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フェル・アルム刻記

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§ 第七章 スティンを目指す



一.

 水の街サラムレを後にしたルード一行は、大河クレン・ウールンを左手に見ながら、スティン高原へと続く東回りのルシェン街道を進んでいた。夜を徹し、まる一日馬を走らせた彼らだが、二度目の朝を迎える頃には疲労の色が強く、一休みする必要があった。
 そんな折り、家の並びらしきものが朝日に照らされて陰をつくっているのを見つけた。休息の場所を求めて入り込んだところが、この廃墟だった。

 十三年前、この地域一帯では中枢の戦士達と反逆者ニーヴル達とによる、最後の凄惨な戦いが繰り広げられていた。戦いの場、すなわちウェスティンの地と呼称される平原には、あちらこちらに小さな村が点在していた。ここもそんな不幸な村の一つである。
 赤い鎧の戦士達が反逆者を追い込むために放った炎と、抗うニーヴル達が己の力で作りあげた火球が渦を巻き、平穏に過ごしていた村々を焼き払う。哀れな住民達は、ニーヴルによって殺されたのか、使命遂行せんとする烈火達の巻き添えをくらったのか、今となっては知る者などいない。
 ただ明らかなことは、戦火に巻き込まれたその村からは、災いによって深い痛手を受けた人々が一人、また一人と立ち去り、ついに村からは人がいなくなったという事実のみである。後に残ったのは、焼かれて緑を失った木々と、もとは石造りの家であったがれきの山――つまり廃墟であった。

「酷い……わね」
 ルードと肩を並べて歩いていたライカは、銀髪をさらりとかき上げてつぶやいた。
「確かにな」とルード。
「ここら辺一体はみんな焼かれちゃったんだな……俺も小さかったから、よくは覚えてないけど、こんなに酷い有り様だったなんてな」
 ここはルードの生まれ故郷なのだ。二人は周囲を見渡しながら、人気のない小道をとぼとぼと歩いていた。まるで時間が動いていないかのように、十三年前の戦禍を未だ色濃く残している場所。だが、時間はしっかりと、確実に動いていたのである。

 破れさびれた村の跡地が自らの故郷であることを知ったルードにとっては、ふるさとに戻れたことは嬉しくもあり、またつらくもあった。が、十三年という歳月と、何より今の自分に課せられた使命とによって、彼は目の当たりにしている現実と向き直れるほど強くなっている。ルードは深く頭を垂れて黙祷を捧げると、気遣う〈帳〉やライカを逆に励まして、ひとときの眠りについたのだ。
 二、三刻も過ぎて、夏の日差しがまともに照りつけるようになると、たまらずルードは眠りから覚めて、ライカとともに村を見て回ることにした。二人はしばらく休息地の辺りを廻るように歩いていたが、ライカが小道の跡を見つけ、村の北のほうへと足を向けた。

「そう言えば、あの木……」
 ルードは立ち止まった。前方に見える木、いや、かつて木であったものから、何かを思い出した様子だ。
「あれね。かなり大きな木だったのね」
「そうだな。何となく俺は覚えてるよ。でっかい木がぽつんと立っててさ、木登りしたり木の実を取ったり……色々したもんだ。でも、まだあの木だって生きてるぜ」
「セルアンディルのあなたには、土の力が木に流れ込んでるのが分かるから?」
「それもあるけどさ、ほら、よく見てみなよ」
 かつて焼かれ、もはや幹しか残っていない大木であるが、生きることを続けるために、ごつごつとした根をしっかりと幾多にも下ろしていた。緑を生い茂らせていたであろう枝々は無くとも、それでも樹皮をぬって新しい緑が芽生えようとしていた。
「ふうん……ちゃんと生きてるのね」
 ライカは素直に感嘆した。
「でっかい木じゃあなくなっちゃったのが残念だけどね。でもあの木が、俺が遊んでた木だとしたら……お、そうそう。その向こうには池があったんだっけ!」
 幼い頃にかすかに残っている自分の記憶を頼りに、ルードは懐かしそうにうなずいた。
「俺はよく覚えてないんだけどさ、池の中のでっかい魚を捕ろうとしてたらそのまま落っこちちゃったらしいんだ。がばがばって溺れてるのをどっかの爺さんに助けられたって、ニノ叔母さんから聞かされた。『お前のいたずらぶりはその頃からはじまってたんだね』ってね!」
「ふふ……」
 和んだ空気が二人を包んだ。
「っていうことはだ、あの木の向こうに残ってる家が……俺の家ってことになるな!」
「ルードの家?」
「そうさ、俺の家だよ! ライカも来いよ!」
 にっこりと笑って、ルードは走り出した。

「へえ?」
 生家に辿り着いたルードは、周囲を見て喜んだ。誰もいないと思われていたこの廃墟だが、実のところ人々が生活を営んでいたのだから。
 ルードの家の辺りはまだ戦争の被害も少なく、多くの家が残っている。そんな住む人のいなくなった家々に、いつの頃からか人が集まりだしていたのだ。今では町を形成しているクロンの宿りが、そもそもは人々が寄り集まることからはじまったように、ルードの生まれ故郷は、新たな住人達によって生まれ変わろうとしているのだ。
「人の寄りつかないところだとばっかり思ってたけど、人が住み着き始めてるのね。ねえ、ルードの家はどれなの?」
 ルードは目の前にある堅牢な石造りの家を指した。蔦に覆われている煙突からは、昼食時だからだろうか、一筋の煙がもくもくと立ち上っていた。
「誰か住んでるみたいよ? せっかくふるさとに戻ってきたのに、どうする?」
「どうするって……ここはもう、俺の家じゃあない。昔そうだったってだけで、今となってはここに住んでる人の家だよ。この村が活気を取り戻してくれただけで、俺は満足だよ。俺の家は、スティンにある叔父さんの家だけで十分なんだ」
 ルードは破顔して答えた。
「昔、酷なことは確かにあったけど、村そのものが死んだわけじゃない。その気持ちさえあれば、立ち直らせることだって出来るんだ! つまりさ、諦めずに希望を繋いでいけば、酷い状況だって変えられるってことだよな」
 ライカはうなずいた。
「希望は捨てるな……か。わたしって、ルードに励まされてばっかりね」
「俺達も頑張らなきゃいけないしね。さて、そろそろ戻ろうか? 〈帳〉さんの放った術が返ってくる頃だ。ひょっとしたらハーンの様子をつかんでるかもしれないからな」
 ルードは、名残惜しそうに生家をあとにした。しかし気持ちは不思議と晴れやかであった。



作品名:フェル・アルム刻記 作家名:大気杜弥