昭和の旧車名車とともに 第一部
三菱 ミニカ スキッパー 15パズル
私が青春を送った時期は地球で例えるならカンブリア紀のようなもので、デザイナー、エンジニアが各々競い、様々な車がそれぞれ個性を持って生まれてきた一番いい時期だったのではないかと感じます。
三菱から1971年に発売されたミニカのスポーツバージョン、「ミニカ スキッパー」がありました。クーペのその車、同じ三菱ギャランGTOをガンとつぶしてダンと切ったようで、どこと無くそれを髣髴させる形。見ようによってはダイハツフェローMAXハードトップにも似ていて、特に黄色、オレンジがお似合いで黒のグリルに丸型4灯とマッチした可愛らしくかっこいい車でした。発売当時は2サイクル2気筒、後に4サイクル2気筒も出たそうで、軽四でもまだ三角窓がついていましたよ。
この車自体は時々見て「スキッパーだ」という程度。乗ったことも買った事もありませんが、どういうわけかスキッパーはパズルが思い出です。
今の人は15パズルとか15ゲームって知っているのでしょうか?4×4の16個の駒をばらばらにし、その番号が書かれた正方形の駒をトレーにランダムに入れ1番から15番までそろえるゲームで良く縁日とかで売っていました。
展示会でも行ったのか懸賞で当たったのかな?当時このイラストが描かれたノベルティーの「15パズル」を持っていました。
白いプラスティックケースに黄色いボディーのスキッパーが描かれ15パズルになっています。中学の同級生と車の話しになって「スキッパー知らんか?それじゃあそのイラスト持ってきてやるわ」と持って来たのでしょう。得意になってそれをやりながら、出来上がったイラストを見せ
「なっ、これがスキッパーや」
なんて話をしていましたら、運悪く「それはなにかな?」と担任が覗きこみます。
「えっ・・・ミニカ・・・スキ・・・パー」と尻すぼみ
「そんなもの学校へ持ってくるんじゃありません、没収です」と取り上げられました。
帰りに貰いに行けばいいのに、行けばまた小言を言われるに決まっている、そのまま時は経ち当然教師も忘れ卒業の儀。あのパズルは帰らぬ物となりました。
たかが小さなパズル・・・取り上げられる管理体制バリバリの中学校でした。
今なら旧車ファンも企業物コレクターも居ますからお宝になっているのではないでしょうか。
作品名:昭和の旧車名車とともに 第一部 作家名:のすひろ