フェル・アルム刻記
強い祈りは自身の力を呼び起こし、そして――
* * *
「……来た」
膝をつき、暗黒の奈落を長いこと凝視していたサイファはそうつぶやいた。
「来たって、何がさ?」
ジルに訊かれたサイファは顔を闇から離すことなく、しかし笑みを浮かべて答えた。
「私達の希望が、よ」
その時、ぽっかりと口を開いている暗黒の中から何かが浮かび上がってくるのをサイファは見た。白く輝き、時折ゆらゆらと揺れ動きながらも勢いよく暗黒の縁から出ようとしている。その白いものは見る見るうちに昇りあがり――ついに裂け目から飛び出した。
ウェスティンの地にいる者達は一同、その様子に釘付けとなった。デルネアや隷もまた、ただ見入るのみ。
信じられない。そのような面もちでレオズスはゆらりと立ち上がった。さすがのディトゥア神もあっけにとられたまま、今し方飛び出した白いものが宙に浮いているさまを、ただ見つめている。
繭が割れるように、柔らかな白の中心が裂ける。中にいるのは間違いなく、ルードとライカだった。ライカはルードを抱きかかえながら、仲間に無事を報せた。ルードはライカにつかまりながらも、友人に手を振ってみせた。
目を赤く腫らせたレオズスはようやく笑みを取り戻し、うなずいた。
「ああ……おかえり」
レオズスが腰に収めている聖剣も、主人の帰還を喜ぶように、再び輝き始めた。
ライカ達を包む白いものが再度、その存在を誇示するかのように上下に大きく動くと、それは次第にある“かたち”をとる。
翼。
今、ライカの背にあるのは、白く輝く翼にほかならなかった。風の事象界に属するため、本来は物質的な存在ではない二枚の翼はしかし、あたかもそこに実在するかのように大きくはためく。すると、数枚の羽根のようにも見える小さな粒子はきらきらと光り、地面へと舞い散った。
空はいよいよ、灰色から暗黒へと変わり、“混沌”の襲来が間近に迫ったことを知らしめる。
だが、そのような滅びをもたらす黒の中にあって、彼女の翼はきわめて幻想的に映る。希望をもたらしたライカが、神からの御使いであると錯覚したとしても、それは不自然なことではなかった。
《フローミタ アー ラステーズ コムト、アルナース……》
思わず〈帳〉は、アイバーフィンの言葉をつぶやいていた。
“翼の民の娘よ、来訪を歓迎する”
〈帳〉の館で、彼がライカにはじめて語った言葉でもあった。今やライカは、その名が現すとおり、翼を持つ者となったのだ。
ゆっくりとライカは地面に降り立つ。と、彼女の翼は次第に小さくなり、彼女の背中へと消えていく。
腐った大地の感触は、ライカの嫌悪感を呼び起こし、なおも差し迫る滅びを目の当たりにしているという現実を思い知るが、それでも再びこの大地に戻れたのは嬉しいことこの上ない。
「今、戻ったわ」
一条の希望を繋ぎ止めたライカは、ぐるりと取り囲む仲間達に向かって小さく、しかし力強く言った。