フェル・アルム刻記
ライカの声がしたかと思うと、次の瞬間にはまたしても暴風がルードの横を通り過ぎ、強烈な圧力でもって敵を切り裂いた。触手がずたずたに分断され、黒円の中の相手は悲鳴をあげた。
それを見て、ルードは意を決した。異質な円の中にいる敵本体を叩こうと決めたのだ。ルードはなまくらな短剣を放り、足下にあったものを――ハーンが落としてしまったハーンの剣をつかんだ。ルードは長い柄を両手で握り締め、敵に向かって構えた。きらりと、銀の刃が輝く。ルードの予想に反して、その剣は意外なまでに軽かった。
[ハーン! 悪いけど、こいつを借りるよ!]
ルードは横たわっているハーンに呼びかけた。それを聞いて、ハーンが声を振り絞るようにうめいた。
[……! ルード、……それだけは……駄目だ!!]
ハーンのうめく声の意味がルードには分からなかった。剣を構え、恐怖を払拭するために雄叫びをあげる。そして黒い円に向かって斬りかかった――!
それは剣を振り下ろすまでの、きわめて短い時間だった。
ルードは瞬間、知った。剣はルードに圧倒的なものを与えようとしている。超常の“力”は剣を握る両腕から伝播し、ついには彼の脳髄へと達していた。同様に、彼の両足からは大地の力の流れが、血管を伝って流れ込んできた。
これらは人間ひとりの身に余るほど、絶大な“力”だった。
(あの時と一緒だ――ライカと“遭遇”して、光の玉が俺を包んだ時――いや、それ以上だ!! この押しつぶされるような感じ――俺ひとりが抱え込むには大き過ぎる力だ!)
身体と精神に、洪水のごとく洗い流さんと渾然《こんぜん》一体となって襲いかかる“力”。ルードは必死で抗うものの、ルードの精神は悲鳴を上げ、ほどなくして彼は気を失った。黒い円に確かな手応えで剣を振り下ろしたと同時に。
そして――
ルードの中の、何かが弾けとんだ。
彼の奥底にある扉が一つ、確実に開いた。
* * *
ルードは夢を見ていた。模糊《もこ》とした情景が頭の片隅へと消え去ると、ルードはゆっくりと目を覚ました。
そこは森の中だった。先ほど意識を失った場所で、彼は横になっていたのだ。ライカがそばで付き添っていたが、ハーンもルードの目覚めに気付いたようだ。
[やあ、気分のほうはどう?]
ハーンが気遣う。ルードは先ほどの戦いの様子を徐々に思い出した。
[……大丈夫……でも……あの……化け物……は?]
[ああ、やっつけたよ。とどめを刺したのは僕だけど、致命傷を与えたのはなんと、君だよ!]
ハーンは喜々としてルードの手柄を褒めた。彼自身、触手に巻き付かれたために怪我を負っているというのに。
[そうか……]
ルードは再び意識が遠のくのを感じた。
[もう少し横になってたら?]ハーンが気遣う。
[……あ、いや。……行こう。今日中に着きたいんだ]
ルードはのろのろと立ち上がると、ふらついた足取りで馬に乗った。続いてライカも彼の後ろに座す。
ルードが手綱を握り締めたところで、再び疲労感に襲われ、くたりと、馬の首にもたれた。
[ルード!]
ハーンの声が聞こえた。
「ハーン、いいよ、このまま行こう……。ライカ、すまないが手綱をよろしく……って言っても分かんないかな……俺の言ってる言葉が……」
ルードには、発した“音”が今までの言葉と異質なものであると気付くはずもなかった。
「もう……馬を操るのなんて久しぶりなのに――」
ライカの意味の無いはずのつぶやきが、そのように言っているように聞こえた。