にかかって殺されてしまったけれど、多くは逃げおおせた。また、時を同じくして、ほかの地域でも同じように覚醒した人々がいた。彼らはセル山地、ルミーンの丘で集結して疾風達とあたることとなった。疾風も、術を使う者達を脅威と感じて、剣を交えて戦うのに躊躇した。そしてしばらくは休戦状態となったんだ。
「しかし術使い達はその間、自分達を追いやった旧態依然とした中枢に対し敵意を強め、いずれは打倒する――そんな負の感情を強めていったんだ。そして覚醒はしていなくても、この世界のあり方に何らかの不満を持つ人々を説き伏せ、次第に大きな勢力にしていった。
「機が熟すとみるや、彼らは中枢を打倒する集団“ニーヴル”として兵を挙げて一路、アヴィザノを目指して進軍を始めた。それに対して中枢も挙兵する。アヴィザノ郊外で戦いが始まるわけだけれどもニーヴルは善戦し、“烈火”と呼ばれるフェル・アルム最強の軍団をもアヴィザノまで後退させた。
「でも、アヴィザノは幾重にもわたって塀が囲んでいて非常に強固で、そう簡単にはニーヴルも攻め入ることが出来ない。中枢はなるべく戦いを長引かせようとした。そしてその間に各地に呼びかけて反逆者を倒す人間を集めようと画策した。策は効を奏し、烈火を主軸に置いたフェル・アルム軍はついに、クレン・ウールン河流域のウェスティンの地までニーヴルを追いやった。ニーヴル側も、アヴィザノから内通させようとするなど、色々手を打ったが、そのような点では中枢のほうが数段上で、結局は打破されたんだ。
「ついにウェスティンで決戦の火蓋が切られた。……そして、長い長い戦いの後、ニーヴルはフェル・アルム軍によって全滅した。でも勝ったとはいっても、フェル・アルム側にも多くの死者が出た。それに、この戦いに巻き込まれた近隣の町や村も壊滅してしまった。多大な犠牲を払って、フェル・アルムの今日がある、というわけだよ。そして事実は、勝った側の都合の良いようにねじまげられてしまった……」
いかに明朗なハーンとはいえ、真相を話すのは非常につらそうで、終始沈んだ調子だった。
重く立ち込めた鉛色の空。三人の胸中はまさにそれだった。
しばらく彼らはうつむいて馬を進めていた。とぼとぼと。
「そして、僕もニーヴルのひとりだった……!」
意を決したような強い声に、ルードとライカはハーンのほうを向く。
「僕はあの時、東部の街カラファーに住んでいたんだけれど、ある時突然、人には使えない力を持っていることに気付いた。――つまり術の力だね。そして僕と同じ力を持っているというニーヴルの存在を知って、ルミーンの丘に赴いた。その頃すでに、ニーヴルは軍隊に変貌していたんだけども、あの時の僕は何も状況を理解していなかったんだろうね。その一員となって、中枢と戦った。そうしてウェスティンの決戦に終止符が打たれた時、かろうじて息のあった僕を〈帳〉が助けてくれた。そして、彼のもとで僕は多くを学び……今こうしてここにいる」
「あなたが、ニーヴルだったなんて……」
ルードは、ハーンの説明の『術に覚醒した者が決起した』というくだりから、なんとなくそのことを予感していた。しかし、現実に聞かされるとやはり衝撃は大きかった。だからといって、ハーンを憎む気持ちは全く無かった。ニーヴルを語るのが禁忌とされているから、ということのみならず、たとえ、ウェスティンの決戦が自分の人生に大いなる翳りを落としている、その現実を踏まえたとしても。
「確かにあれは悲し過ぎる出来事だった……ルードにはどう謝っても足りないくらいだよね?」
やりきれない。そんな口調でハーンが語る。
「……そんなことないよ……」
ルードはほかに言葉を発しようとしたが、紡ぎ出すことは叶わなかった。思いはあまたに及んだが、言葉はただそれだけ。ハーンは「ありがとう」とだけ答えた。二人の言葉はまったく短いものだったが、それによって彼らの絆は強固なものになった、とルードは感じた。