雨降ってなんとやら
何故場所にこだわるのだろうか?とりあえず彼女の感情のベクトルが怒りから戸惑いに変わったことは僕にとって不都合ではないので答えるが。
特に面白味のない、ただただ問いに対する答えだけの台詞に、彼女は肘を机に乗せた右手を口元にやりながらブツブツとつぶやき始める。
「そっか……買って……先に洗面所に向かって……リビングに入る前に……棚に……」
ツブヤク彼女と見守る僕。
そんなシュールな光景は10秒と続かず、彼女が先に目線を机から僕に動かした。
「えーと、うん。今日は許してあげる。仕方ない」
不自然なまでに赤い彼女の顔。黄色人種から熟したリンゴのような赤。人種でいったら赤人とでも言えばいいのだろうか。まぁそんな人種は存在しない訳だけど。
そんな彼女の右手は頬を掻き、目線はふらふらと安定しない。顔の色も含めると酔っ払いのようだが、彼女は現在アルコール未接種状態である。
「そっかそっかー。許してくれるのかー。いやー、プリン一つで許してくれるのかー。ありがたいなー」
そんな彼女に意地悪気に話す僕。口元は思わず二やついてしまう。
彼女は無口で、あまり自分の思ったことを口にする方ではない。しかし一方隠し事には弱く、楽しさも嬉しさも、照れ隠しも、寂しさも、怒りも目線で、口元で、挙動で、体全体で表現しきってしまう。
僕はそんな彼女の特徴も好きだが、今はからかう一手に限る。
結局のところ、彼女は家に来る前にプリンを購入。その後家に入り一度トイレを借り、そのまま手洗いうがいをするために洗面所へ。その際にカバンとビニール袋に入れたプリンをスリッパ棚に置いたようだが、プリンを取り忘れてリビングに。その後僕が一度用を足すためにトイレに行く際にプリンを発見。台所事情に詳しくないためにプリンをそのまま冷蔵庫にin。その後彼女はプリンがないことに気づき、最初に彼女がトイレ、手洗いを済ませている間に僕がプリンを食べたと勘違いしたのだろう。
とんでもない濡れ衣である。
何の疑いもなく冷蔵庫にプリンを仕舞う僕も僕だが。
「いやー、悲しいなー。大好きな君に疑われてたなんてなー」
目を伏せ、悲しい表情を作り出す。多少大げさに。
普通に見れば一目瞭然の大根演技だが、あれだけ僕に怒りを向けてしまっていた彼女には強く罪悪感があるようで、本気に受け取ってしまったらしい。あたふたと両手を動かしながら酸素を求めるように口をぱくぱく。困ったときの彼女の癖だ。
「えと、その……ごめんね?……あ」
あたふたとしていた彼女が紡ぎだす言葉が突然止まる。
ピコン。と、これが漫画アニメなら彼女の頭の上に電球マークでもつくのだろう。困ったような挙動から一変。唐突に何かに気づいたのだろうか。
しかしそこまでは分かっても何に気づいたのかまでは僕にも知る由もなく、思わず「ん?」と首をかしげる。
そんな僕の疑問に答えるべく、彼女は少し顔を赤らめ、上目使いをしながら僕に問いかけた。
「プリン、一緒に食べよ?」
彼女が右手にもったプリンが差し出される。
彼女なりの精いっぱいの打開策。対して僕がどのような反応を示すかどうか、緊張した面持ちで固まっている。言葉に出さずとも、強張った細い腕。不安げに揺れる目にきつく結んだ唇を見れば緊張は容易に見破れる。やっぱりこの子が隠し事をすることは難しいんだろうな。なんて考えが彼女の求める反応とは関係なく僕の頭を流れる。
「ははっ」
「?」
狙ったのか偶然か。恐らく後者だろう。餌付けで機嫌を取るという行動に自分との情けない共通点を感じ、思わず笑みがこぼれる。
なんだ。結局は似た者同士じゃないか。
僕の心情など知る由もない彼女は突然の笑い声に首をかしげる。さっきと逆の立場になってしまっていることにも面白みを感じる。
頭に疑問符を浮かべている間に改めて椅子に座り直し、不安げに首をかしげたまま固まっている彼女の髪に手を伸ばして、優しくなでた。
「ほへ」
ついでに頬をつねってみる。面喰っている彼女から間抜けな声が漏れた。
からかわれたことに気づいたのか、頬をつねる僕の腕をポカポカと叩く。
怒ったそぶりをしているが、彼女は相変わらず感情を隠すのが下手で、楽しげな様子が頬を触る右手のぬくもりと共に伝わってくる。うむ、可愛いやつめ。
それと同時に気づけば僕も一緒に楽しんでいて。
……こんな日がいつまでも続きますように。
なんて赤面ものなくさい事を心の底から思ってみた、特に代わり映えのしない秋のある日の出来事だった。